法務省が出している『犯罪白書』というものがあります。

その中の「入所受刑者の人員・人口比の推移(男女別)」によると、
平成24年入所受刑者は、女子2,225人に対し、男子22,555人となっており、犯罪者のなんと9割が男子だということがわかります。

少年院に収容される少年も9割は男の子。
興味深いのは、その育てられ方の統計です。
少年院に収監される少年の6割にあたる子どもが、子どもの頃に親に溺愛されて育てられたというのです。これは、以前少年院に指導員をしていた方が、「少年院に入ってくる子どもの幼少期の育てられ方はどうだったか」という生育歴を調査した結果だそうです。それに対し、虐待や親の愛情欠如で非行に走ってしまった子どもは、ほんの数%でした。

溺愛がいかに子どもをダメにしてしまうか、ということがわかります。

さらに、その調査結果には注意する点があります。
父親の溺愛が原因で非行に走った子どもは1・3%、祖父の溺愛が原因は0.9%。
父親は仕事などで外に出ていることが多く、物理的にも子どもと関わる時間が短いのと、母親ほど気が回らないために、溺愛してもさほど大きな影響はないのでしょう。

それに対し、母親の溺愛が原因は69.5%、祖母の溺愛は22.1%にも及びます。
女親の溺愛が、非行の大きな引き金になっていることは明らかです。

溺愛された子どもは、何もかもを「人のせい」にする甘えきった青年に育っていきます。現代の不登校、引きこもりの数は、160万人以上ともいわれます。これは男女を含めた総数ではありますが、自立できない人がいかに増えているか、ということです。

男の子を育てるお母さんは、溺愛の過保護、甘やかし、手出し・口出しがいかに我が子をダメにするかをよく考えて子育てしてほしいと思います。

男の子と女の子の育て方は違います。
母親は自分が女性だから、男の子の特徴や気持ちがよくわかりません。
ですから、父親の考えをよく聴くことです。
だいたいのお父さん方は、「ほっておけ」と言います。
それでいいのです。

泣いたら抱っこで、「かわいそう、子どもの気持ちを考えてよ」と母親は言います。
そうやって、母親に助けられて育てられた子がどうなるかを考えていません。

「ほっておけ」というのは、「自分で考えさせろ」という意味です。
男の子というのは、本来弱いものです。
うまくいかなかくて泣く、自分の思いが通じなくて泣く、痛くて泣く、悔しくて泣くのです。それをいちいち母親が手を貸していたら、泣けばお母さんが助けてくれると学習してしまうでしょう。

次第に欲求するものが大きくなり、泣くどころかわめき散らして、終いには暴力に発展する、という図式になるのです。

手が付けられなくなってしまったら、元に戻すのは至難の業。
そうなってから、「私の育て方が悪かった」と後悔しても遅いのです。

ですから、男の子は突き放すくらいがちょうどいい。
「かわいそう」という母親の気持ちが、男の子をダメにするのです。

男の子のやる気スイッチは、悔しさです。
負けて悔しい、できなくて悔しい。
だから、
負けたくない、できるようになりたい、強くなりたいと思うのです。

1番になったら、できるようになったら、強くなったら、すごく嬉しい。
すると、もっとがんばりたくなるのです。


悪い道に行くのは、エネルギーが余っているからです。
男の子は、幼い頃から十分に運動をさせてあげましょう。

運動神経機能を司る小脳は、6歳までに出来上がると言われています。
幼児期は走らせることで、走り方の基本を覚えてきます。
自分の身体の使い方を覚えさせることです。
すると、学童期になって運動の基本ができている子は、その後に行う様々なスポーツがうまくできるようになります。

運動神経を育てることは、エネルギーを良い方向へ使うことになり、悪いことを考えなくなっていくものです。男の子は頭で考えるより、身体を動かしながら体験を増やすことで考える特徴があります。

母親の仕事は、男の子にスイッチを入れさせてやること。
一歩下がって、伸びるように見守りながら育てることです。


『常識』という言葉を調べると、
「社会の構成員が有していて当たり前のものとしている価値観、知識、判断力のこと。また、客観的に見て当たり前と思われる行為、その他物事のこと」
とありました。

常識のないことをすると非難されます。
人は非常識を嫌い、皆と同じものの価値観を当たり前として受け取っています。

しかし、常識はかならずしも良識ではありません。
ましてや真理でもありません。

人間が生きていくために社会の中で衝突をさけ、楽にいきていくための方法が『常識』ということだと思います。

でもその常識は、時代や地域によって変わっていくもので、私たちが生きていく上での判断基準には、けっしてなり得ないものではないでしょうか。

常識に囚われている人は、自分に正直に生きていくことは難しくなります。

昔の常識・非常識で言えば、
「女は家庭に入って、家事や育児に専念すること」
「離婚は非常識。世間体が悪い」
と言われてきました。

しかし、今はどうでしょう?
女性が外でバリバリ働いていますし、家庭を守る主夫もいます。
様々な理由で、人生の選択に離婚を選ぶ人もいます。
現代でそれを非常識とは呼びません。

日本では、子どもの頭を撫でてヨシヨシしても誰からも怒られませんが、
インドで、子どもの頭を撫でるのは非常識。
頭には神様がいると信じられているためです。
これは宗教の違いによる非常識です。


私たちが囚われている『常識』と言われるものは、
果たして、自分が望んでいること、やりたいことなのだろうか?

