為せば成る、為さねば成らぬ、何事も、成らぬは人の、為さぬなりけり

~善政で名高い米沢藩主、上杉鷹山の句~

何かを為し遂げようという意思を持って行動すれば、何事も達成に向かうものである。ただ待っていて、何も行動を起こさなければ良い結果には結びつかない。 結果が得られないのは、人が為し遂げる意思を持って行動しないからだ。


人生とは、心がけ次第でその一生が決まってくるものだと思います。
自分自身の意識や心構えというような内面の要因に基づいて、外へ向かって発展していくものです。行動の前に思考あり、ということですね。

そして、「水は方円の器に随い、人は善悪の友に依る」という言葉があります。
水がどんな形の器にも随順するように、人はおかれた環境で変わってくるし、人生の道で出逢う人によって、道がどのようにも分かれてくるという意味もあります。
正しい道、間違った道を選ぶのは、つき合う人によって変わってきますので、選ぶ人を間違えてはいけないという教訓でもあります。

人には、徳というものがあります。
素直な気持ちでその人の顔を見ると、その人が放つオーラを感じることができます。
迷ったら、直感に戻って考えてみます。

自分一人の判断ではできないこともありますが、
それでも、選ぶことは必要なのだと思います。

‘為せば成る‘は、結果が良かった人の言葉ですから、
人徳のある人や成功している人(成った人)のそばにいて話を聴いてみるといいですね。

昨日、建築会社のO社長さんとお話をしました。
やっぱりO社長さんはさすがだな…と思ったことがありました。
それは、この場で最善の方法を考えて素材を活かすアイデアを持っていらっしゃるところでした。それも、こちらの意図とすることをちゃんと聞いて、その上でプランを提案してくれるのです。

私もいろんな普請をしてきましたが、なかなかピッタリ考えの合う人に出逢うのは難しいです。でもその分、出逢えた時の喜びは一入ですね。

私が人を見るときに基準となることがあります。
(きっと私も基準にされているだろうなと思いますが…)
それは、「当たり前のこを当たり前にやれる人」かどうかです。
いくら仕事ができても、学歴や経験・技術があっても、それは必須条件ではありません。

もちろんそれらはあったほうがいいのですが、それ以上に大切なことがあると思います。
それは、「当たり前のことを当たり前にすること」です。

当たり前のこととは、本質や基礎という土台が、しっかり固まってことを言います。
例えば、挨拶ができる。時間や約束を守る。誠実な心で対応をする。受け答えがしっかりできる。最後まで責任を持って仕事をやる。自分の考えをしっかり持っている。などのことではないでしょうか。
これがなければ、いかに高い技術があったとしても、すべてが水の泡です。

人と差をつけるのは、この「当たり前の力」なのです。
いかに当たり前のことを当たり前にするかです。
こうした当たり前のことを積み重ねて、初めて”信用・信頼”になっていくのだと思います。

私は高度な仕事はできませんが、当たり前のことを当たり前にやリ続けることを日々の糧としています。それが肥やしになり自分も周りも豊かにしてくれているのだと思います。ですから、私がやっていることは特別なことではないんですよ。そして、これが私の生きる目標になっています。

先月より、社会福祉主事資格を取得するため勉強を始めました。
昨日で「老人福祉論」の課題が終わったのですが…
勉強すれば勉強するほど、少子高齢化を何とかしなければ日本は将来大変な世の中になってしまうことがわかります。将来の年齢別の人口を数字で見ると明らかです。
若い頃からの老後の備えは必要だとつくづく感じましたね。

いつまで続くのこの介護?平均介護年数は男性は9年、女性は12年。かかる費用は1000万円以上?!」によると、男性の介護年数は9年、女性は12年だそうで、その費用は、男性922.6万円、女性1199.8万円かかることになるそうです。

若いうちは、自分の老後のことはあまり考えなかったのですが、50歳を過ぎるとこれからどう生きていくか、老後の費用をどう捻出していくか、生活に困らないお金が入ってくる仕組みを考えなければなりませんね。

今、老後破産がとても多いそうです。
若い頃に羽振りが良くても、定年して思わぬ病気や事故等が起こったり、家族や身内が痴呆や要介護になったりして出費がかさんだ結果、生活費を切り詰めて生活しなければならないお年寄りが多いと聞きます。
その方々に話を伺ったテレビを観ましたが、「まさか、自分や妻がこんなことになるとは思わなかった」「どうにかなると思っていた」とインビューに応えていました。

そうなんです。老後の準備をしないと大変なんです。
「自分は大丈夫」「まさか自分には起こらない」は通用しません。
定年まで安泰でもないし、定年後も年金生活だけで十分ではない時代なんですね。
だから、これからどう生きていくか?をもっと真剣に考えなければなりません。

