『明るく、楽しく、気持ちよく生きていると幸運が向こうからやってくる』と言います。

幸せな人生を送るために、運は大事ですね。
『運も実力のうち』と言いますが、幸運を呼び寄せるためには、日ごろの行いや心がけがやっぱり肝心なのだと思います。

明るくなるためには、周りの人を照らしてあげること。
楽しくなるためには、自分のやりたいと思うことをやること。
気持ちよくなるためには、自分の魂の声に忠実に生きること。

だからと言って「苦労は避けて通れ」と言っているのではありませんよ。
不正や意地悪をして得をしたり、人を妬んだり、恨んだり、ひがんだりしても、運は良くならないということです。

周りの人が明るくなるように、楽しくなるように、気持ち良くなるように、自分が率先して行うことが大事なのですね。そうすると、自分も明るく楽しく気持ちよくなり、頑張らなくてもきっと幸運は向こうからやってきますよ^^

笑う門には福来る。ワハハハハ~

来年も良い年でありますように

”老化現象は加齢と共に加速する”って聞くと、齢を取るのが怖くなりそうですね。
でも、これって本当のことなんです。

女性の身近なことで言うと、お肌や髪、身体の衰えかな?
いくらメンテナンスをしていても、ある年齢以上になると老化のスピードの方が勝ってくるんです。

急激に女性ホルモンが減少し始める更年期は、心も体も著しく変化を起こす時期。
例えば、お肌の状態が変わるのは、今までお肌の潤いを守ってきた女性ホルモンが、減少しているからだそうで、それにともなって、お肌の内側にある「真皮層」のコラーゲンも減少することが、大きな原因のひとつなんですって。

そういう私も40代後半頃から、身体や肌・髪の衰えを感じるようになりました。心にも今までとは違う変化を感じます。

ということは、化粧品をアンチエイジングに変えるように、心も身体もシフトチェンジする時期なのでしょう。50歳になりましたし、新しい年を迎えることですし、これを機に新しい自分の構築をしていこうかと思います。

まずは、食事。大豆食品などを積極的に取り、
スポーツジムで身体を鍛えて、
エイジングケアでリフレッシュして、若返りを目指そうと思います


我が家の二男(高1)は、家のいる時は冬でも半袖半ズボンに裸足です。
「寒くないの?」と聞きますが、部屋の中だから寒くはないようです。
そのままの格好で、夜も布団に入っています。

そう言えば、うちの息子たちは年中裸足でした。
厚着をさせた覚えがないですね。
着せてもすぐに脱いでしまいましたから。

特に暑がりでもないのですが、よく動くので厚着だと動くのに邪魔なようです。

薄着の効果か、風邪はめったに引きません。
大きくなってからは、病院にもあまりかかったことがないです。

齢を取ってくると自分が寒がりになるのか、薄着の子どもを見るとついつい「寒くないのかな?」と思ってしまいがちです。でも、子どもは大人の何倍も動いているので寒くないのです。厚着をさせるから動けなくなり寒がりになる。という構図があるようです。

こんなサイトがありましたので、ご紹介します。
子どもに厚着をさせているなと思う方、参考にしてください。


「子供に薄着が良い4つの理由」と正しい薄着をさせる3つのコツ より

■「薄着は子供の体を強くする」って聞いたことありませんか??■

子供は大人より体温が高いので大人が思っているほど寒くありません。

1、自律神経が鍛えられる

子どもに薄着が勧められるのは、自然の気温の変化に慣れさせ、自律神経を鍛えるために必要だからです。
普段から厚着に慣れているとどうなるかといえば、外の気温の変化を捉える皮膚の感覚器官が鈍くなり、自律神経の働きも鈍り、免疫力も強くなりません。

2、思いっきり体を動かせる

「うちの子供、あんまり動かないから・・・」
 ●それは、子供が厚着してて動きづらいから、動かないんです。


3、風邪を惹きにくくなる

冬場に屋外で汗をかいたままで冷えてしまうとかぜの原因になります。
厚着だと汗をかきやすくなります。

厚着で暖かすぎると、身体の放熱反射(体熱を放射する反射)が強くなり、逆に冷え込んでしまいます。冷たい風にあたったりすると、厚い衣類を着ている人はすぐに体温が奪われやすくなってしまうのです。その結果、風邪もひきやすくなってしまいます。

4、寒さに強くなる

「子供が寒がりで、寒いっていうんだけど・・・」
それは、子供に厚着をさせているから寒がりになっちゃうんですっ!!


■ただし、ただやみくもに薄着をさせるのは逆効果です■

寒い時期に薄着にさせると、それだけ子どもの体力も消耗するので、並行して、基本的な食事、睡眠などの生活リズムを整えたり、適度な運動、遊びをしながら体力をつけていかなくては、子どもの体に負担がかかってしまいます。

薄着をさせる時期は
新生時期はともかく生後6ヶ月を過ぎたらなるべく薄着にしましょう。

「大人より一枚少ない薄着は全身運動が始まる生後六カ月ごろから。
  一、二カ月の新生児は大人より一枚多めに」


どの程度薄着させればいい?
大人の服装マイナス一枚より着させていたら完全に着せすぎです。


では、薄着のコツは??

1、薄手の服を重ね着する

涼しくなったからとすぐに厚手の服や長袖長ズボンを着せるのではなく、薄手のベストや上着を重ね着すると厚手のトレーナーを1枚だけ着るよりも温かいですよ。

2、背中を出さない

背中には内蔵の治療に用いるツボが沢山並んでいるのですが、背中の大きく開いた服を着ると、重要なツボを冷やしてしまうのであまり着させない方がよいでしょう。

大人より1枚薄着にして、背中(腰)がすっぽり隠れるシャツを一番下に着させます。
保育園の先生曰く、どんなに厚着をさせても背中が出ていると風邪をひくんだそうです。

3、頚(くび)が隠れる服を着る

東洋医学では、頚を冷やすと風邪をひきやすくなると考えられているので、冬場は薄着をさせるとはいえ、頚周りの大きく開いた衣服はさけるようにしましょう。

大切なことは
寒いからとすぐに厚着をさせる、暖房をつけるのではなく、「外で運動したら暖かくなるね」などと声をかけ、運動したら体が暖まることを体感させることも重要です。

