今から2,600年前に、仏教を教えられたお釈迦様は、次のような説話を残されています。

ある日のことでした。
お釈迦様がお弟子たちと托鉢(たくはつ)されていると、大きな橋の上で、あたりをはばかりながら一人の娘が、しきりと服の中へ石を入れているのをごらんになりました。

「自殺しようとしているのだな」と知られたお釈迦様は、早速娘のそばまで行かれてやさしく訳を尋ねられると、相手がお釈迦様とわかった娘は心を開いて苦しみのすべてを打ち明けました。

「お恥ずかしいことですが、私はある人を愛しましたが、捨てられてしまいました。世間の目は冷たく、やがて生まれてくるお腹の子どもの将来を考えますと、いっそ死んだ方がどんなにましだろうと苦しみます。こんな私をあわれに思われましたら、どうかこのまま死なせてください」

その時お釈迦様はとても哀れに思われ、こう諭されました。

「不憫なそなたには例えをもって話そう。あるところに、毎日、重荷を満載した車を朝から晩まで引かねばならぬ牛がいた。つくづくその牛は思ったのだ。『なぜおれは、毎日こんなに苦しまなければならないのか。いったい自分を苦しめているものは何なのか。そうだ!オレを苦しめているのは間違いなくこの車だ。この車さえなければオレはこんなに苦しまなくてもよいのだ。この車を壊そう』
そしてある日、牛は猛然と走って、おおきな石に車を打ち当て木端微塵に壊してしまったのだ。それを知った飼い主は驚いた。「こんな乱暴な牛には、よほど頑丈な車でなければまた壊される」
飼い主はやがて今までの車の、何十倍の重さの鋼鉄製車を造ってきたのだ。
その車に満載した重荷を、今までのように毎日引かされ、以前の何百倍も苦しむようになった牛は、再び壊すこともできず、深く後悔したが後の祭りであったのだ。
牛は自分を苦しめていたいるのは車だと考え、この車さえ壊せば自分は苦しまなくてもよいのだと思ったのと同じように、そなたはこの肉体さえ壊せば、苦しみから解放され、楽になれると思っているのだろう。そなたにはわからないだろうが、死ねば、もっと恐ろしい苦しみの世界へ入っていかなければならないのだよ。その苦しみは、この世のどんな苦しみよりも大きくて深い苦しみである。そなたは、その大きな苦しみの世界を知らないのだ」

そして、お釈迦様は、すべての人に後生に一大事のあることを諄々と話されたのです。お釈迦様の説法を聞いた娘は、自分の愚かな考えを深く後悔し、仏教を真剣に聞くようになり、幸せな生涯を生き抜いた、と言われています。

そしてお釈迦様は、
「この世、苦しみのままで死ねば、必ず死んだ後も苦しみである。未来、幸せになろうと思うなら、この世から幸せの身にならねばならない」
と説かれたのです。

10代からの子育てハッピーアドバイスより出典~

不陰徳(徳を失った)をした人の晩年はかならず悪い

これは、古川尭道老師(鎌倉臨済宗円覚寺管長。毒狼窟。昭和36年(1961)寂、90才)の言葉ですが、本当にそうだと思います。
奥儀を極め、老師と言われる方でも徳を損なえば不幸な晩年を送るのは事実のようです。
私は最近、周りの人からいろんな不幸・不運を見せられています。徳がないところに欲を出したり、心遣いが間違っていたりすると、それを天が見ていて正そうとしているのかもしれません。

以前にも何度か徳の話をしましたが、徳積みは大事です。
私は、徳の量で自分の命をも決めているような気がしています。

心の在り方が因果や宿命に影響を与えているとするならば、祈ろうが、先祖の供養をしようが、坐禅をしようが、宿命を変えることはできないということになります。

それでは、神様・仏様は人間に何をもとめているのでしょうか?

