私は、「適当」という言葉をよく使いますが、
「適当に」とは、「ほどほどの加減で」とか、「適度にちょうどよいところまでやる」ということで、「いい加減」という意味に捉えられると全く別の意味になってしまいます。

「適当」という言葉の意味は、
1. ある性質・状態・要求などに、ちょうどよく合うこと。ふさわしいこと。
2. 度合がちょうどよいこと。
というように、「適切かつ妥当」を省略された言葉で、本来いい意味で使われるものなんですね。


さて、適当の言葉の意味はこれくらいにして、
保育の現場では、この「適当」がとても重要になるので、今日はそれについてお話ししたいと思います。

これはあくまで私の考えですので、大規模園では通用しないかもしれませんが、
保育士さんたちのご参考になればと思います。

子どもたちを見るときに、一番気を付けなければならないことは安全面です。
しかし、子どもは気を付けてみていても、転んだり、かんだり、叩いたり、蹴ったり、投げたり、予測不可能な行動をとったりするので、プロの保育士であっても全て防ぐことは不可能に近いです。

勘違いしている親御さんも中にはいらっしゃいますが、子どもはケガをさせないように育てるのではなく、子どもはケガをするものだということを前提に考えなければなりません。でなければ、ケガをさせないようにするために遊ばせられなくなります。
それでは、子どもは遊びから様々なことを学べなくなり、益々ケガを回避する力が育たなくなります。もっと大きなケガをすることにもなりかねません。

子どもはケガをするものですが、大けがをしないために”適当”にやるのです。

保育現場では、子ども一人ひとりに関わることはとても大事なのですが、一人に集中してしまうと他の子どもに目が行き届かなくなってしまいます。
だから、ここです!ここ(個々)の適当さが大事なのです。

一点集中するのでなく、全体を見ながら適当に個々に関わることで、安全面と個別対応ができるのです。力を入れるところも一点ではなく、適当に分散させます。
それを保育士チームで行うのです。

保育士同士で声を掛け合って、適当に分担します。
ちょうどよい位置について、子どもたちを見るのです。
この時も、適当に全体&個々を見ながら行います。

保育士は、子どもたちとほどよく関わるのです。
関わりすぎてもよくありません。
子どもが先生を求めていないのに、先生が先回りして声をかけても子どもの集中力を妨げるだけです。声をかけることも、ほどほどでいいのです。できれば声をかけないでいてあげた方がいいときもあります。反対に声をかけなければならないときもあります。それも、その場の適当さが大事です。

また、保育士は、しゃべりすぎても、一生懸命にやりすぎても、真面目すぎても、
”過ぎたるは猶及ばざるが如し”です。

やはり「適当に」、「ほどほどに」が、保育の鉄則ですね。

大人が何でもやりすぎると、子どもの伸びようとする芽が摘まれてしまいます。
伸びる芽を摘むことなく、栄養と水とお日様の光を適当に与えるように、
バランスよく育てることが大切なんだと思います。

先日、ある人にわからないことがあったので質問したところ、
とんちんかんな答えが返ってきて驚きました。
どうして、質問したことについて、素直に受け答えできないんだろう?
不思議だなぁ…?


ものは考えようといいますが、
素直に考える人と、ひねくれて考える人の違いは何かなって思います。

ひねくれ者になると厄介ですよ。
周りもですが、本人が一番困ります。
自分の考え方が悩みになっていくからです。


相手からの言葉をそのままの意味で受け取ることができないから、
やっぱり素直じゃないのよね。

ひねくれ者になっても良いことは一つもない。

どうしてそんな考え方になるの?
もっと素直に受け取れないのかな?
そのうち、周りの人たちが面倒になって、離れていくよ。

裏の裏は表だよ。
結局は裏なんてないんだよ。

自分が思っているよりも、人は単純だから。

…って、言ってもらえるうちが華です。

あなたは上司や同僚、家族に信頼されていますか?


仕事をしていると、信頼関係が最も重要だということがわかります。
自分ひとりでは仕事と家庭の両立はできないので、家族からの協力もないとできないことです。

「自分は信頼されているか自信がない…」 と思った人は、
どうしたら周りの人たちに信頼される人間になれるかを考えてみましょう。

私は仕事を任せる立場の人間ですから、信頼は特に重要に思っています。


人と人とが信頼関係を築くためには会話が必要です。
会話のないところに、理解は難しいです。
相手を理解できなかったら、問題の解決も難しくなります。


あなたは周りの人の考えや思いを聴いていますか?
自分の考えや思いを話していますか?


