8月31日と9月1日に三峯神社へ行って氣守をいただいてからというもの、
クオカードが当たったり、取材の依頼が入ったりとラッキーなことが続いています。
ちょっとうれしい♪

二日とも、1332mの山頂にある奥宮へ山登りをしましたが、
つくづく山登りって人生の縮図だな、と感じました。

山を登っている最中の人は険しい顔をしているけれど、山頂を達成させた人はすがすがしい顔をして下りてきます。登る人が下りてくる人を見たら簡単に達成できるのかと思ってしまいますが、自分が登ると険しさを知ることになります。
奥宮は簡単には拝めませんが、努力すれば到達できます。
登る途中では想像もできなかった景色が、到達した人だけ絶景を眺められます。
そして、頂上を知った人でないと、”序の口”はわからないんだな。
序の口出歩いている人が、頂上から下りてきた人に「もうすぐですか?」と聞いてきます。「まだまだですよ」と答えます。「え~まだ歩くの~」と愚痴っても、頂上が近くなるわけではありません。
黙々と地面を踏みしめて歩くしかないのです。
でも、その途中では、美味しい空気、涼しい風、きれいな草木、自然が心を癒してくれます。だから、「がんばろう」という気持ちを奮い立たせてくれるんですね。

これって、起業もそうですし、子育てもそうです。
山登りをしてみるとよくわかりますね。

そして、奥宮へ行こう!と思わなければ行けません。
行きたくても遠いから行けないわ、歩くの面倒、大変そう、時間がない…なんて思っていたら、到達なんてできないんです。
だから、まずは一歩踏み出すことが大事なんだなと思います。

序の口まで来た人は、行ってみようと思ったから来れたんです。
ということは、奥宮へ行けるチャンスがあるということです。
来れただけすごいことなんだと思います。

でも、下りてきた人に「頂上までどのくらいかかりますか?」と聞いて、
「1時間。険しいですよ」と聞いて諦めて引き返していく人もいます。
チャンスは目の前にあっても、人の話を聞いて諦めて引き返してしまう人もいます。

チャンスは自分で掴むものだということがよくわかりますね。
険しくてもやり遂げた達成感は、やってみないとわからないものです。

目の前にあるものを諦めてしまっている人は、ちょっとの努力で達成させることができるのかもしれないですよ。一歩踏み出してみてはいかがでしょうか。


思い出したら、また三峯に行きたくなりました…

先月だったかな。
休日にホームセンターで商品を見ていたら、70代くらいの女性の方が私に近づいてきて、「ちょっといいですか?私はT市に住んているものですが、菩薩様のお話を聴いてみられませんか?」と、話しかけてこられました。
よくある宗教の勧誘かな、と思い丁重にお断りしたんです。

若い頃は道を歩いているとよく色んな宗教の方から声がかかっていましたが、久しぶりに声がかかったなと思いながら、フッと思ったことがありました。
「なぜ私に声をかけようと思われたんですか?」と聴いてみたんです。
すると、「雰囲気でかな。感でしょうか」とのこと。
『私って、どんな雰囲気なんだろう?悩みのある顔してたかな…』なんて思っていたら、
「もしかして、○○神社で女性の神主さんが出たと聞きましたがあなたではないですか?」
と返され、そっちの方?!ちょっとびっくり!
もちろん「違います」と笑顔でお返事して、「そうですか?」とその方は去って行かれました。

家に帰って考えてみました。
これって、何のお知らせだろう?
神主になれってこと?無理無理…。
でも神様は大好き。将来は神社にご奉公させてもらおうかな…。

それから数日後、不思議なことに滞っていた事がタイミングよくトントン拍子で進んでいき、新しい人との出会いが続きました。それと同時に、新しく出逢った人たちからの悩みも聞こえてくるようになったんですね。

これはステップアップしなさいということなんだろうな。
自分の今の場所から、一段も二段もレベルアップしていかなければ助けられない人がいるということなんだと思いました。

今月末に秩父の三峯神社に宿泊するので、パワースポットでゆっくり充電しながら瞑想してこようと思います。


米蒔けば 米の草生え 米の花咲きつつ 米のみのる世の中
(二宮先生道歌選二)

因というのは、たとえば、蒔いた種のことだ。これを耕作培養するのが縁だ。種を蒔いた因と、培養した縁とによって秋のみのりを得る、これを果というのだ。
世界に誇る日本の道徳力―心に響く二宮尊徳90の名言より~