それはきっと、人間の魂を浄化すること、素直な心になり教えを守ることを求められているのだと思います。
「魂を浄化しなさい。心を掃除しなさい」との教えは、何も「出家しなさい。お坊さんになりなさい」と言っているわけではないのです。日々の暮らしの中で、「仏性を学び、仏心・神心になりなさい」と言われているのだと思います。
社会人として、家庭人としての人となりを学び『仏心・神心』になることは、どこでもいくらでもできます。神様・仏様の教えは、そんなに難しいことではないのですね。

人間の常識は、「損か得か」「世間体や体裁」「皆がやっているから自分もやる」など、対象とするものが人間なので、本質が見えなくなることが多いのです。
しかし、神様・仏様からみた常識は、「徳を積んでいるか」「心遣いや心がけが良いか」「魂は磨かれているか」です。ですから私たちが常識だと思っていることは、もしかしたら不徳になっていることもあるかもしれませんね。

私たちが目にしている世界は、ほんの氷山の一角にしか過ぎません。
宇宙は私たちが考えているより遥に大きい。
地球はほんの遺伝子レベルの小さい世界なのかもしれません。
しかし、その中に神様・仏様は人間のために恵みをたくさんくださっています。
それを忘れて自分勝手に振舞っている人間の姿を、天から悲しんでみていらっしゃるかもしれませんね。

人生のご褒美は、晩年に貰えるのです。

若い頃から苦労を苦労と思わず、不平不満を言わず、喜んで人のお役にたつこと。人のために自分の『時間・お金・動力』を使うこと。人を無条件で愛すること。素直に、神様・仏様の教えに従うことが徳となり、晩年に返ってくるのだと思います。

人が喜ぶ顔を見て、自分の喜びになる。
人を愛することで、自分も愛される。
人を許せば、自分も人から許される。
神様・仏様から好かれた素直な心の人間が、晩年にたくさんの徳をいただくのではないでしょうか。

徳積みの方法なんて、学校では教えてくれませんね。
でも、長く生きていれば大切なことだとわかります。
では、どうすれば子どもたちにこの大切な生き方を教えられるのでしょうか?

私の実家は神道を重んじる家でした。自分自身も若い頃から様々な経典を学び、20代の頃に奈良へ修行に行った経験もありました。でも、よく考えてみたら信心の基礎になったのは、おじいさんやおばあさんの話や、神社仏閣で聞いた”徳の話”でした。そのお蔭で、人としての”心の土台”ができたような気がします。

しかし、現代の子どもたちは、核家族で世代間交友が少なくなりました。
神社仏閣と身近に触れ合う機会もあまりありませんね。

現代は心が荒んでいる人が増えました。
大人も子どもも、もっと心の話が聴ける場所が必要なのではないかと感じています。

大切なのは、宗教をすることよりも、信仰心があることだと思います。
特定の宗教を重んじるよりも、その人がどんな心で信仰しているのかが大切なのです。

家庭でも子どもに”徳積み”を教えることはできます。
笑顔であいさつすること。
お手伝いをすること。
やさしい気持ちでお友達と接すること。
植物を育てたり、動物とふれあうこと。
そんな日常の些細なことからでも心は育ち、それが”徳積み”となることでしょう。

子どもたちが心豊かに、幸せな人生を送れるように
これからも「徳のはなし」をしていこうと思います。

羹に懲りて膾を吹く (あつものにこりてなますをふく)

熱い吸い物を飲んでやけどをしたのにこりて、冷たいなますも吹いてさますという意味。前の失敗にこりて必要以上の用心をすることのたとえ。

過去に人間関係で痛い目にあったり、何度も裏切られたり、理不尽なことをされると人間不信になってしまいます。また人を信じて裏切られるのではないかと必要以上に用心してしまい、逆に人間関係がうまくいかないという例えにも使われます。


私は、起業してから幾度となく、人に失望することがありました。
せっかく人を育てても、戦力になる前に辞めてしまう。
喉元過ぎれば熱さ忘れるで、自分が困った時にはせっせと通い、問題が解決すると去っていく。はじめの数年間はこの連続でした。

私は、幾度となく信じた人との破局を経験して、人を信じることの大切さを学びました。そして、「自分が心から信じた人は、最後まで付き合っていこう」と思うようになりました。

その反対に、「人を信じ過ぎることは、相手に過大な期待をしているようなもの」と思い、人にはあまり期待をしないようになりました。
70%できれば良しとする「許す心」もできました。

人を信じるということは、勇気がいりますね。
本当に信じていい人なのかの見極めも必要です。
だから私は、本当に信じられる人と出逢うために、たくさんの破局を経験してきたのだと思います。

本当に信じられる人には、そう簡単には出逢えない。
だから、辛くても一緒に乗り越えてきた仲間は、大切にしていこうと思います。

あるお母さんがこんなことをおっしゃっていました。
「うちの子は、食事が口に合わないと『まずい』と言います。でも、言ってもらった方が私の料理の腕も上がるのでいいことだと思います」と。
時代は変わったな…と思いました。

