自分が思っていることは、言葉にしなければ相手には伝わりません。
反対から言えば、伝わらなければ思っていないのと同じです。

言えない、伝わらない…と思う前に、伝える努力をしているか?
伝える努力もしてないのに、わかってもらえないと嘆いてはいないか?

これは、言った、言わない、ということではなく、
日頃からコミュニケーションをとっているかということが大切だと思います。

相手にちゃんと理解してもらうためのコミュニケーションスキルを持っているかという問題にもなってきますが、伝えられない人というのは、「自分のことをわかってくれない」と考えてしまう人が多いようです。
しかし、その原因は他人ではなく、往々にして自分自身の中にあることが多いようです。日頃から伝えることのできている人は、あまりそのような考えにはなりませんね。

人間関係がうまくいかない人(自分自身に問題があった人)を見ていて思うのは、伝える方法が限られていて、他の手段を使わない、または知らない人が多いのではないかということです。これが直接的、間接的に「人間関係」に影響しています。

そして、このような問題を持つ人の根本にあるものは、「自信のなさ」だったり、「自己評価(自己肯定感)の低さ」だったりします。

これって、元をたどれば乳幼児期のアタッチメント(愛着)の形成に関係しているのではないかと、私は疑問を持っています。自己評価(自己肯定感)とは、愛着形成により育つもので、概ね3歳までに育つと言われていますから、その人たちが幼少期にどのような育ちをしてきたか、実母との関係はどうなのか、なんて思ってしまいます。職業病ですね。

話は戻って、
思っていることがあったら、相手に伝わるように自分の言葉で話をしてみることが大切です。
相手がどう思うかは、相手の問題です。答えは相手に任せることです。

事と場合にもよりますが、
私は言わないで伝わらない方が、悪い結果になることが多いような気がします。

伝える努力はした方がいいと思いますが、
いかがでしょうか?

人間というものは、自分がしてあげたことはいつまでも覚えているもので…。
自分のエゴ(自我)を中心に据えて生活をしているからですね。
だから、理屈っぽくなるし、人に親切にしても、愛情を表現しても
「やってあげてる」という我が強すぎて嫌味になったりします

私は恩師に、
「自分がしてあげたことはすぐに忘れなさい。
そして、他人からしてもらったことは一生忘れてはいけません」
と教わりました。

本当にそうだなと思いました。
考えてみれば、自分のしてあげたことなんて、人からしてもらったことに比べたら大したことじゃないです。それをあたかも、俺(私)のお陰だろうとばかりに恩着せがましく「あいつは誰のお陰で…」なんて考えてしまうから、素直に「ありがとう」が言えないのかもしれませんね。

生きている間に仏心になる

死ぬときには何も持ってはいけません。
「私の人生って本当に楽しかったな。みんなありがとう」と思える満足感・達成感・感謝の気持ちがあればいいと思うのです。その徳は、自分が死んだあとも自分の魂に残ります。そのためには、今生きている間に仏心になることが大切だということですね。

仏心になるとは、『大慈悲』のことで、アビダルマ教学においては、厳密に「慈・悲・喜・捨」(じ・ひ・き・しゃ)に分別され、四無量心、四梵住とも呼ばれているそうです。

慈 -「慈しみ」:相手の幸福を望む心
悲 -「憐れみ」:苦しみを除いてあげたいと思う心
喜 -「随喜」:相手の幸福を共に喜ぶ心
捨 -「落ち着き」:相手に対する平静で落ち着いた心



自分が「してあげた」ことはすぐに忘れて、人に「してもらったこと」は一生涯忘れず、生かされていることに感謝すること。人間同士、共に喜ぶ心を持つこと。
「生きている間に仏心になりなさい」と、天は人間に教えてくれているのですね。

教えられたことをすぐに忘れてしまうのも人間です。
教えを忘れず活かせられるように、日々精進ですね。

人の心って、面白いものです。
できると思えばできるし、できないと思えばできません。
本当に心通りになるみたい。

できないという先入観は、人間の可能性をつぶして不可能にしてしまいます。
ダメだ、できないと諦めていたら、ずっとできないままです。
それでは、なりたい自分になるのは難しいですね。


後悔って、「短期の後悔」と「長期の後悔」があるそうですよ。

「短期の後悔」とは、やって失敗したときに思うことで、
わりとすぐに忘れてしまうことが多いそうです。

「長期の後悔」とは、やらなかったことに対して思うことで、
忘れられないことが多いそうです。

「若い頃に勉強しておけばよかった」
「あの時に恋愛(結婚)すればよかった」
「やりたいことをなんでやらなかったんだろう」
「あの仕事を引き受けておけば、今頃は…」など…。