いいことだけではなく、マイナス面も上手に伝えることが大切です。
そこに体裁があってはいけません。
自分の利益のためではなく、皆がよくなるために言った言葉はキチンと話せば理解してもらえるはずです。伝わらなかったら、もう一度話すくらいの勇気があるかどうかです。
それに対して、相手がどう思うかは相手が考えることです。

心を開くこととは、相手を受け入れ理解し、一緒に進もうという意図と準備があると言うことなんですね。それを相手に伝えることが大切なんだと思います。体裁やプライド、相手がどう考えるかを気にしすぎると関係はそれ以上進まなくなります。
通じないのは、単に会話が足りないのかもしれません。

他力本願ではいけませんよ。
待っていても相手は来てくれません。
黙っていても解ってはくれません。
自分からアプローチしなければ、伝わらないと思った方がいいですね。

しがらみや執着心も、それが邪魔をして生きづらくなっているのなら、そんなものは私たちが生きていく上であまり必要ではないのかも。なくても生きていけます。それどころか、しがらみや執着心が強ければ強いほど人間関係は難しくなるのではないでしょうか。

「話す=放つ」ことでスッキリして身も心も軽くなれれば、
また新しい景色も見えてくるかもしれませんね。


今年度もあと1か月半。
教育・保育業界は、4月がスタートです。
また新しい園児が入園してきます。

新しい年を迎えるためにも古い自分は捨てて、
新しい自分になって、心機一転して迎えたいと思います。

この連休中に、娘が住んでいる地域では、子安講(こやすこう)という行事が行われたそうです。子安講は昔から関東地方に伝わっている独特の風習だそうですね。

ちょっと調べてみました。
各地区ごとの既婚の女性が集まって子安神を祀り、安産を祈る行事で、
だいたい19日に行われることが多く「十九夜講」とも呼ばれているそうです。

地域のお母様方が集まり、観音様のかけじく、人形、太鼓など地域によってお祀りするものは違うようですが、代々伝わっているものを祀り、お参りをして、お昼を食べるそうです。

お嫁さんが来ると「仲間入り」と言ってお披露目をし、お姑さんと交代するそうです。
赤ちゃんが生まれるとご祝儀を頂き、生まれたことをお披露目もあるとのこと。

最近では、時代の流れで子どもが少なくなって、縮小傾向にあるようです。
子どもが少なくなっている地域では、廃止されるところもあり、今では子安講をやっている地区も珍しくなってきたそうですね。

農家が多い地域なので、昔からご近所で力を合わせて助け合ってきたのでしょう。そんな集まりや、お祭りがある事で地域が団結しているのだなと感じます。何よりも、子どもを授かり守る神様が地域で見守っていてくださることがありがたいですね。

子孫たちのためにも、そんな素敵な風習を大切にしてもらいたいな、と思います。

私は今、社会福祉士任用資格講座を受講していますが、
将来は圧倒的に介護や保育等の福祉事業に携わる人の数が足りなくなることがわかりました。

こちらをご覧ください。
内閣府「高齢者の状況」より
平成37(2025)年には65歳以上の認知症患者数が約700万人に増加
・65歳以上の高齢者の認知症患者数と有病率の将来推計についてみると、平成24(2012)年は認知症患者数が462万人と、65歳以上の高齢者の7人やに1人(有病率15.0%)であったが、37(2025)年には約700万人、5人に1人になると見込まれている



団塊の世代が後期高齢者(75歳以上)に入り、日本は未だかつてない高齢化社会に突入します。7年後の2025年には、認知症患者は700万人を超えると言われ、5人に1人になる時代が来ます。

自分が認知症になってしまう可能性もあるのです。そうなると成年後見人も必要となるでしょう。認知症や知的障害、精神障害により判断能力が不十分になった人の財産管理や生活をサポートする成年後見制度は、今や毎年約1万人のペースで増加しています。後見を必要とする人数は実際にはもっと多く、まだまだ利用は進んでいないようです。家族や自分の「もしもの場合」にどう備えるかを考える必要があります。

介護福祉士や介護支援専門員なども不足しています。
介護を支える側の人材不足に女性の活躍が期待されます。そうなると、子どもを保育所に預ける人も当然増えるわけで、現在でも待機児童問題があり保育士不足が深刻です。

将来はそれがもっと深刻になります。

ですから、政府は福祉に従事する人を増やすべく、福祉系大学や福祉従事者の処遇改善に力を入れている訳です。

福祉の仕事は大変なことも多いですが、お年寄りや子どもからたくさんの喜びをもらえるやりがいのある仕事です。若い人たちが、喜びや達成感をたくさん感じられる福祉の仕事に従事してもらうことを心から願っています。