私の子どもの頃は、親にそんなことを言おうものなら、
「文句を言うなら、食うな」でした。

この違いは価値観の違いなのでしょう。
冒頭のお母さんは、子どもの気持ちを大切にすることと、自分の料理の腕を上げるために必要な意見だと受け取ったのだと思います。

しかし、昔の親は、料理を作った人の気持ちを大切にしようとしたのだと思います。口に合わないから「まずい」と言ったら、一生懸命に料理を作った人に失礼であると。

私の親世代(70歳代後半~80歳代)は、美味しいものがたくさん溢れている現代と違って、戦争を体験した世代です。食べ物はとても貴重で大切だった。何でも食べられれば有難かった時代です。それを「まずい」と言うこと自体が許せないことなのでしょう。

震災で大変な思いをされている方も、食べ物の有難さは身に染みて感じていることだと思います。何でも好きなものを食べられること自体が、世界でも希少なことなのです。

私はもう一つ、気をつけなければならないことがあると思います。
家の中で子どもの意見が何でも通るようにしてしまうと、社会に出た時に困るのではないかということです。
親に「まずい」と言ってもOKとしてしまっては、外でも同じことを言います。
先日、レストランで「これってまずいよね」という女子高生を見かけました。『人前でよくそんなことが言えるものだ。家庭でどんな教育をされてきたのか』と、世間の人は見るのです。

ですから、もしも、家庭で子どもが「まずい」「おいしくない」と言った時には、自分の好みに合わなかったのか、嫌いな食べ物なのかを判断してほしいと思います。
好き嫌いのある子はよく「まずい」「おいしくない」と言います。
本当に味付けがまずいのであれば、改善すればいいのだと思います。

それと、作ってくれた人の気持ちや、作物を育ててくれた農家の方の大変さなどを時折話して聞かせてやるといいですね。


前回のブログの続きです。

4月22日(金)の日本経済新聞の1面に「保育士月給1.2万円上げ」の見出しがありました。

『待遇改善で保育士不足を解消』
1、給与を月1万2000円引き上げ
  (政府予算で処置済みの分含む)
2、経験が豊富な保育士は上乗せ給付
  ⇒保育士の賃金水準そのものを底上げ
3、定期昇給を導入する保育所に助成金
  ⇒継続的な賃上げ促す
4、保育所が人件費を手厚くする仕組みづくり

政府は月内に開く一億総活躍国民会議で議論し、5月にまとめる「ニッポン一億総活躍プラン」に盛り込むとのこと。

同日、日本経済新聞の3面に待機児童が急増しているという記事がありましたので紹介します。

~親が働いているなど保育所に入所できる要件を満たして申し込んだのに、保育所が満員で入れない子どものこと。政府公表の待機児童数は、1015年10月時点で全国で4万5315人。15年は政府の子育て支援の新制度がスタートし、保育所の申込者が前年から約13万人も増えたため、減少傾向にあった待機児童数が5年ぶりに増加に転じた。
▷…待機児童は、働く女性の増加などを受け、1990年代から社会問題化した。それ以来、自民党や旧民主党など歴代の政権が問題解消に取り組んできたが、抜本的な解消には至っていない。
▷…しかも政府が公表している待機児童は実際よりも少ないとの指摘もある。本当は認可保育園に入りたいのに認可外保育所に通っていたり、特定の認可施設を希望して空きがある施設の入所を断ったりしているケースは、政府が公表する「待機児童」には含まれない。こうした潜在的な待機児童は約6万人いるとされる。子どもを預けたいと思いながら「どうせ保育所に空きがないから申し込まない」と諦めている人まで含めると、170万人に達するという試算もある。~

これを読んで思ったことは、昨年度から始まった子育て支援新制度がスタートしても、待機児童は減らないどころか増えているという現実は想定できたな、ということです。今まで潜在待機児童だった人たちが、小規模保育所でも認可保育園に入れるのではないかという期待で申し込んだためではないかと思われます。
しかし、潜在待機児童数は政府が予想したよりも遥に多かった。
その結果、5年ぶりに待機児童数が増えたとなっていますが、そうではなく、最初から諦めていた潜在待機児童数が一部表に出ただけなのだと思います。