周囲が「着なさい」「脱ぎなさい」と指示ばかりしていると体温の管理や衣類の調節ができなくなるので、自分で判断できるように促す、また自分で脱ぎ着しやすい服装に工夫することが大切です。


今日は皆様にご報告があります。
この度、小規模保育園を設立する運びとなりました。

本日、市役所に小規模保育園の申請書類を提出し、受理されましたのでご報告いたします。

≪概要≫
名称:ありんこの森保育園
住所:大網白里市永田
事業の種類:小規模保育事業B型
定員(変更):1歳児6名、2歳児6名 合計12名 ※1~2歳児の待機児童が多いため
平成28年4月1日開園予定。

≪小規模保育園設立の理由≫
現在開設しております認可外保育施設「ありんこ親子保育園」(以下、本園)は、平成21年4月開園以来、千葉県の優良保育園として活動をしてまいりましたが、今年度、認可を目指す保育施設として千葉県から承認されました。平成29年4月を目標に認可を受ける予定です。
しかしながら、本園が認可されますと施設の設備の関係で2歳児以上の園児しか預かれなくなってしまい、1歳児の預かりが出来なくなってしまう理由で、この度、大網白里市の認可施設として、「ありんこ小規模保育園」を設立する運びとなりました。

≪背景として≫
大網白里市でも待機児童が増えており、特にみずほ台、永田、駒込の駅周辺での乳幼児の保育要望が高い状況です。大網白里市の発展のためにも、住みよい街づくりのためにも働く人を増やしていく必要性を感じており、早急に待機児童緩和の対策が求められております。この度、多くの子育て世代の皆様方の後押しを受け、小規模保育園を設立することとなりました。

≪今後の予定≫
中古物件を購入しましたので、1月にリフォームと改装工事を行います。
2月、子ども子育て会議にかけられ、その後、大網白里市から認可を受ける予定です。
本園の保護者には、2月以降に詳しい内容のお手紙を配布いたします。
3月、内覧会を行います。

≪環境≫
大網駅から、歩いて18~20分程の徒歩圏内。
本園から、歩いて4分程の場所。
緑に囲まれた敷地面積約300坪の広いお庭には、様々な木々が植えられており、四季折々の風景が楽しめます。朝になると鳥の声が聞こえ、そこはまるで森の中にいるようです。
このような自然豊かな素晴らしい環境で、子どもたちを育ててみたいと思いました。

≪小規模保育園とは?≫
小規模保育事業とは、平成27年度施行の「子ども・子育て支援新制度」による、市の認可事業(地域型保育事業)のひとつで、市の認可を受けて0歳児から3歳未満児を対象に、定員「6人以上19人以下」で行う保育園を小規模保育園といいます。施設の整備や運営に関する基準、給食の提供、保育料など、基本的に認可保育所に準じています。少人数保育により、お子様の発達に応じたきめ細かな保育を行います。

申込について
大網白里市役所子育て支援課において入所申込みを受付けます。

施設類型について
施設類型には、下記の3類型があります。
● 小規模保育事業A型…要保育従事者数のうち全員が有資格者
● 小規模保育事業B型…要保育従事者数のうち1/2が有資格者
● 事業所内保育事業…企業が設置する施設で、企業の児童と併せて、地域の児童を定員のうち1/4以上預かる事業所
 (有資格者の割合により小規模保育事業A型、小規模保育事業B型に分けられます)

子ども一人ひとりに沿った保育が可能
決まったプログラムを実施するだけでなく、子どもたち一人ひとりの発達や興味に応じ、その日の活動を臨機応変に変更できます。

保護者の子育てにも伴走する保育
子どもへ目がよく行き届くため、保護者の不安も解消します。 母乳育児支援や障がいを持つお子さんを積極的に受け入れる園もあります。

子どもの個性に合わせた保育
集団に馴染めない子どもにも丁寧に対応できます。

3歳になったら?
連携する認可保育園に移行することができます。ありんこの森保育園の場合、連携する「ありんこ親子保育園」が平成29年度より認可保育園になる予定です。現在、本園は認可化移行の施設として補助金対象の施設として運営しています。連携施設として本園と合同保育も可能ですので、野外活動や行事など連携して活動することもあります。

≪ありんこの森保育園では≫
12名に対して、4名の保育者できめ細やかな手厚い保育を行います。
3歳になったら、本園認可後に受け入れ可能です。
農業体験などの食育と自園調理を行います。

詳しくは、ありんこ親子保育園 ☎0475-53-3509 までお問い合わせください。


こちらのブログに新しく、「ありんこの森保育園」のカテゴリをつくりました。
随時、お知らせ等を載せていきますので、興味のある方はチェックしてみてくださいね。


・・・

12月17日の大安吉日に神主さんをお呼びして、
神棚のお祀りとお清めのお祓い、
保育園と工事の安全祈願をしていただきました。
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徳の種類には大きく分けて「 陰徳 」と「 陽徳 」があります。

その違いは「陰徳」は、人知れず行われた「陰にかくれた徳(誰にも知られず、感謝されたり、ほめられたりしない徳)」で、「陽徳」はその行いが人々に知られて「ありがとう」「素晴らしい」と感謝されたり、ほめられたりするような徳です。

* 「陽徳」は人から感謝されたりほめられる事で消えてなくなってしまいます。ですから、人に知られなくても、誰からも感謝されなくても「陰徳」を積む方が良いのです。

「あなたは、仕事が面白いですか?」
との質問に、何と答えますか?

「ん…、楽しいと思ったことはあるけど、面白いと思ったことはないかな…」
とある人が答えていました。

「面白い仕事って、どんな仕事?」
こんな質問が返ってきそうでした。


私は、益々仕事が面白くなってきました。
家事をやっているときや車の運転中などに、いろんなアイデアが浮かんでくることが多いのですが、先日も、「あれをやってみよう!」「こうすればいいんだ」など、次から次に覚えていられないほどアイデアや構想が浮かんできたんです。忘れることも多いのですが、その半分以上は実行していることに気づきました。

いいと思ったことは、即実行!
いつもこんな調子です。

夢が現実になることって、これほど面白いことはないですね。
試行錯誤しながら形にする過程が、物づくりをしているようで本当に面白い!

