私は子どもの頃、父親が厳しく、母親は年の離れた弟の面倒や仕事と家事で忙しく、長女だった私は両親に甘えることすらなかったように思います。
その結果、『超自立』状態になり、誰にも頼らず何でも自分でできる子になりました。
すると、大人になって自分が親になってからも、当たり前のように『何でも1人でやる』というスタンスになってしまったんですね。
今は違いますが、25年前に子育て中の頃は、大変な時期でも人に頼ることができないでいました。それは、子どもの依存時代に「甘えてはいけないんだ」「頼ってはいけないんだ」と思ったことで『超自立』になったからだと思います。

それに、私は器用な方でしたので人に頼るより自分でやった方が早いし楽でした。
いつの間にかこんな考えになっていたんですね。

でも、実際に子育てを一人でやってみると大変なんです。
主人は海外出張や単身赴任が多かったので留守がちでしたし、近くに親戚もいませんでしたので、自分が病気になった時や大変だった時に「助けてほしい」このたった一言が言えなかったため、本当に大変な思いをした時期もありました。

そんな時、手を差し伸べてくれたのがご近所の先輩ママさんたちだったのです。
素直に「お願いしてもいいですか?」と子どもを託してみたところ、喜んで預かってくれました。
自分が今まで思っていた「どうせわかってくれない」「助けてもらうことは迷惑なのではないか」という考えは払拭してしまいました。

そして、その時にこうも教わりました。
「人に頼ることは悪いことではないのよ。だって、困っている人を助けてあげられるんだもの。こんなに徳のあることはないでしょう。私の方がありがとうっていいたいわ」と。
今までの私の考えは、自分を苦しめるどころか、子どもにまで辛い思いをさせてしまっていたのかなと思うと、「自分は変わらなければいけない」と本気で思いました。それからは、子育てはお互い様という気持ちで、子育て仲間を作って楽しく子育てをすることができました。

子育て中のとても辛い状態のときに、この「助けて」のSOSが出せない人、「たすけてほしい」が言えない人の気持ちはよくわかります。だからこそ、「頭を下げて人に助けてもらうことは、子どものためなんだよ」と言いたいです。

現代では孤独死も増えていますが、男女問わずに『超自立』している人が孤独感に陥る方が多いのです。

人は依存の時代を経て、自立していきます。子どもの頃は誰かに養育されなければ生きていけません。十分に甘えを満たされたあとに、だんだんと自立していくのですが、この依存時期に「甘えるな」とか叱られた経験を持ったり、何か傷ついた経験があればある程、甘えてはいけないんだという思いが強くなり、超自立になったりするそうです。その結果、人との親密感とは程遠い位置に自分を置くようになります。

でも1人でやっていると、必ず行き詰ったり孤独感を感じる場面がやってくるのですが、そんなときに口が裂けても『助けてほしい』が言えないんですね。「どうせ誰にもわかってもらえない」とか、「助けてって言ったら迷惑だろうな」とか、「助けてって言うことは負けた感じがする」とか思ってしまうのかもしれませんし、何か子どもの頃の怖れが出てくるのかもしれません。

人に頼るのが怖いのでしょう。
この怖れにのまれてしまい、結局誰にも頼らずに1人で頑張るんだけど、また同じ壁にぶつかる…。そしてバーンアウト(燃え尽き症候群)してしまって、生きていることが本当に辛い状況に陥ることもあるのです。

特に子育て中の方は、この「助けてほしい」が言えるかどうかで、子どもの命がかかっていると言っても過言ではないと思います。
母の本当の強さは、「助けてほしい」が言えるかどうかです。だって、自分一人ではどうにもならないことが世の中や子育て中にはたくさん出てくるからです。

勇気を出して「助けてほしい」と言ってみましょう。
人に子どもを託すことも、子育て中には必要なことかもしれませんね。

以前住んでいたご近所の○さんのお話です。

小学生から幼児までの3人のお子さんを持つAさんは、人付き合いが苦手なママさんでした。ある日、幼稚園の息子がお友達とトラブルになり、相手の親御さんに自分の子育てのことで意見されたそうです。
○さんは自分の考えがあってのことだったのですが、それを伝えることができずに毎日悶々としながら息子を幼稚園に通わせていたそうですが、結局、3か月後に幼稚園を退園したそうです。
数か月後、「ここなら伸び伸びできる」と見つけた幼稚園に移園しましたが、やはり子ども間のトラブルはなくならないもので、また相手の親御さんとお話をすることになり、憂鬱な日々は無くならなかったそうです。

○さんの壁は、「人間関係の壁」だったのですが、それは、「自分の考えや思いを相手に伝え、理解してもらう努力をすること」だったのです。「どうせ言っても無駄。私の気持ちなんかわかってくれない。わかってくれなくてもいいや」になってしまって、相手と心を通わすことや共感すること、共感されることを自ら拒否していたのです。
そうするとどうなるか?というと、”相手も同じように、自分を拒否しているような態度に感じてしまう”のです。