私は、市の委託で子育て支援センターを運営していますが、利用する保護者の中には保育園探しで利用する方も結構いらっしゃいます。「保育園に空きはありますか?」と聞かれたり、「認可保育園に落ちた」と来られる方もいらっしゃいました。
「子どもが1歳になったら復帰したい」「復帰したいけど、預ける所がない」「将来は働きたい」というお母さんたちからの声を聴く度に、待機児童数っていったい何なんだろう?と思います。将来働きたい人の数を入れたらいったいどれだけの数の人が待機しているのか?ここ大網白里市の中でも感じることですから、都会では更に多いのではないかと思います。

今年4月から小規模認可保育園(0~2歳児19人以下の児童を預かる施設)「ありんこの森保育園」を開園しましたが、政府に対して最大の疑問があります。それは、どうして12名で補助金額を区切るのか?ということです。
簡単に言えば、15名の園児を預かった場合と、12名の園児を預かった場合。12名の園児を預かった場合の方が、園に支給される園児一人あたりの補助金額が多いのです。保育室が15名分預かれる面積であっても、補助金額が減るから預かれないのですからおかしな話です。

保育室の面積が広くても12名しか預からないという園が全国にはたくさんあります。うちの園もそうです。補助金に関係なく12名以上預かればいいじゃないか、と言われる方もいらっしゃるかもしれませんが、経営を考えたらそうもいきません。補助金と保育料の他に収入源がないからです。それに小規模認可保育園は一時保育が受け入れられないという難点もあります。一時保育は全額園の収入になりますが、それができません。
ですから、小規模保育園で預かる人数は、全国の小規模保育園の定員を見ると12名までか、19名のどちらかしかないと思います。

結局、保育士の数で定員数が決まるので、0歳児3名で1人、1歳児6名で1人、2歳児6名で1人、+補助1名の保育者4名で、園児15名を預かれればいい訳です。どうして園児数12名で補助金を区切るのかがわかりません。人数によって区切るのであれば、15名でいいではないのでしょうか?

全国の小規模保育園12名定員を15名にし、3名多く預かれるようにしたらどうでしょう?

厚生労働省のHPでは、平成27年4月1日現在の地域型保育事業の数は全国で2,740件となり、家庭的保育事業931件、小規模保育事業1,655件、居宅訪問型保育事業4件、事業所内保育事業150件となりました。

例えば、小規模保育事業1,655件の半分の数827件が定員数を3名増やしたとしたら、2,481名の児童が預かれることになります。17万人の潜在待機児童から見たら”焼け石に水”だろうというお役人の言葉が聞えてきそうですが、1人でも多く預かれるように努力をすることが大切なのだと思います。お役人は、その1人が自分の子どもだとしたらどう思いますか?保育園に入れなかったら、あなたは国や国民のために仕事ができないのです。1人でも働く人が増えた方が、日本のためには良いことなのです。

政府要人は、徹底的に現場の声を聴く必要があります。
特に、社会問題化している待機児童問題は総力を挙げて取り組むべき課題です。
将来の日本を担う人材を育てる政策こそが、日本再生の重要なカギでもあります。
優秀な人材が多い女性の活用をすること。
子育てしながらでも働きやすい環境を整備することです。

現場の人材を活かすような政策を実行することを切に望みます。

笑っても怒っても、1日は1日。
せっかく親になれたのだから、子どもと一緒に笑って過ごしたいものです。

でも、子育て中のお母さんたちは結構疲れてる…?!
余裕がなくて、イライラ・モヤモヤ…
上手にストレス発散できるといいですね。


・育児で疲れたら、とりあえず寝る
  疲れたら子どもと一緒に寝てしまう

・腹の立つことは、我慢しない
  話しても支障のない人に聞いてもらう

・子どもの寝顔を見る
  嫌なことがあったりしたときは、
  可愛い子どもの寝顔を見ながら「この子がいるから頑張れる」と思う

・イライラやモヤモヤは、原因を突き止める
  必ず原因があるはず
  原因がわかると「何だ大したことではない」と思える

・趣味に没頭する
  好きなことをする時間はリフレッシュできるので、
  子育て中だからこそ確保したい時間

・自然の中でのんびりする
  休みの日は森や林に出かけて行って、マイナスイオンを浴びる

・子育てはあきらめも必要
  子どもが親の思い通りにならないときは、あきらめも肝心

・時間が解決してくれる
  今どうしようもないことは、時が来れば解決すると考える
  未完了のままでもOK

・ひたすら書く
  自分の思いを書きだしてみると、自分がどうしたかったのかがわかる

・人と比べない
  自分と他人、よその子とうちの子を比べて悩まない
  結果はまだまだ先にある


乳幼児期の子育ては、気持ちに余裕がなくなる時期。
考えてもしょうがないことはなるべく考えないようにして、考えなければならないことのみ優先順位で物事を考えられると楽ですよ。

