悪い出来事や嫌なことが起こると、落ち込んだり、悲しくなったり、悔しい思いをしたりしますが、それは全てに意味があることだそうで、その出来事を通してどのように成長していくかが人生の宿題で、「気づくべき何かがある」といいます。

そして、日々起こるトラブルは自分を苦しめるためにやってくるのではない、ということ。

自分の行動を振り返り、本当に今のままでいいのか、このままでいいのかを考えて、正直に自分と向き合うと、きっといろんな心当たりが見えてくるかもしれません。

そして、ずっと後になって考えてみると、それこそ私にとって「意味のある出来事だった」と思うことができるようなれば、自分に足りない部分を嫌な経験が教えてくれたことになります。


人間思考は、実に約70〜80%がネガティブ思考だと言われます。
それは、自分の心を守ろうとする防衛本能によるもの「思考性防衛本能」が働くからだそうです。ですから意識して前向きに考える訓練をすることが必要なのですね。

ネガティブ思考は自分のことだけに止まらず、周りの人に連鎖してしまいます。
人のネガティブな感情を見て、自分が同じようにネガティブな感情になる。
そうすると、自分とは何ら関係のないことでも伝染したかのように受け取ってしまいます。

悩んでいる人は、その人にとっての課題を解いている最中なのですが、それに気づかなければその感情だけを表に出してしまいます。
その人の嫌だと思う感情が実はその人にとってチャンスなのですが、何も知らない人はその人の感情だけを聞いてしまい、同情して自分も同じように悩み始めます。


話しは変わりますが、
私は毎年、成田山新勝寺にお参りに行きます。
成田山のお不動様のお姿は、目を見開き、口を歪ませ、怖ろしい顔つきです。忿怒の相(怒りの姿)をされています。これは「極悪醜弊の身を示現する」と説かれています。
実はお不動様の本来の姿は、「大日如来」だそうで、その穏やかな顔つきと比べれば、お不動様のお姿は「みにくい」もののように見えます。この「みにくい怒りの姿」こそが、お不動さまの大慈悲の心を表しているのだそうです。
私たち衆生は、自分の都合や欲望のために、しばしば怒ります。しかしお不動さまの怒りは、自分のための怒りではありません。私たち衆生を迷いや苦しみから救いたい、ただそのために怒りを示しておられるそうです。
怒りの裏には、私たちを思っての大日如来の優しい慈悲があることを知らなければなりません。


日々、私たちの目の前に起こる試練や問題は、一見すると厳しい内容かもしれませんが、実は自分の間違ったところや足りないところを教えてくれている自分にとって良いことなのかもしれないのです。

乗り越えられない試練は与えられないとも言われます。
必ず乗り越えることはできるはずです。

八方ふさがりでも、天を仰げば青空が見える。
一筋の光は必ず自分に向けられている。

辛くなったら周りに人に助けを求めて、一緒に乗り越えてほしいなと思います。