相手にされていたことは、実は自分が以前から発信していた見えないバリアのせいだったのかもしれません。
そのバリアを破いてくれようとしている相手が、実は壁になってくれている相手であって、そこから逃げてもまた同じような人が必ず現れるということなのでしょう。

その壁を乗り越えることができればもう同じ壁は現れないのだけれど、今度は違う壁が現れます。でも、壁を乗り越えた自信ができれば、次の壁は以前の壁よりも乗り越えやすくなるものです。

ですから、最初の壁をどう乗り越えたかが人生の課題なのですね。

人生で壁にぶつかったときどう出るかで、自分の今後の行先が決まるのかもしれないのです。壁を回避する道もありますが、別の道へ進む前に本当に壁を越えることができないのか、よく考えることが大切です。壁を乗り越えなければ、いずれまた同じ壁にぶつかります。

人生には、似たような壁がたくさんあります。
逃げて一時的に楽になっても、しばらくすれば、また同じ苦しみがやってきます。
いま一度、立ち止まって考えてみましょう。

なぜ、その壁が、今、自分の目の前にあるのか”です。
実は、神様があなたに成長してほしいから、用意された壁なのです。
神様は、人に強くなってもらおうと、ときどき壁を与えるそうですよ。
それも、タイミングよく、最適なものを、ピンポイントで与えてくれます。

障害物という壁です。
神様は人に、乗り越えられない試練は与えません。
勇気を出したり、知恵を振り絞ったりすれば、乗り越えられるはずです。

人から言われたりされたりしたことばかり考えてしまうものですが、実は「自分の捉え方や考え方の問題」ということなのです。

逃げるのは簡単ですが、何とかして乗り越えられないか、全力で考えてみましょう。
自分一人でできなければ、友達と協力してもいいでしょう。
少しタイミングをずらせば、何とかなるかもしれません。

人生とは、壁を壊すためにあるとも言えます。

今、目の前にある壁は、自分そのものです。
自分という壁を壊して、自分を乗り越えるチャンスなのですね。

ピンチはチャンスとも言います。
あなたの人生の最初の壁を乗り越えられるよう祈っています。

武道や禅の教えとして有名な『守・破・離(しゅはり)』というものがあります。
「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階のこと。

例えば、スポーツ。
ゴルフやテニス、野球が上手くなりたいと思ったら、何万回も素振りをするでしょう。基本を繰り返すことで正しいフォームが体に染み込みます。
そして、もっと上手くなりたいと思ったら、プロ選手のフォームを繰り返し見て、自分でやってみるというように基本という土台の上にいろんなテクニックを学びます。

このように物事が上達するための教えを『守・破・離(しゅ・は・り)』というそうです。


初めの段階では、指導者の基本の教えをときかくきっちり守ります。
スポーツでは、コーチの教え通りに真似をして、無意識でもできるまで徹底的に体にたたき込みます。


基本をマスターしたら、次の段階は指導者の教えをただひたすら守るだけではなく少し破ってみます。つまり、自分独自に工夫してアレンジしてみる。指導者にはないやり方を試してみるのです。そして、徐々にいろんな場面で使える方法を取り込み、自分のものにしていきます。


最後に指導者の教えから離れて、自分自身で工夫し体得したものをさらに発展させます。自分独自の技なり世界を創っていくという段階です。


どの道にも、昔から受け継がれてきた基本形というものがあります。それが『』です。武道、書道、茶、音楽、能、歌舞など、これらは長い時間を経てつくられた型ですから、無駄がなく洗練されています。ですから、初めのうちは、繰り返し繰り返し、基本の稽古をしなくてはなりません。
この基本形の型が土台となり、その上に初めて個性というものが発揮されるのだと思います。


守・破・離の教えは、仕事にも生きています。

入社したての頃は、先輩や指導者の教えをひたすら守ります。
仕事の基本をたたき込まれるのです。この段階で辞めてしまう人が多いのですが、それでは仕事で自分の個性を発揮することはできません。ひたすら覚えて、自分の体に仕事の基本を染み込ませます。これが『』です。

次に基本ができてきたら、どうやったら仕事がやりやすくなるか、目標を達成させられるかを自分なりに考えます。「教えられたこと+α」を創りあげ、自分のものにします。これが『』です。

仕事が順調に行き始めたら、周りの信頼も増すでしょう。そうなると責任ある仕事を任せてもらえるようになっていきます。お店だったら支店の店長に昇格するかもしれません。これまでの仕事の基本をきっちりやって、それなりの成績を残している人だったら、周りの人がほっておくはずがないです。これが『』です。