親の心が、子どもの一番の環境です。
イライラすると疲れます。クヨクヨ考えると力が出ません。
「ま、いいか」と少しのことは気にしない。
今は子育てに集中する時期なのだからと、人のことは気にしない。
親の心に余裕がある方が、子どもは明るく育つもの。

ちょっと息抜きも必要かも
子育て支援センターすくすくクラブに遊びに来てね

ある企業のミーティングで、こんな意見が出ました。
「上司がいい人で、何でも自分でやってしまう。それ以上、何も言えない」
「上司が何も言ってくれないので、自分のやり方が良いのか悪いのかこれで大丈夫なのかがわからない」

指導できない典型的な”いい人上司”で、部下が育たなくて困っていました。
それどころか、チームワークが悪くなり生産性が上がらない。
それは、個人が戦力として育っていないため、上司がいなければ何も判断できないからでした。

いい人上司の心理は、部下への指導方法がわからず、どうしていいかわからないので自分でやった方がいい(又は速い)と思っているのです。

しかし、これが正しいと思っていた方法が、実は部下を追い詰め、働きづらい環境を作り出してしまっているとしたらどうしますか?

『上司不適者』というのがありましたので、ご紹介します。

1.部下に任せるより、自分がやった方が速いし、うまくいくと思っている人。
2.部下の能力がまだ信頼できないから自分でやるしかないと思っている人。
3.全部を任せないで、いつも部分しか任せない人。
4.教えることを面倒臭がる人。

(仕事ができる人の心得より)

あなたが部下なら、このような上司と一緒に働きたいですか?
私は嫌です。
やりにくいったらありゃしない…でしょ?

任せてもらえなければ、信頼関係もない訳ですよね。
信頼関係がないのに、チームワークなんて良くなるわけがない。
仕事は責任を持たせられて、はじめて達成感も充実感も味わえるわけです。
それなのに、上司が何でも自分でやってしまっては、育つものも育ちません。

あなたがもしも上司の立場なら、リスクを背負ってでも部下に仕事を任せることです。
上司がやらなくてもいい仕事は、部下に任せる。
上司が率先してやらなければならないことは、部下の育成です。

任せられるところは任せて、でも相談にはちゃんと乗ってあげる。
頼りがいのある上司でいてほしいものですね。

「もう齢だから…」という人を時々見かけます。

確かに、過去からみると今が一番齢を取っている。
そうすると、いつまで経っても今が一番老けていることになります。

でも、未来に視点を移すとどうでしょう?

来年はまた一つ齢を取るわけです。
50歳の私は、10年後は60歳、20年後は70歳になり齢を取る。
いつまで元気で動けるかわかりません。
そう考えると、これからの人生の中では、今日が一番若い日になりますよね。

私は、今が一番若いと思って毎日を送っています。
だって、やりたいことや、やらなければならないことが山ほどあるんですよ。
老けている暇はないのです。

実際には、確実に毎年齢を取るわけですが、
気持ちだけは20代のままです。

でも、不思議なことに、「今が一番若い」と思っていると、
周り人たちから「年々若返っている」と言われるんですよ。

若いって見た目ではなく、内面なのかもしれませんね。
気持ちが若いと、考えることも行動も前向きになれますから。

若さの秘訣かも…。


50代の皆さん、まだまだやれることはたくさんある。
諦めないで、前進していきましょう!

過ぎ去ってしまった過去について、あれこれ思い悩んでしまうことってありますね。
でもいくら悩んでも、考えても、過去は変えられないのです。
自分の失敗を悔やんで、ああすればよかった、こうすればよかったと思っても仕方のないことかもしれません。

わかっていても、どうしても前向きになれない時ってあるでしょう?