良い種も悪い種もすべて自分が蒔いたもの。
いつかは刈り取らなければならない日が必ず来るということでしょう。

これは‘因果の法則‘です。
昔から教えられていました。
もちろん、現代の私たちにも同じことが言えますね。

良い種を蒔けば良い芽が、悪い種を蒔けば悪い芽が生えてくる。
良い行いをしたら良いことが返ってくるが、悪い行いをしたら悪い結果となる。
それは、半年後かもしれないし、10年後かもしれない。
もしかしたら、子どもや孫の代になってからかもしれません。

撒いた種は、必ず刈り取らなければならない時が来るというのが因果の法則なのですね。

人のことを思いやれば、人は自分を思ってくれます。
しかし、ここに私心があっては何もならない。
もし、見返りを求めてやる行いなら、それは必ず相手に伝わります。
ですから、良い行いは無心で行うことです。
見返りを求めず、喜んで行うことです。

こうしてやったのに、ああしてやったのに、と思いながらやる行いは、
たとえそれが良い行いでも悪い種になります。
悪い種からは、悪い芽が生えます。

これが世の中の常だということを、覚えておかなければいけませんね。

人の世は雲の流れの如し
人の心も日に日に変わっていくものである


これはいいことにも、悪いことにも言えることです。
私たち人間はついつい、いいことや悪いことがあると一喜一憂してしまいがちですね。でも、世の中も人の心も移り変わっていくものだと思えば、少し冷静になれるかもしれません。

いい時には、有頂天にならない。
悪い時には、落ち込み過ぎない。

私は小学生の頃、辛いことや嫌なことがあると、学校から家までの帰り道、「時は必ず過ぎる。一年経ったら、こんな小さなことは誰も覚えてはいないだろう」と考えながら歩いたものです。家に帰る頃には、気持ちが切り替わり元気よく外へ遊びに行けました。

そして、本当に一年後は誰もそのことを覚えてはいなかったし、自分も辛かったことや嫌な事は忘れていました。大人になってからも辛いことはありましたが、『時が解決してくれる』ことも多いということも多々ありました。

私は、今考えてもしかたのないことは深く悩まないで、とりあえず忘れていてもいいのではないかと思います。時が解決してくれるかもしれません。
今は辛くても、そのうちまた晴れの日が来るでしょう。

晴れの日もあり、雨の日、雪の日、風の日もありです。
だから花も咲き、緑も青くなるのでしょう。

さあ、今日も一日がんばるぞ~!

先日、お坊さんの法話を聴きました。
そこで配られた次第に書かれていた戒律をご紹介したいと思います。

三聚浄戒
第一摂律儀戒・・・一切の不善をしません                          
第二摂善法戒・・・一切の善行に励みます                   
第三摂衆生戒・・・世の中の人のために尽くします

ブッタの教え「十重禁戒」(じゅうじゅうきんかい)は、「ブッタがせんせい」の絵本にも同じようなことが載っていました。子ども向けには、やさしい言葉で解釈してあります。

十重禁戒
第一不殺生戒・・・むやみに命あるものを殺さない
第二不偸盗戒・・・盗みをしない
第三不貪婬戒・・・愛欲におぼれない
第四不妄語戒・・・嘘をつかない
第五不酤酒戒・・・酒におぼれない
第六不説過戒・・・人の罪や過ちを責め立てない
第七不自讚毀他戒・・・自分をほめたり他人をけなしたりしない
第八不慳法財戒・・・物でも心でも施すことを惜しまない
第九不瞋恚戒・・・怒りに燃えて自分を見失わない
第十不謗三宝戒・・・仏法僧の三宝をそしらない

普段生活をしていると法話を聴く機会はめったにないかもしれませんが、時々、こうやって聴くと心が洗われるようですね。法話があったらまた聴いてみたいです。


そして、ブッタはこのように諭されています。

正しい教えを知らないで
百年生きるよりも
正しい教えを聞いて
一日生きる方がはるかにすぐれている


学ぶ機会はたくさんあったはずなのに、それを避けて知らないまま生きることは「無知」と言います。”無知は一番の罪”だそうです。

やってはいけない「十重禁戒」を知らないままにしないで、
ちゃんと教えを心にとどめて、心をきれいにしながら生きていきたいものです。

もうすぐ夏休み。
おおきなかぶ学童保育では、今年も「ブッタがせんせい」の読み聞かせを行います。
子どものころから、心をきれいにすることを知ってほしいなと思っています。

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ブッタがせんせい