いくら自分が成功したからとて、恩師とその教えがなかったら今の自分はありません。
どんなに偉くなっても、社長になっても、初心と謙虚な気持ちは忘れない。
自分が生かされていることに感謝することが大事だと思います。

この『守・破・離』を実行できる人とは、素直な気持ちを持っている人です。
素直さが一番の成功のカギとなるのだと思います。

保育所保育指針と同じく、学習指導要領も10年に一度改訂になります。

驚いたことに、平成30年度に改定される学習指導要領改訂の背景には、
「人口知能が進化して、人間が活躍できる職業はなくなるのではないか」
「今学校で教えていることは、時代が変化したら通用しなくなるのではないか」
という懸念があるようです。

今、様々な分野で言われていることですが、将来は人工知能により仕事が半減すると言われています。
オックスフォード大学が認定 あと10年で「消える職業」「なくなる仕事」をみると、金融機関や医療現場など資格や技術が必要な職業もあります。職人の仕事も無くなる可能性があります。これからは知能だけでなく、人間がやっていた繊細な技術もコンピューターがやってくれるということなのでしょう。
親からすると、高い教育費を払って塾や大学に行かせても安泰ではないということですね。

私が感じたことは、時代はどんどん進化している反面、アナログ的な人間的性やたくましさが重要になっていくような気がしています。
例えば、自分で考えて行動することや、目標に向かってコツコツと積み上げていく努力、人とのコミュニケーション能力、判断力、理解力、協調性などの適応力等です。今の時代に何が必要かを判断し、今までのやり方を柔軟に変化させて対応できる能力が要求される時代に入っているのだと思います。

そのような「生きていく力」を今度の学習指導要領では、さらに大きく打ち出しているのではないでしょうか。

今までにも何度も取り上げてきましたが、やはり”人格形成”が大きなカギを握ります。人格とは、一言でいうと”温かい心を持った人”のことです。幼児期に心を育てることがこれから益々重要課題になっていくことでしょう。

就学前に乳幼児期の教育保育の質を向上させることが、私たち保育者・教育者はもっと力を入れて取り組まなければならない課題なのです。

家庭教育においても、ただ単に受験だけを目標にするのではなく、
子どもの心の土台を育てられるよう温かく支えてほしいなと思います。

エンカレッジ・ステーションが経営する保育園では、毎月園内研修を行っています。
一昨日は、第5回ありんこ保育研究会が、ありんこ親子保育園で行われました。
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【内容】
1.研修報告「M保育所研修」
2.講義「日々の保育実践から写真で伝える子どもの育ちと保育者の思い」
3.講義&ディスカッション「乳幼児期の食物アレルギー理解と対応」
4.講義「子ども理解について」

今回の出席者は、17名でした。
私は、子ども理解について講義しました。
保育者が持っている”保育観”の違いについて気になったので、
今日は、「保育観とは何か?」についてもう少し詳しく取り上げてみたいと思います。

保育観とは?
「子どもたちを保育するうえで、どのように関わり、対応し、教育していくことが良いのか」と保育士が考える価値観のことです。保育士を目指すときに「どんな保育をしたいと思っていますか?」「どんな先生になりたいと思って、どのように子ども達と関わっていきたいと思いますか?」という問いかけをされた際に、自分の思い描く保育の理想こそが、保育観の根底となっています。

保育観の違いとは?
人それぞれいろんな性格の保育士がいます。育ってきた環境も出会ってきた人も違うのでみんな個性的です。 性格がそれぞれ違うことと同じように保育観もみんなそれぞれ違います。例えば「子どもたちがのびのび心から楽しめるような保育をしたい」という先生もいれば「時間を守りしっかり自分のまわりのことをできるような保育をしたい」という先生もいますね。これが保育観の違いです。

保育士が就職するときに、園の方針と自分の保育観が違っていたら、後で苦労することになります。よく「伸び伸び系の園」と「お勉強系の園」などと言いますが、自分は伸び伸びした保育がしたいと思っていたのに、躾や学習を重視する園に就職したら、やはりやりたい保育はできないでしょう。

ですから、ありんこ親子保育園でも保育者を面接する場合には、「どんな保育をしたいですか?」というように、その人の保育観を確かめています。それでも、保育観や価値観は人によって違っています。だから、園内研修やミーティングなどで園の方針や保育観を確かめる必要があるわけです。子ども達も、保育観の違う保育者がいると混乱してしまいます。
そのようなことがないように、どんな保育をやっているのかを写真やビデオで確認しながら園の方針に従って保育することが大切なのだと思います。

まずは、園内研修でやることは、保育方針や理念の確認です。
これからも、自園の保育者全員がチームワークを良くし、同じ保育観を持って保育していくよう指導していきたいと思います。