こんな調子ですから、私の仕事は朝から夜まで絶え間がありません。
でも不思議なことに、そんなアイデアや構想を追いかけているときは全く疲れないのです。それどころか、達成感や充実感があるので、また次にやりたいことが見えてきて、益々元気になるんですね。

仕事って、自分で創り出した方が絶対に面白いし楽しい。
やらされている仕事や仕方なくやっている仕事は、大したことをやっていなくても疲れます。

そう考えると、仕事は何のためにやっているのか?と疑問が湧いてきます。
もちろん生活のためでもあるわけですが、ただ単にお金のためだけだったら、面白さや楽しさは味わえないかもしれません。

私が今、手掛けている事業のほとんどが、始めはひらめきや思いつきだったんです。
でも、その時に「やっぱり無理だろう」「大変そうだ」「面倒だな」と思って諦めていたら、現在の姿はなかったでしょうね。

結局、私の思いつきやひらめきは、時代に合っていたのだと思います。
・働く母親が増えた
・保育が必要な時代になった
・保護者のニーズが増えてきて、ただのお預かりだけの従来の保育に満足できない人が増えた
・ストレス社会での育児の悩み、孤立した母親が増えた
・コミュニケーションが苦手な人が増えた  など、
そのような悩みや問題が増えたことを敏感に感じ取って、「どうにかできないかな?」と考えたから、アイデアが浮かんできたのだと思います。

そう、アイデアとは人のために生まれるものなのです。
毎日、子どもも大人も喜んでくれる、楽しんでくれる、笑顔になってもらえる仕事って、こんなに楽しくて面白いことは他にはありません。

そして、そのアイデアは日々進化しています。
昨日より今日、今日より明日と、これからももっとたくさんのアイデアが浮かんでくるんだろうな。

それを実行できるか、できないかは、結局、自分自身の問題なんですね。
私はこれからも、面白い方、楽しい方を選んで仕事をしていきたいと思います。


・・・

次回のブログで、発表することがあります。
またまた面白いことを考えていますので、お楽しみに


私は時々、常識だと思うことを「なぜ?」「どうして?」と思ってしまうことがあります。

例えば、
「なぜ母親が育児をするのだろう?」
「男らしく女らしくって何だろう?」
「どうして、スーパーのお惣菜には揚げ物が多いんだろう?」
「どうして、トイレの後に手を洗うのだろう?」
「普通とか、当たり前って何を基準にしているのだろう?」
などなど…。

常識がなにも正しいとも思っていませんし、非常識な考え方をしているわけでもないんです。
ただ、皆が当たり前だ、常識だと思っていることには理由があるのだろうな? 
それをしなければどうなるかな? 
他に考え方はないかな? 
と発想を変えてみると、色々な気づきがあります。

過去の偉人たちも、常識を常識だと思わず、「それはどうして、そのようになったのか?」と疑問に思って解読してきました。そして、白紙の頭で一から考え、組み立てていく過程に、新しい真理の発見や学問が進化してきたのだと思います。


私は4人の子どもがおりますが、
「しっかりしなさい」「はやくしなさい」とはあまり言いません。
だって、それは子どもの視点ではないからです。
親の視点や常識で判断して、遅刻や忘れ物をさせてはいけないと思うからうるさく言うのでしょうが、遅刻をしても、忘れ物をしても、それが本人にとって教訓になれば私はOKだと思っています。

人に対しても「こうやるべきだ」という考え方では見ていません。
それは、私個人の考え方であって、その人の考え方ではないかもしれないからです。

いろんな発想を持って、いろんな視点で人や世の中を見てみたら、きっと今まで見ていた世界とは違って見えることでしょう。

これが絶対に正しいということは、一つもないのかもしれません。
ただ、人の生きる道があるだけです。

「大体」「適当」「いい加減」と聞くと、あまりいい事のようには思えませんね。
だって親や先生は、「ちゃんと」「キチンと」「しっかり」しなさいと言いますから…。

数年前、こんなことがありました。
初めて学童保育にボランティアに来てくれた高校生のAくんに、
粘土のブロックを「適当に人数分に分けてくれる?」と頼みました。

するとAくん、粘土を前にし、座ったままで動かなくなってしまいました。

その数7人分。
定規や量りはありません。

偶数なら簡単なのですが、奇数となるとなかなか難しいようでした。

さて、どうするかな?
と見ていましたら、端の方から順番に粘土を切っていったのです。
ですから、分けた粘土はバラバラの大きさになってしまいました。

これって、やった人ならわかるでしょうが、7等分に分ける時は、大体の目安に7分の3のところに印をつけて、それぞれ3等分と4等分にすればいいんです。すると大体7等分になります。

小学生の遊びの場面ですので、詳細に分ける必要のないところですが、明らかに大きさが違っていても困ります。

Aくんは2人兄弟でしたが、家の中では2等分か多くても4等分しかしたことがなかったようでした。

我が家は兄弟が多かったので、小さい頃から”分ける”のは日常的に行っていましたので、ホールケーキ、パン、リンゴなど、一つのものを分けることは、そう難しいことではありませんでした。

兄弟数の差を感じた出来事でした。


特に一人っ子というのは、兄弟と食べ物などを分けることがないわけです。
ですから、親が意識して分ける体験をさせる必要があります。
Aくんのように、失敗してもいいんです。
そうやって、失敗してみていいやり方を教えてもらったり、生み出したりして、最終的にできるようになるでしょう。
問題なのは、親がやってあげてしまうことです。
子どもに失敗させることを可愛そうだと思っていることです。


大体とは、おおよそのこと。
適当とは、度合がちょうどよいこと。
いい加減とは、適度のことです。

こう解釈すると、バランスがよいことに思えるでしょう?
そうなんです。このバランス力が大事なんです。

いくらまじめでも、勉強ができても、スポーツができても、
バランスが崩れると倒れてしまいます。
失敗させないように育てても、バランスが悪かったら何もならないのです。

