以前、駅のベンチに座って電車を待っているときに、隣のベンチからこんな素敵な会話が聞こえてきました。同じく電車を待っていた老夫婦(だと思う)の会話です。
(ここではあえて、夫・妻とします)

妻:「お父さん、これ(チラシで作った入れ物)持って行こうと思って作ったの」
夫:「そうかい。よくできたじゃないの。いつ作ったの?」
妻:「テレビ見ながらでも作れるわ。これ便利なのよ。ミカンの皮とか入れると散らからないし」
夫:「そうだね、よく気がついたね。喜ばれると思うよ」
妻:「お父さん、はい」(飴を渡す)
夫:「ありがとうね」
妻:ニコニコ

私はこの会話を隣で聞いていて、微笑ましいと同時に「すごい旦那さんだな・・・」と感心しました。夫が上手に妻の話に相づちを打って、短い時間に妻を認める言葉を「よくできたじゃないの」「よく気がついたね」「ありがとうね」をふんだんに使っていたことに驚きました。それこそ、『コーチングのスキル』がこの会話にはあったのです。
それを言ってもらった妻は嬉しくなって、ニコニコと穏やかに会話ができたのだと思います。


きっとこのご夫婦は、お互いに相手のことが大好きで一緒にいるのだと感じました。
当たり前のことのように思いますが、「これが夫婦円満というものかな」と思います。

何十年連れ添っても、心の繋がりを築けるまでになった夫婦は意外と少ないのではないでしょうか。
最近、ある30代の男性から夫婦問題の話をお聴きしましたばかりですが、「夫婦の会話がない」とおっしゃっていました。また、相手のことが好きかもわからない(または嫌い)という夫婦も意外と多いんです。

相手が会話しなくなってきたら、自分の言動を見直してみましょう。
きっと気付いた人の方が成長できるのだと思います。

特に、子育て中の夫婦の会話は、子どもが見ています。
笑顔で会話している夫婦の家庭では、子どもの『会話力』が育ちますね。

家庭円満は、夫婦の会話から。
たわいのない楽しい会話ができたら、いい夫婦・いい家庭ですね。


子どもは十人十色。それぞれ個性があります。
好きなこと、やりたいこと、興味のあること、性格・気質も千差万別。
親兄弟だって違うものです。

親が育った時代と現代とでは、時代背景も違います。
「私が育った頃はこうだった」「こう育てられた」と思っても、同じやり方が通用しない場合もありますね。

「どうしてできないの?」「あれやっちゃダメ、こうしなさい」とマイナスのイメージばかりを伝えてしまうと、子どもは自分はダメな子なのかと自己否定の気持ちでいっぱいになり、これが将来自己肯定できない自信のなさになってくるようです。それが続くと、子どもは委縮してしまいます。そんな我が子を見てまた親の方も、心配したり、イライラしたり・・・。

知らず知らずのうちに、親が子どもの‘伸びる芽‘を摘んでいるのかもしれません。
そんな状態では、親も子どもも辛くなりますね。
何よりも子育てを楽しめなくなってしまいます。

そんな我が子でも、お腹にいたときは「五体満足で元気に生まれてきてほしい」「健やかに育ってほしい」と思ったことでしょう。我が子にどうなってもらいたいかは、子どもが成長するにつれ親の欲が出てきますね。

子育てがわからなくなったら、生まれた時のことを思い出してみてください。
生まれたばかりの我が子には、きっと何も求めなかったはずです。

成長した今はどうでしょう?
「あれができない、これができない」と嘆いてはいないでしょうか。

子どもは伸び伸びと健やかに育ってくれたら、それで良しとしませんか?
子育てでは、「これでいいんだ、このまま大きくなればいいんだ」という気持ちを子どもに持たせることが大事だそうですよ。

そのためにも、ありのままの子どもを認めて、
「こんなこともできるようになったのね。すごいよ」「やったね!」
とプラスの言葉を子どもに伝えることが大切です。

小さい子どもを育てている間は本当に大変かもしれませんが、それも過ぎて見ればあっという間。子どももいずれ大きくなって、楽になる日が必ず来るはずですから、あと少しの辛抱ですよ^^

先月、取材を受けた‘日本最大級の経営者ウエブ番組‘『千葉の社長tv』が、
今日から放映になりました。
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本当に頭がいい人とは、『バカになれる人』のことだと思います。

ここでいう『バカ』とは、「私利私欲なく、損得を考えない、素直で思いやりのある行動」のことです。やさしさもここから生まれてくるのだと思います。

冗談を言って場を和ませたり、誰かのために泥をかぶるような思いも平気でやったり、利益にならないようなボランティアを一生懸命やったり・・・。
しかし、そういう『バカ』をやってくれる人は、実はその先のことを考えている人だと思います。

人の気持ちのわからない人は、そんなバカなことをしている人を見下したり、見向きもしないでしょう。
でも、バカになれる人は、そういう人の評価をあまり気にしないし、そんな人も許してしまいます。

もう一つ、『バカになれる人』ことがすごいと思うことがあります。
それは、バカになれる人=悪者になれる人 ということです。

世の中の人が正しい人ばかりだったらどうでしょうか?
「私は悪くない」「おれの方が正しい」となります。
すると、間違っているのは相手であって、自分が正しいとなると喧嘩(戦争)になってしまいます。
しかし、バカになって、悪者になれる人は、
「自分が悪かったよ」と言ってくれるでしょう。
自分が悪かったと言って悪者になってくれたら、相手も
「そんなことないわ、私も悪かった」となるものです。

バカになれる人は、世の中を明るく平和にしてくれる人なのだと思います。
こういう人が、本当はとても頭と心のいい人なのです。

見栄や体裁を気にしていくら自分を良く見せたって、その人の心は周りの人に丸見えかもしれません。だって、人はどうしても心に持っているものが波動となって伝わってくるからです。
どんな人でも、感覚的にその人の『人となり』というものがわかってしまいます。
気づいていないのは本人ばかり、ということもあります。
見た目は繕えても、心は繕えません。
出てくる言葉や表情、態度の端々で、周りの人はその人の人柄を敏感に感じとるからです。

だから、バカになってくれているいい人を周りの人がほっとくはずがありません。
バカになってくれた人(悪者になってくれた人)の役に立とうと思うのでしょう。


バカになることは『徳積み』

人徳のない人には、人はついてはいきません。
家徳のない家は、崩壊してしまうかもしれません。
社徳のないところには、人も仕事もお金もうまくは回りません。

『バカになれる』ということが、実は最も高貴な生き方なんだなと思います。