私は非常識な人間かもしれません。
家庭のことより仕事を優先させています。
我が子より、他人の子の方を見ています。
良妻賢母になることより、自分に正直に生きようとしています。

そんな人間が教育・保育を語っているのですから、
世間から見たらとても非常識な人間だと思います。

子どもにやさしい言葉をかけることもしません。
反対に厳しい言葉で突き放しています。
お母さんなら、子どもにやさしくするのが常識でしょう。
でも、天から見たら、子どもを甘やかす方が非常識なことのだと思います。

だから、常識に囚われない判断をするためには、
目線はいつも天から見た自分です。

人間の自分が一生懸命まっすぐに歩いているつもりでも、
天から見たら道に外れていることは明らか、だったりします。

反対に、人から非常識だと言われても自分の信じる道を歩んでいれば、
それは天から見たら、まっすぐに歩いている場合もあるのです。

自分の姿は自分では見えません。
自分の姿を見るためには『鏡』が必要です。
その鏡はどこにあるのか?
それは、天にあるのです。

天からの目線でしか、本当の道を歩いているか、
本当の自分の生き方をしているかはわからないのだと思います。

人の目を気にして、自分の心のままに生きられないでいれば、
それはいつか『後悔』となって、自分を蝕んでいくでしょう。

私は、自分の人生を後悔したくないと思っています。
後悔しないために、自分の人生には責任を持って歩いていきたい。
責任とは、自分の人生をよりよく開花させること。
自分が生まれてきた意味はそこにあります。

神様は、人間の成長を望んでいます。
人間の常識に囚われて成長できないことは、天から見たらそれは非常識なことです。
何のために生まれさせたのか?と、神様は思うことでしょう。

だから、私は自分が成長するために、
自分の人生に責任を持って、悔いのない人生にしたいと思います。

それが、例え人間の非常識であろうとも、
何も恐れるものはありません。

保育園の子どものお着替えを見ていて思いました。

子どもは脱ぐことはできても、着るのはなかなか難しい。
1歳児で脱ぐことができ、2歳児でズボンがはけ、3歳児でシャツが着れたら大拍手です!!

ん…?!
これって、大人でもおなじかしら…。

古い自分の殻を脱ぎ捨てないと、新しい自分にはなれない。
でも、新しい自分になるのは、なかなか難しい…。

なんだか、子どものお着替えと似ているなぁ、と思いました。
まずは、古い自分の殻を脱ぐことから始めないとね。

でも、大人は脱ぐことも難しかったりして…

幼児の情緒が安定しているかをみる目安に、
『よい声 よい顔 よい動き』 というものがあります。

よい声…ご機嫌がいい
よい顔…表情がいい
よい動き…自主的・意欲的に取り組む姿勢

情緒が不安定な状態とは?
欲求不満で甘える、すねる、泣きわめくほどの神経質、ヒステリーなど、
手の付けられない状態になることもあります。

よい声 よい顔 よい動きで言えば、
「機嫌が悪く、泣いたりわめいたりわがままをいう、自分からやろうとしない」
「わがままを言って、やたら甘えてくる、ダメだというとすねる」
という状態になることです。

どうしてこのようなことが起こってしまうのか?

ルソーの言葉に、
「世の中には、自分の子どもを保護することばかり考えている者があるが、それでは十分とはいえない。だんだん成長していけば、自分で自分を保護するように育てなければならない。どんな運命に痛めつけられようとも、どんな貧乏にも耐えていけるように、必要とあらばアイスランドの氷の中でも、マルタ島のやけつくような岩の上にでも、それに耐えていけるような、そういう子どもに育てなければならない」
というのがあります。

間違ってはいけないことは、子どものご機嫌をとることではないということです。
子どもの欲求を全部満たすことが情緒を安定させることではありません。

また、放任もよくありません。
好き勝手のやりたい放題、ほったらかしにされている子どもがはたして情緒が安定するでしょうか?

情緒の安定は、人格形成をつくる上での基礎・土台になるとても重要なものです。
何事も自分本位で耐えることを知らなければ、精神虚弱になってしまいます。
これは、大人になってからも変われない『根性』の問題になっていくのです。

乳幼児期の人間教育がいかに重要であるか、
保育現場で子どもたちをみて感じているところです。