昨日のブログ「地頭力」の中でもご紹介しました「フェルミ推定」も、
「大体」「適当」「いい加減」な推測が必要なんですね。

要するに、柔軟な思考です。

常日頃から、「ちゃんと」「キチンと」「しっかり」しなければならなかったら?
バランスが崩れて倒れてしまいそうです。

ここぞという時に「ちゃんと」「キチンと」「しっかり」するためにも、
「大体」「適当」「いい加減」に生きていった方が、私はいいと思います。

でも、これはあくまでも真面目な生き方が前提ですが…。

地頭力の本質は、「結論から」「全体から」「単純に」考える3つの思考力である。この3つの思考力は、訓練によって鍛えることができるものであり、地頭力を鍛えるための強力なツールとなるのが「フェルミ推定」である。

~地頭力を鍛える(著者:細谷功)より~


「本当に頭が良い人は地頭がいい」と言われる人がいます。

地頭がいい人とは?
「頭の回転が速く、論理的に物事を捉えられ、抽象的な概念の扱いに苦労しない」
「自分の考えを的確に伝えられる」
「相手の意図を正確に理解できる」
「必要な情報を集めて判断し、行動に移すことができる」
というような人のことを言うそうです。

冒頭の「地頭力を鍛える」では、その強力なツールとなるものが「フェルミ推定」と言っています。

フェルミ推定とは?

例えばこんな問題はどう答えますか?
「東京都内にあるマンホールの蓋の枚数は?」→知りません。
「スクールバスにゴルフボールは何個入るか?」→わかりません。

「不合格です!」

これは、googleの面接試験などで有名になった問題です。
一見、絶対に回答が出せないような難しい問に対して、回答を導き出す考え方のことを「フェルミ推定」と呼びます。

フェルミ推定では、回答を導き出すための考え方が重要視されます。

回答することが難解な解を導き出すために、文字通り推定するわけですが、とにかく数値を仮置きしていき、最終的にそれっぽい答えが出せればOKだそうです。

5分で理解するフェルミ推定 マンホールの蓋はいくつある?より~


”地頭力を鍛える”と言うと難しく聞こえるかもしれませんが、
これって私が小学生の頃によくやっていたことと何となく似ています。

例えば、こんなことです。

・木切れや段ボール、石ころなどの材料を使って何かを作ろうとする時には、完成させた形を予測して作っていました。
・春になると田んぼには、たくさんのレンゲの花が咲いていました。「この田んぼのレンゲの花って、どのくらい咲いているのかな?」と思い、大体の数を数えたことがありました。
・家の近くにあった大淀川の堤防でよく遊んでいました。季節が変わると匂いまで変わります。雨が降りそうなときには山の方から雲が流れてきて、肌で感じることができました。「今日は早めに家に帰ろう」と天気を見て判断していました。
・地域の子供会では、クリスマス会などを開いていました。大人の手は借りずに自分たちだけでイベントを進行していました。大きい子たちがやっていたことを、今度は自分が6年生になったときにやっていました。小さい子も楽しめるようにするためにはどうすればいいかなど、いろんなことを予測し、何日も前から準備をしました。

地頭力を鍛えることって、きっとこんなことなのではないでしょうか?

子どもの時から、全体を見るということをやっていたので、大人になってもそれができます。しかし、子どもの頃から自分のことだけしか見ていない、考えない、人の気持ちがわからないような人に、大人になって地頭がいい人になるとは到底思えません。

下地があってこそ、鍛えようもあるというものです。

何も難しいことではありません。
・子どもには、自分のことは自分で考えさせる習慣をつけさせること
・全体から見て考えさせること
・周りを見て判断させること
・相手の立場に立って考えさせること
・単純に考えさせること
・結果を予測させること

この積み重ねが、地頭をつくる基盤になるのではないでしょうか?

子育てって、手をかけるところとかけないところの判断が難しいですが、
それも単純に考えてみると、案外わかりやすかったりしますよ。

難しく考えがちな大人ほど、悩みや迷いが多く、
勉強はできても、とても地頭がいいとは思えない考え方と行動をするものです。

臨機応変な柔軟さも、子育てには必要なことかもしれませんね。

大きく深呼吸をするときに、「吸うことより、吐くことを意識するといい」と言います。
空気を吐き切る『出す』ことは意識しないとできませんが、吸うこと『入る』のは無意識にできます。

なんだか、生活の所々で同じ原理が働いているように感じます。

情報を入れたいと思ったら、まず不要な情報は処分したり『出す』ことが必要ですね。スペースがなければ入りません。

部屋の掃除をしようと思った時に、まず初めにやることはゴミや不用品の処分です。
ゴミで散らかった部屋に、いくらきれいな花を飾っても意味がありませんね。
掃除も『出す』ことが先です。

これは、心の掃除も同じです。
心に不安やストレス、モヤモヤ・イライラが溜まっていたら、いくらいい話を聞いても、いくらいい本を読んでも入ってはこないものです。
心の掃除も、やっぱり『出す』ことが先。

心の掃除は話すことから始まります。自分の抱えている問題を吐き出すことです。
人に自分の気持ちを話すだけでも、心にスペースが空くものです。
スペースが空くから、人の話を聞いたり、本を読んだり、情報を『入れる』てもすんなりと収まるんです。

実は、お金も『出す』ことが先なんですね。
給料(お金)は、労働や自分の能力を先に出したことへの報酬です。
労働や能力を出さなければ、お金はもらえませんね。

そして、教育も、会社経営も、事業も、投資も『出す』ことが先です。

塾や学校へ行かせるのは、子どもへの先行投資です。
会社を設立する時も、事業を行おうとする時も、初めにお金がかかります。
でもそれは、その後の収入を見込んで行う先行投資です。
お金も出さなければ、入ってくることはありません。