健康に、仕事を持って、生き生きと生活できる老後。
人とのつながりを持って、自分も人の役に立って、人から助けられて、
互いに共存できる世の中を創ることが必要なのだと思います。

それは、人に頼るだけでなく、自分から、自分の周りから、できることから始めていく。
これからは、そんな風に生きていこうと思います。

なるべく自分の介護年数は長くないほうがいいですよね。
ピンピンコロリが理想ですが、そのためにはまずは健康でいることです。

子育ても大変ですが、老後はもっと大変。
子どもを自立させるよう育てた後は、自分の人生を楽しむことを考えて、
長く生きがいを持って働ける仕事を持つことが、必要なのかもしれませんね。

8月31日と9月1日に三峯神社へ行って氣守をいただいてからというもの、
クオカードが当たったり、取材の依頼が入ったりとラッキーなことが続いています。
ちょっとうれしい♪

二日とも、1332mの山頂にある奥宮へ山登りをしましたが、
つくづく山登りって人生の縮図だな、と感じました。

山を登っている最中の人は険しい顔をしているけれど、山頂を達成させた人はすがすがしい顔をして下りてきます。登る人が下りてくる人を見たら簡単に達成できるのかと思ってしまいますが、自分が登ると険しさを知ることになります。
奥宮は簡単には拝めませんが、努力すれば到達できます。
登る途中では想像もできなかった景色が、到達した人だけ絶景を眺められます。
そして、頂上を知った人でないと、”序の口”はわからないんだな。
序の口出歩いている人が、頂上から下りてきた人に「もうすぐですか?」と聞いてきます。「まだまだですよ」と答えます。「え~まだ歩くの~」と愚痴っても、頂上が近くなるわけではありません。
黙々と地面を踏みしめて歩くしかないのです。
でも、その途中では、美味しい空気、涼しい風、きれいな草木、自然が心を癒してくれます。だから、「がんばろう」という気持ちを奮い立たせてくれるんですね。

これって、起業もそうですし、子育てもそうです。
山登りをしてみるとよくわかりますね。

そして、奥宮へ行こう!と思わなければ行けません。
行きたくても遠いから行けないわ、歩くの面倒、大変そう、時間がない…なんて思っていたら、到達なんてできないんです。
だから、まずは一歩踏み出すことが大事なんだなと思います。

序の口まで来た人は、行ってみようと思ったから来れたんです。
ということは、奥宮へ行けるチャンスがあるということです。
来れただけすごいことなんだと思います。

でも、下りてきた人に「頂上までどのくらいかかりますか?」と聞いて、
「1時間。険しいですよ」と聞いて諦めて引き返していく人もいます。
チャンスは目の前にあっても、人の話を聞いて諦めて引き返してしまう人もいます。

チャンスは自分で掴むものだということがよくわかりますね。
険しくてもやり遂げた達成感は、やってみないとわからないものです。

目の前にあるものを諦めてしまっている人は、ちょっとの努力で達成させることができるのかもしれないですよ。一歩踏み出してみてはいかがでしょうか。


思い出したら、また三峯に行きたくなりました…

先月だったかな。
休日にホームセンターで商品を見ていたら、70代くらいの女性の方が私に近づいてきて、「ちょっといいですか?私はT市に住んているものですが、菩薩様のお話を聴いてみられませんか?」と、話しかけてこられました。
よくある宗教の勧誘かな、と思い丁重にお断りしたんです。

若い頃は道を歩いているとよく色んな宗教の方から声がかかっていましたが、久しぶりに声がかかったなと思いながら、フッと思ったことがありました。
「なぜ私に声をかけようと思われたんですか?」と聴いてみたんです。
すると、「雰囲気でかな。感でしょうか」とのこと。
『私って、どんな雰囲気なんだろう?悩みのある顔してたかな…』なんて思っていたら、
「もしかして、○○神社で女性の神主さんが出たと聞きましたがあなたではないですか?」
と返され、そっちの方?!ちょっとびっくり!
もちろん「違います」と笑顔でお返事して、「そうですか?」とその方は去って行かれました。

家に帰って考えてみました。
これって、何のお知らせだろう?
神主になれってこと?無理無理…。
でも神様は大好き。将来は神社にご奉公させてもらおうかな…。

それから数日後、不思議なことに滞っていた事がタイミングよくトントン拍子で進んでいき、新しい人との出会いが続きました。それと同時に、新しく出逢った人たちからの悩みも聞こえてくるようになったんですね。

これはステップアップしなさいということなんだろうな。
自分の今の場所から、一段も二段もレベルアップしていかなければ助けられない人がいるということなんだと思いました。

今月末に秩父の三峯神社に宿泊するので、パワースポットでゆっくり充電しながら瞑想してこようと思います。