可能性があったのに、やらなかった、できなかったことへの後悔がいつまでも心に残るようです。

今、あなたの目の前にあるものは、ダダの石ころのように見えることかもしれませんが、それはダイヤモンドの原石かもしれない。しかし、磨かなくてはわかりません。

磨くことを研磨(けんま)といいますが、それをしなければ、たとえダイヤモンドの原石であろうが、きれいな輝きにはなれないのです。

人もそうです。
輝きたいのなら、自己研鑽するしかないのです。


私は11年前までは、普通の主婦でした。
時間もない、お金もない、人脈もない、地位や名誉も何もないところでも、唯一、自分の可能性を信じて行動しました。その甲斐あって、今では皆が笑顔で働ける素敵な会社を創ることができました。初めの一歩から、私の人生が輝きだしました。
でも、あの時に「ダメだ、無理だ、できない」と思っていたらどうなっていたでしょう。今のような楽しい人生にはなれませんでしたし、「やっぱりやればよかった」と後悔していたと思います。


ただの石ころだった私を磨いてくれたのは、世間の人であったし、世の中の厳しさでしたが、だからこそ研ぎ澄まされて仕事に対する集中力を身につけることができ、事業を軌道に乗せることもできました。それがあったればこそ、後悔のない人生にすることができたのだと思います。
辛かったことも、今となっては「やって良かった」と心から思えます。


普通のサラリーマン、主婦、学生、子どもだって、その人がもつ可能性は無限大です。
人間の可能性はできると信じてこそ、その輝きは本物になっていくのだと思います。


あなたは、自分を輝かせたいと思いませんか?

いくつになっても、
人生はまだまだこれからですよ。


まあ、毎日、色んなことがあるもので、
1日として同じ日はありませんね。

私は保育園や学童保育を経営している関係上、
たくさんの子ども達や保護者の皆様と接する機会が多いので、
喜びも辛さも、人の数倍もらっている感じがします。

でも、やっぱりこの仕事は面白い!
子ども達が素直に可愛いです。
毎朝、今日が楽しみで早く目が覚めてしまいます。
(朝早いのは、齢のせいだと言われますが…笑)


先月は、学童OBが高校に合格して挨拶に来てくれたんですよ。
大きくなってからも、学童にいた時のことを覚えていてくれたんです。
先生の仕事って、この瞬間がたまらなく嬉しいんですよね。

そして、今週は入学式でした。
卒園児も、新たに学童保育に入会してくる1年生たちも小学校の入学式の晴れ舞台を、来賓席から見とどけることができました。
長年子どもに携わっているからこその喜びです。

今年度は、「ありんこ農園」をやり始めました。
子どもたちが伸び伸びと自然と触れあい、
自分たちで食べる野菜を育てようと広い畑を開拓中です。
今は、子ども達が「ひみつきちつくりた~い!」と、
秘密基地つくりに盛り上がっています。


子どもがいる生活は、大変なことも多いですが、
家庭と保育園が連携すれば、もっと子育ては楽しいものになり、
子どものより良い成長にもなりますね。

人生の中で、今日という日は1日しかないのです。
今日も、楽しい1日にしていきたいと思います。

仕事でも、遊びでも、好きで始めた趣味でも、長くやろうと思ったら
なるべく無理をしないことです。

これからやろうとしていることや、仕事や目標を達成しようとする時もそうですし、
人間関係でも、とにかく自分にとって苦痛になるようなことはなるべくしない。
不本意だと思いながら無理をしても、それは必ずどこかで歪みになります。

無理を続けるとストレスとなり、それが悩みになります。
日々、エネルギーが消耗されて疲れます。
その結果、何事も続かなくなりますね。

私は、何かを始めようと思った時、無理をしないとできないな、と思ったら始めからやらないことにしています。無理をしなくてもできる自信がないと、始めようとは思わないのです。
今までも、無理して始めたことは長続きしませんでした。
それは、とても無責任なことですから、無責任なことは始めからしないことにしたのです。

自分が無理しないとできそうもない仕事は引き受けない。
無理なことを引きうけても、結局は出来なくなって後で迷惑をかけることになるからです。引き受ける前に自分と相談して、これなら私にもできると思ったことを引き受けるようにしています。それでも、予想外に大変だったということもありますが、引き受けた以上は最後まで責任を持ってやるようにしています。

人付き合いも同じです。
付き合いたくない人と無理に付き合ったり、無理に深入りするというのは、感情的に抵抗と葛藤が生じて苦しくなりますから、イヤな出来事やしんどいことが増えてきます。泣きたくなるような出来事や結果になることがわかっているのなら、できないことややりたくない人付き合いは、「ごめんなさい」と謝って断るのが相手のためでもあります。時には、断る勇気も必要なのです。

相手の意見も聞き、自分の意見もキチンと言うことを『アサーション』と言います。
できない理由をキチンと伝えることで、相手も自分も対等な関係で話ができるのです。

社会人ならそういう関係になることが、責任ある人間関係ではないかと思います。