人付き合いも同じ。
自分の持っている情報やお金を出さなければ、人付き合いは難しいですね。
出し惜しみしている人には、やっぱり人はついてきてはくれないでしょう。


いつも空回りして、思うようにいかない人は、『出す』ことを忘れていませんか?
出さないのに入れることばかり考えていては、上手くいかないのは当然です。

何を出して、何を入れなければならないのかを見つめ直してみてくださいね。
きっと、身も心も頭も、スッキリ整理できますよ。


今年も残り少なくなりました。
大掃除の時期、思いっきり不要なものを出してスッキリきれいにしたいと思います。



「収穫の法則」というものがある。
つまり、「蒔いたものを刈り取る」ということであって、
それ以上でも、それ以下でもない。
自然の法則は不変であり、
正しい原則に生活を合わせれば合わせるほど、
我々の分別は高まり、世界の本当の構造を理解でき、
パラダイム(考え方、見方)は正確なものになってくる。


~ スティーブン・R・コヴィー(作家、経営コンサルタント / 1932~2012) ~


パラダイムとは?
ある時代や分野において支配的規範となる「物の見方や捉え方」のこと。

算数の答えは一つしかない。

パラダイムシフトとは?
その時代や分野において支配的規範となる「物の見方や捉え方」が、革命的かつ非連続的に変化する場合、そのような変化を「パラダイムシフト」「パラダイムの転換」などと呼びます。

その答えを導き出す方法は、幾通りもある。視点を変える。発想の転換。



さて、「収穫の法則」を意識して生活している人はどのくらいいるでしょうか?

毎日、私たちは色んな「思い」や「感情」などの種を蒔きながら生活しています。
それは、「言葉」や「行い」であり、「不和」や「不調和」の種を蒔けば、必ず将来に自分で「不和」や「不調和」を刈り取らなければならなくなります。

人を思いやり、人のために幸せや楽しさ、明るさの種を蒔けば、将来は楽しく幸せな明るい人生になることでしょう。それは”徳積み”となり、自分や自分の子どもたちに必ず返ってくるものです。

そのためには、パラダイムシフトで視野を広くし、物の味方、考え方、捉え方を変えていくことが必要です。


不安、不幸せ感、不和、不調って、みんな「不」が付きますよね。
「不」とは、打消しの語。否定する意です。
要するに、安心できない、幸せになれない、穏やかになれない、健康でいられないということです。

「不」を持っている人は、顔に現れるので周りの人に伝わります。
人は暗いところには近寄りたくないので、自然と離れていきます。
「不」は不を引き寄せ、不安、不幸せ感、不和、不調の人が集まるようです。

無意識のうちにやっていることなので、意識しなければパラダイムシフトはできません。

最近、悪いことが続いているという方は、一度振り返ってみることも必要ではないでしょうか。気づいたら、自分の考え方捉え方を改善し、もう悪い種は蒔かないように気をつけることです。

子育て中の方は特に、子どもに親の悪い種を刈り取らせないようにしたいものですね。

今年も残り2週間となりました。
今年の不は、今年の内に捨てましょう。
来年は、良い種を蒔く一年にしたいですね。

人間は負けたら終わりなのではない。やめたら終わりなのだ
             ~リチャード・M・ニクソン~


私も若いころ、同じようなことを言われたことがあります。

「一度自分が決めたことを、途中で簡単に投げ出さないことだ。失敗や負けは、決して終わりではない。自分で決めたことを途中であきらめ、やめた時が本当の終わりなのだ」と…。

そして、周りの人から「疲れたら休めばいいんだよ。続けることが大事なんだから」と励ましてもらい、自分で決めたことをやり遂げることを教わりました。


今は、自分が決めたことを簡単に放り投げて、あきらめてやめてしまう人が多いように感じます。そして、言い訳をしたり、人のせいにしている人を見ると本当に悲しくなります。

目の前の事実は、何事も自分が決めてきたことの結果だと思います。
人が言ったからではありません。
自分で決めたことなのに、人のせいにしてはいけません。


先生たちは、学生たちに責任感を教えようとしますが、それを教えようとすると、反発されることが多いですね。

誠心誠意に学生たちを育てる努力をしても、報われないことの方が多いのが先生という仕事なのかもしれません。しかし、どんな形でも心に残る言葉が一つでもあったら、私はそれで成功ではないかと感じています。

先生も一人の人間です。
正しいことも言えば、間違ったところもあります。
でも、やっぱり私は恩師の言葉がありがたかったです。
私は恩師に、投げ出さない人生を教えていただきましたから。

後悔しない人生にしたかったら、自分で決めたことを簡単にあきらめて終わりにしないことです。

「いたいいたいのとんでいけ~」
って、子どもの頃に転んだりケガをして時に、母親やおばあちゃんから痛いところに手をあててもらった経験はありませんか?
本当に痛いのが治った気がしたでしょう?

あれって、あながち気のせいでもないんですよ。
事実、お母さんとのスキンシップは子どもにとって、痛みを軽減する効果もあると言われています。肌を触れ合うことで、幸福ホルモンとよばれるオキシトシンが増え、心拍数が落ち着きリラックスできることがその理由として挙げられるようです。もちろんこうしたメリットは目に見えるものではありませんが、精神的には大きな癒しとなるそうです。

治療のことを「手当て」っていうでしょう。
傷の手当てとか、応急手当てとか、この手当てというのが「いたいいたいのとんでいけ~」の”痛いところに手を当てる”ことに由来しているんですよ。
ですから、手当てすることで、本当に”心の痛み”が消えているのかもしれないんです。
人間って不思議ですね。


先日のママセミナーでもご紹介しました「乳幼児のスキンシップ」ですが、どのくらい具体的に良いのかがわからない親御さんも多いようでしたので、今日はスキンシップの絶大な効果をご紹介します。

スキンシップは、子どもの健全な成長には無くてはならないものだと言われていて、愛情、幸福感、尊敬の念といった大切な感情を表現し、脳の感情を司るエリアを活性化させるとさえ言われています。

愛情を示す、安心感を与える、慰める、励ます、これらを話しかけたり、言葉で伝えようとするとなかなか難しいものだし、簡潔にはまとめられないでしょう。でもスキンシップでは瞬時によってこれらの感情を相手に伝えることができます。

母親と赤ちゃんのスキンシップとは、“大丈夫、安心していいのよ。お母さんはここにいるよ”と伝えることで、信頼感を築くとても大切な要素になるといいます。
赤ちゃんは、その肌の温かさから大きな安心感と愛情を得ることができるようになります。


