出逢いとは、不思議なものです。
重要な人との出逢いには、インスピレーションを感じます。
何かピンとくるような、現実するだろうという確信のような、夢を叶えられそうな、
そんな予感がします。

ひとりではできないことが、人と人の出逢いによって化学反応を起こすように、
全く違う、もっとすごいものが生まれる可能性があると思います。

これは、出逢ってみないとわからない。
自分がそれまで以上に、可能性を発揮できることを体感してみないとわからない。

過去に私は、重要な方との出逢いをいただき、幾度か化学反応を起こしてきました。
それは、出逢った人と心を合わせて進んだことで、夢のような仕事を実現させてきたことです。この経験があったから、ピンとくる出逢いには鋭いのかもしれません。

出逢いは、グッドタイミングで、必然的に、必要な人と出逢うようになっているのだといいます。そのグッドタイミングがまたやってきそうな予感…。

また新たなことに挑戦したなと思っています。

人と人とは縁があって出逢ったのだと言われますが、
その中でも「通り過ぎる人、通う人、通じる人」がいます。

通り過ぎる人とは、接触はするものの深い付き合いにはならず通り過ぎていく人のこと。
通う人とは、交際のある人のこと。
通じる人とは、同じ考えや方向性が一緒の人のことです。

この”通じる人”とは、同志やソウルメイトのことで、出逢えたこと自体が奇跡に近いことだそうで、それもたまたま偶然出逢ったのではなく、早くもなく遅くもなくジャストタイミングで出逢うのだそうです。
だから、その時に通じる人だと気づかなくてはいけませんね。

そう考えると、人の出逢いって不思議で大切なんですね。

私たちの魂は、この”通じる人”を常に探しているのだそうです。
だから、人と話をするときに自分と合うか、合わないか、共感するものがあるか、ないか、
知らず知らずに通じる人かどうかを見極めてきているのです。

通じない人とはそれ以上深い話にはなりませんし、
心を許したからと言って、その人が通じる人かどうかは付き合ってみないとわからないときもあります。

だから、人付き合いって難しい、と思うのかもしれません。

その中で、通じる人と出逢えた時の喜びは、言葉に表せないほど嬉しいものです。
長く付き合っていても、通じてない人とはそれ以上の関係にはなりません。

ですから、通じる人に出逢うしかないのですが、ジッとしていては出逢うことはできません。

自分で探すことです。

探すのです。

きっと、相手も自分を探してくれています。


孤独な人が増えてきている現代ですが、
孤独だと思う人はまだ通じる人に出逢ってないだけです。

今日出逢えるかもしれないのです。

探しましょう。

昨日のブログ「保育士を目指しませんか?」には、思いのほか反響がありました。

保育士になりたいけど…
やっぱり無理。時間がない。お金がない。
短大や専門学校に行かなければなれないと思っていた。
子どもが大きくなったら考えようかな…って、思っていた人たちに刺激になったようです。

後回しにして、結局やらなかった。
夢があったのに、無理だと諦めた。
できないと決めつけて、努力しなかったら?
「ああ、やっぱりあの時にやっておけばよかった…」という思いは、自分の中に残りますね。

私は自分のことでも他人でも、このようなことがあると、とても悔しく思います。
少しやる気を出せばできるのに、できないと諦めてしまったら本当に残念に思います。

私は常に「ダメで元々、やってみなければわからない」と言っています。
「できないと思えばできないよ」とも付け加えます。

できないと思ったことでも、工夫次第では「できる」になることもあります。
「どうしたら、できるようになるか?」という視点で見てみると、糸口が見つかるものです。

先日、ある難題を突き付けられ、クリアできる可能性のあることを片っ端から考えました。そして、それを可能にさせられる人を探し、説明して協力してもらいました。何とかなるものです。難儀・難題と思っていたことが、結果として「できる」に変わりました。

これが人生の醍醐味だし、面白いところです。
こうやって、「できた!」が増えると、自信になっていくんですね。

達成した後は、精一杯生きているという満足感と充実感を感じます。

保育士になった時の自分を想像してみてください。
これほどの達成感はないですよ。なりたい自分になれるのです。

しかし、保育士試験に合格し保育士になることは、スタート時点に立つということです。
保育の勉強を現場で活かせて初めて保育士になったということですから、
その楽しみとやりがいは想像を超えるものではないでしょうか。

自分の人生を切り開いて、一歩踏み出す勇気を持って進んでほしいなと思います。

『子の曰く、吾れ
十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順がう。
七十にして心の欲する所に従って、
矩を踰えず。』 (為政編)


わたしは十五歳で学問に志し、
三十になって独立した立場を持ち、
四十になってあれこれと迷わず、
五十になって天命(人間の力を超えた運命)をわきまえ、
六十になって人の言葉がすなおに聞かれ、
七十になると思うままにふるまって、
それで道をはずれないようになった。

~孔子の「論語」の中にある言葉より~


私は今年で52歳になりますが、
50歳にして天命を知る人って、そうそういないんだな…と思う出来事がありました。
今の50代は見た目も若いですが、精神年齢も幼いのかな?

孔子はどうして50にして天命を知ったのでしょう。
それはきっと、覚悟ができていたのだと思います。

人生50年と言われていた時代なら、
とっくに死んでいる齢になった自分ですが、
人生を振り返ってみると、50歳なんてあっという間に来てしまいました。

気持ちが若いのはOKですが、
50代は50代に見合った中身が大切で、人間性や覚悟がなくてはいけないなと思います。
いつまでも娘のままではいられないのですから。
そうでなければ、50代になっても世間知らずね、と言われてしまいます。

いくつになっても、成長し続けていきたいものです。

今、自分のやるべきことに集中すること。
どうでもいいことに振り回されないことが大事。


雑念が多すぎて、仕事に集中できなかったり、
やるべきことができなかったら、
本来自分の進むべき道が見えなくなってしまいます。

考えてもしょうがないこと、
どうでもいいと思うこと、
モヤモヤ、イライラ…
余計な雑念は、サッサと捨てて。

スッキリとした青空のように
心が晴れやかならば、
周りの美しい景色も見えてきますよ。

今日も朝から真っ青な空。
晴れやかな気持ちで、今日も1日がんばりましょう。