ベビーマッサージによるスキンシップは、循環器、消化器、排泄器ばかりでなく、神経系や免疫系の成長をうながしてくれるそうです。生まれた直後から赤ちゃんの神経は、驚くべき勢いで発達し、脳もぐんぐん大きくなっていくため、この時期に与える皮膚への刺激は、直接脳に働きかけているようなものなのなんですって。

私はそのことを出産前に勉強していましたので、24時間母子同室の産院を選び、生まれてすぐに母乳をあげました。生まれて退院するまではかたときも離れず、抱っこしては語りかけながら頭や背中を撫で、おむつ替えの時には必ず手足やおしりを撫で皮膚をやさしく刺激してやりました。そのお蔭か母乳もよく出ました。

退院してからも、家事は適当に手抜きし、時間の許す限り赤ちゃんとのスキンシップを優先させました。

今考えると、生まれてすぐのスキンシップで親子の絆ができたと感じました。
小さい頃から運動神経もよく、身体も丈夫で医療費もあまりかかりませんでした。
大きくなってからは自立も早く、自分のやりたいことを見つけてその道に進むことができたようです。

3歳までは大変でしたが、子どもが4人いてもそれぞれ信頼して任せることができましたので、後になってからは楽でした。

本来、子育てとは、成人するにつれだんだん楽になっていくものです。
それが、成人しても精神的に大変になっていくのは、何か育て方に問題があったのだと思います。


人生最初のふれあいが、思春期や成人してからの人間性や行動の基本となると聞いたらどう思いますか?

母子のふれあいは、子どもに愛情を伝え、心を安定させ、温かく思いやりの心などの豊かな感性を育てていくものです。情緒が安定するので、強いては心の土台となる”自己評価”が育ちます。
それほど、子育てにとって重要な位置を占めているものが、”スキンシップ”なんです。
「スキンシップが嫌い」とか言っている場合ではない。
将来に関わる大事な親の仕事です。


乳幼児期に十分にスキンシップが満たされている子どもは、大きくなってからすんなりと親離れできますし、母親の方も十分やってあげたという達成感がありますので、子どもの親離れと同時に”子離れ”もできるようです。

しかし、乳幼児期のスキンシップが足りていなければ、大人になっても満たされない気持ちや心の穴があいているような気持ちが残り、自分に自信がなく自己評価も低い人になる可能性があります。

物事をやる時に基本となる「やってみよう」と思う気持ちや「大丈夫」だという信頼感も、実は自肯定感が土台となっているため、土台が育っていなかったら、冒険もできませんね。

でも、人生は冒険のようなものでしょう?
自分の将来なんて未知のものです。未知のものをやるときの好奇心や挑戦意欲がなければ、自分の人生を切り拓いてはいけない。誰かの指示命令がなけえれば動けない。誰かに依存しなければ生きていけなかったら、伸び伸びと人生を桜花することは難しくなるのではないのでしょうか。

ですから、子ども時代に土台をつくるのです。
土台づくりの絶大な効果になるものが”スキンシップ”だとしたら、今現在、母親ならば一番やらなければならない子育てでないでしょうか?

抱っこ、おんぶ、手を握る、キス、ハグなんて、9つまでしかできませんよ。
中学生になったら、見守るしかなくなります。
結果が出た後になって、「子育てをやり直したい」と思っている人のなんと多いことか…。
ハッキリ言って、子育てをやり直したいと思っても10年前には戻れません。

だから、乳幼児期の親御さんに何度も何度も言うのです。
「今が絶好のチャンスなんですよ」と…。

私たち人間は、どうしたらいいかわからなくなって悩む時があります。
悩みながら大きくなったとも言えますね。

『悩む』を辞書で調べると、
決めかねたり解決の方法が見いだせなかったりして、心を痛める。思いわずらうこと。「進学か就職かで―・む」「恋に―・む若者」「人生に―・む」
対応や処理がむずかしくて苦しむ。困る。「騒音に―・む」「人材不足に―・む企業」
などとあります。

神様は、なぜ人間に『悩む』ことを試練として与えたのでしょう?
私は、悩むことは成長の糧になるものだと考えます。
大人になっても成長が必要な時、心の糧を得るために悩むのなら、悩みも悪いことではありませんね。

しかし、その悩み方が問題なのだと思います。
「私はなんてダメな人間なんだろう」
「なにをやってもうまくいかない」
「どうせいつもこうなんだ」
など、自分を否定したり、落ち込んだりすると『悩み』になりますが、

同じ事柄でも、
「何が原因で失敗したのだろう」
「次はどのようにしたらいいだろうか」
「どちらを選んだら、結果が良くなるだろうか」
「自分の足りなかったところはどこだったかな?それをどう補おう」
と、問題を掘り下げると『反省』になります。
すると自分の足りなかったところや改善すべき点、これからどう進んだらいいのか?
ということが見えてきます。

自分の人格を否定する悩み方をしている人は、悩みから抜け出せず、
ウツや心身症などの病気をまねきかねません。

悩み方にも人それぞれ癖があるので、
自分の悩み方の癖を知って改善することが大事なんですね。


子どもって本当に不思議だな、と思います。
お母さんの心が子どもに移ったかのように、見せられることが多々あります。

我が家の子どもたちも、小さい頃はいろいろありました。
その都度、自分の心に気づかせられ、子育てを反省させられました。

・私がイライラしていると、子どもが学校でトラブルを起こす
・私に余裕がないと、子どももソワソワ
・私が悲しい顔をしていると、子どもも悲しい顔になる
・私がやさしくすると、子どもも兄弟にやさしくできる
・私がうれしいと、子どももうれしそうに笑う

まるで、子どもは親の鏡のようです。
今までこれを幾度となく繰り返し、子どもに見せられて気づき、できていない自分を反省しながら、やっと親として一人前になってきたのだと思います。

そして、何が大切なのか? ということは、子どもが知っています。
親が、見栄や体裁、プライドを重視していると、後になってそれは必ず子どもから見せられます。それが一番大事なことではない。そんなちっぽけなことよりも他に大切なことがあって、親としてやらなければならないこと、もっと他に考えなければならない事があると、ハッと我に返らされる事態が起こってくるものです。
その時に親自身が自分を改めなければ、今よりももっと大変な出来事がやってくることも、たくさんの先輩たちからの体験談から学ばせてもらいました。


人生は、なかなか順風満帆にはいかないですね。
だから、今、何が子どもにとって大切な事なのかをわかって、それを育てていなければならないのだと思います。

子どもの人生はこれからです。
親としての本当の苦労もこれからです。

本当の苦労を経験し、心から気付けた時に‘親心‘になれるのだと思います。
それまでは、親も勉強です。

親は、感謝の気持ちで、謙虚になって、頭を下げ、
自分も子どもも世の中の皆様に育てていただいていることを忘れず、
自分の背中を見て、子どもは育つのだと思って、
我が子を育てていただきたいなと思います。

いきなりですが、質問です。

 コップに水が半分入っています。あなたはこれをどう捉えますか?

     1、もう半分しかない
     2、まだ半分ある

 あなたの答えは、どちらだったでしょうか?


「もう半分しかない」と思えば、マイナスの発想で、
「まだ半分もある」と思えば、プラスの発想になると思いませんか?

この宇宙には、+プラスでも-マイナスでもない、『0ゼロの法則』というものがあります。

世の中の出来事、身上・事情の全ての物事は事実であって、良いも悪いも、幸も不幸もないそうです。この世の事実はプラスでもマイナスでもない0、つまりニュートラルな世界なのです。

事実をどう受けとるかで、幸せになったり、不幸になったりするようです。
要するに、物事は受け取り方、捉え方次第、という訳です。

「病気=不幸」「貧しさ=不幸」ではないし、
反対に「お金持ち=幸せ」「エリート=幸せ」でもないのです。

いくら地位や名誉があっても、心が満たされなかったらその人は不幸だし、
お金や物は少なくても、健康であるだけで幸せだと感じる人もいますよね。

たとえ病気の人でも、「病気になったお陰で、命の尊さや家族のありがたさがわかりました」という人は、幸せになれるのかもしれません。

事実をありのままに受け取ればいいだけなのですが、それがなかなか難しい。
素直に人の話が聴けないし、ありのままを認められないからです。

でもそれが、宇宙の法則に逆らった生き方だとしたらどうでしょう?
事実に逆らって、人を憎んだり、恨んだり、羨ましがったり…
苦しくなるのは当たり前といえば、当たり前かな。

宇宙には、存在しないのが幸せや不幸ならば、幸せや不幸とは人間がつくり出した『幻』なのかもしれませんね。

だからこそ、明るく前向きに生きなければならないのだと思います。

平成27年12月から、50人以上規模の企業では、ストレスチェック制度が義務化されました。職場での衛生管理者等の選任及び衛生委員会等の設置と活動が義務付けられているのはご存知かと思います。

定期的に労働者のストレスの状況について検査を行い、本人にその結果を通知して自らのストレスの状況について気付きを促し、個人のメンタルヘルス不調のリスクを低減させるとともに、検査結果を集団的に分析し、職場環境の改善につなげる取組です。

弊社は50人以下の企業ですが、制度施行される前にスタッフ全員のストレスチェックを行いました。
50人未満の企業では、以前はメンタルヘルス不調を訴える社員がいない企業も多かったためか、対策は必要ないと考えていたところも多いのではないでしょうか。しかし、最近は様々な規模で不調を訴える社員が出ており、その対策が求められています。

5分でできる職場のストレスセルフチェックを定期的に行うようにするといいですね。


昨今、心が病んでいる人が増えたといわれています。
『現代人の心は疲れている』という人もいます。

うつ病や自殺者の推移は下がることなく、最近では心の病に関する情報が報道されています。このような背景からストレスという言葉が頻繁に使われるようになったのでしょう。

心が疲れた状態は、「落ち込み」や「意欲低下」、「やる気が出ない」など、自分が疲れる状態を連想することで何となく理解できるのですが、「心が健康な時ってどんな時?」と聞かれて、自信を持って答えることのできる人は意外と少ないものです。このことは、多くの人が心の健康を意識せずに生活しているからでしょう。


『心が健康な状態』とはどんな時?

『心が健康な状態』とは、1)人間的健康状態 2)知的健康状態 3)情緒的健康状態 4)社会的健康状態という、大きな4つのタイプに分けられるそうです。

1)人間的健康状態とは?
自分の人生の目的や意義を見出し、自ら自分の人生に積極的に関わろうとする状態のこと。

自分の人生や将来の展望に意欲的に取り組み、主体的に人生を選択していく姿勢は、心を健康な状態にたもってくれるものです。この健康状態を保ちながら、楽しく人生を歩んでほしいと思います。

2)知的健康状態とは?
現状を的確に把握し、その状況から適切に思考することができ、現実的な問題解決が可能な状態のこと。

仕事で失敗した時、失敗したことに混乱して自分の過ちにただ深く落ち込む状態ではなく、「なぜ失敗したのか?」「どうすれば次は失敗しないのか?」「自分のどこが悪かったのか?」など、冷静に分析して、知的に問題解決へと進み、次に活かせることができるような状態です。
ただ失敗に落ち込むのではなく、そこから何かを学び取り、次に活かそうとする意欲が重要になってきます。

3)情緒的健康状態とは?
自分の感情に正直に反応し、的確に表現できる状態のこと。

例えば、本当は悲しくて泣きたいのに、笑顔でごまかしたりする場面を思い出してください。その場の雰囲気などで、自分の感情を素直に出すことが適さない状況もありますが、自分の気持ちを素直に表現できない場面が多くなると、私たちの心は疲れてしまいます。
自分の感情を他者にぶつけてしまい、相手を傷つけることは問題ですが、自分の気持ちを素直に表現しても相手に不快感を与えず、信頼できる人間関係を築けると、健康な心の状態が得られます。

4)社会的健康状態とは?
他者関係や集団という社会の中で、積極的に良い人間関係を築けること。

私たちは、社会という集団の中で生活しています。集団の中で生活している以上、その集団の中で自分の居場所を築けることが何よりも重要になってきます。
自分の居場所を獲得するには、人間関係を充実させることが重要です。対人関係を円滑にし、そこで居場所を築くには、他者と積極的に関わろうとする、コミュニケーション能力が必要になります。
自分が誰かを必要とし、そして誰かも自分を必要としてくれるように良好な人間関係が築けると、社会的な健康状態を保つことができます。


実は、『心が健康な状態』の背景にあるのが、自己肯定感だそうです。
自己肯定感とは、‘今の自分でもいいんだ‘と、自分自身を肯定的に認識できる感覚のことだといわれます。
このことは、心の健康に大きな影響を与えています。自分自身への肯定的な理解が深まると、心の健康を保つだけでなく、自信を得ることができるようになります。

自分自身に、「私は、自分のことをどう思っている?」と質問してみましょう。
「嫌いだ」と答えられた場合には、自分が今までに努力してきたところを振り返ってみましょう。結果はどうあれ、努力してきたことは間違いないのですから。

良いところも悪いところも、
まるごと自分を受け入れることから始められるといいですね。

昔、私がまだ子どもだったころ、信仰心の篤い母方の祖母が「いつも仏さんは見ている。この世で悪いことをした人間は、来世で苦しむ」と言っていました。私は子ども心にとても怖いと思いました。悪いことはしないようにしようと思ったものです。私に信仰心があるのは、祖父母や祖先から伝わったものなのでしょう。こういう話を子どものころからよく聞かされていましたから。

大人になってからも、神様仏様の話には素直に耳を傾けていました。
恩師にも「信仰はすべての土台だ」とも教えてもらい、素直に従ってきたから今の私があるのだと思います。


人がやることは必ず結果をもたらす
『慈悲にもとづいて行えば、その結果は善業(ぜんごう)となり、運がよくなり不運を避けることができる』そうです。すべては徳を積むための修行、恩返しの修行と思えばいいのです。これが信仰するということなのでしょう。

『法句経』には、

小さな善を軽んじて、福がないように考えてはならない
水滴はわずかであっても
だんだん大器に充ちる
およそ福が充満するのは小さなことの積み重ねである


また、

善の果報の熟さないときには
善人であってもわざわいに逢うことがある
善の果報が熟したときには
かならず幸福がやってくるだろう


とあります。 

このことは、現世と来世が繋がっているということだそうで、
この世での行いが来世の序章といわれる所以です。
ですから、現世に生きている間、日々精進が大事なのですね。


江戸時代末期の蘭学者である渡辺崋山が説いた
商いの精神を要約した『商人八訓』というものがあります。

商人八訓

一 、先ず朝は、召使より早く起きよ
ニ、 十両の客より百文の客を大切にせよ
三、 買い手が気に入らず、返しに来たならば、売る時より丁寧にせよ
四、 繁盛するに従って、益々倹約せよ
五、 小遣いは一文より記せ
六、 開店のときを忘れるな
七、 同商売が近所にできたら懇意を厚くして互いに勤めよ
八、 出店を開いたら、三ヵ年は食料を送れ

今に通じるものがあることが驚きですね。

”商いは気遣いの魂”と言われるくらい、経営者は爪の先まで計算し尽くした気遣いが必要だと聞いたことがあります。爪が甘かったらとんでもない失態につながり、信用問題に発展してしまうからです。

気遣いとは、相手の立場になってものを考える集中力があるかということです。
強いては、これが大きな成果を生みだすことになるのだと思います。


昔、若い頃に人としてのあり方を教えてくれた先生がいました。
それは、「まじめで固いのはダメ。すぐにポキンと折れる。まじめでやわらかい人になりなさい」と教えられました。

経営も同じ。
まじめで頑固なのは融通がきかないからお客様から嫌われる。
まじめな経営が基本だけれど、時代や相手の立場を考えて臨機応変に対応できる経営でなければ生き残れません。

これを経営者だけでなく、社員全員に浸透させることが必要だと感じています。

一見するといい子、何でも大人の言うことをきく子というのは、実はとてももろい精神構造をしている可能性が高いのだそうです。

大木には大きな根っこがあるのと同じで、表には見えない『心の根っこ』の張り方が狭く弱いのかもしれません。一見したところわからなくても、思春期に入って崩れてしまう子もいます。


その一方で、伸び伸びと遊びながら、自分で考えて行動する経験をたくさんした子どもは、判断力・理解力・応用力・優しさ・思いやりなどの心の根っこが大きく強く育って、思春期に入っても臨機応変に踏ん張れるようです。

うちの4人の子どもたちも、人並みに反抗期がありました。
でも、周りの友達が非行に走ろうとしても、そこの判断力はあるようで、自分の将来(進路)を考えたらバカなことはできないと思ったようです。

自分の人生は、自分で決めたらいい。
ただ、責任を持って決めること。
自分が決めたことは、最後までやりぬくことを教えてきました。

今思えば、反抗期は子どもにとって大人になるために必要な”カギの付いたドア”だったのかもしれません。カギを持っている自分しかその扉を開けられないのですから。


手におえるのは9つまで

9歳くらいまでの子どもは、親の絶対的な庇護の下において、大人の作った環境に染まる時期でもあります。勉強を教えれば素直に覚えるでしょう。お行儀を仕込めばその通りにするでしょう。しかし、子どもの自由な遊びや発想を犠牲にしてまで、大人の価値観を押し付けて育ててしまった場合、そのツケは思春期以降の人生で現れてくるのだと思います。10代になれば、親の手には負えなくなるということです。子ども自信が、自分に自信を持つことが出来ずに、可能性を伸ばしにくくなってしまうのです。


我が家の青春期・思春期の息子たちは、反抗しながらでも自分の意見を持っています。親である私が心すべきことは、子どもの中で何が起こっているのかを子どもの身になって良く理解してやり、一歩引いたところで見守ることだと感じています。内面の成長を邪魔しないことも必要なのだと思います。

子どもは、何の問題もなく、真っ直ぐ綺麗に育つわけではありません。
いろんな葛藤があり、問題があり、乗り越えなければならない壁があるのです。
その壁を乗り越えるためにも、大きな心の根っこが必要なんですね。

その心の根っこは、9歳までの結果の見えない時期に、
たくさんの遊びや学びの経験・体験と環境から、大きく育つのだと思います。