そんなときは、その思いにどっぷり浸ってしまったらいいのだと思います。
だって、そう思いたい、そう考えたいと脳が発信しているのですから。
それをしないと、次に進めないのかもしれません。

我慢して、無理に前向きになろうとするから辛いのですね。

悲しい時は悲しめばいいし、悩みのあるときは思い切って悩めばいいのです。
自分の気持ちに蓋をして、中途半端な感情表現だから後に残ってしまうのかもしれません。

失敗してしまうと自信をなくしてしまったり、もうダメだとかいろんなことを考えますが、「これは神様が私を成長させようと与えられたこと」と考えたら、無駄なことではないのです。

どっぷり浸った後は、気持ちの切り替えが大切です。
視点を変えると、現実を見つめなおすことができるかもしれませんね。

この4月から、社会人2年目の次女が姉ヶ崎から茂原に転勤になりました。
「新しい職場はどう?」と聞くと、ストレスフリーになり快適だそうです。

前の職場は人間関係がうまくいっていない職場だったようで、
仕事帰りにストレス発散することが多かったようです。

社会人になって、社内の人間関係が大切なのがよくわかったのだと思います。


以前、東京でコーチ仲間の会合があり、やはり話題は「企業内でのコミュニケーションについて」でした。「社員が言うことをきかない」という社長さんをコーチするという方からお話を伺いました。

どうして社員は社長の言うことをきかないのか?
その原因はどこにあるのか?社員なのか?社長なのか?
ということが気になりました。

社内のコニュニケーションが良くなれば、何がかわるのでしょう?

今までにコーチの皆さんからお話を伺っていて気付いたことがあります。
それは、上司と部下とのコミュニケーションがうまくいっている会社は、生産性も上がっているし精神面(メンタル)の問題も少ないということです。

反対に、コミュニケーションのうまくいっていない会社は、上司の思いが伝わらないためか社員の意識付けが低く、生産性や効率も悪いようです。それに社員の精神面の問題を多く抱えているように思います。

このようなことは、メンタルサポートを行っている人やカウンセラーなどが指摘しているところだと思うのですが、やはりどの仕事でもコミュニケ-ションがとれていないと問題を引き起こす原因になっているようです。

会社の最大のリソース(資質)は、‘人‘です。
お客様、社員、社員の家族が宝です。
経営者なら、実績も精神面も成長できるような会社にしたいと思いますね。

そのために『人を育てる技術』が、管理者・上司には必要なのです。
社員を育てること。
お客様を育てること。

「エッ、お客様を育てるっての?」と思った方、
そうなんです。お客様も育てられる会社が成長できるんですよ。

人には『成長欲』というものがあります。
誰でも「今よりももっと成長したい」と思っているということですね。
ですから、自分を成長させてくれる(成長欲を満たしてくれる)企業を支持してくれるんです。

ただ商品やサービスを売っていたのではダメなんです。
それによって、お客様自信が学んだり、成長できるものでなければリピートされません。

私は保育サービスを提供させていただいていますが、子どもは元より、親御さんたちの成長も願っています。ですから、話を丁寧によくお聴きするようスタッフに指導しています。
それによって、親御さんご自身が子育てを振り返り、気付いたり、改めたりしながら保育士と共に成長されているんですね。「自分の成長を一緒に喜んでくれた」と感じていただけたら、ここに預けて良かったと思っていただけることでしょう。

我が社では、定期的に社員教育研修を行っています。
『傾聴・承認・質問のスキル』をロールプレイを交えながら訓練し、実践で役立つ人材を育てています。

個人の成長欲をうまく引き出してあげることこそ、会社にとって目覚ましい発展に繋がっていくと思います。


『人を育てるコーチング技術』の第一段階は、
まず、社員やお客様の話を口を挟まず、最後までキチンと聴くことです。

傾聴すること、これがなかなかできない。
ついつい、話の途中で自分の意見を言ってしまいたくなる。

根気よく話を聴くことこそ、現場の大切な情報がもらえる唯一の方法なのです。

私は、神話の里・宮崎県出身で、日本の初代天皇「神武天皇」をまつる『宮崎神宮』のすぐ近くで生まれました。
私の名前「悦子」は、当時の宮崎神宮の宮司さんがつけてくださったそうです。
そんな実家ですから、とても神道(しんとう)を重んじる家でした。
私も何かの折には、必ず神社でお払いや祈願をして、お嫁に来てからも自宅に神棚をお祭りし、月に一度の月例祭と朝夕の参拝を行っています。

そのお陰か、私は小さいころから神様の存在を身近に感じていて、何か困ったことがあっても、心配したり、迷ったり、悩んだりすることがあまりなかったように思います。「私はいつも神様から守られている」という安心感があったからでしょう。それは今でも変わりません。

そんな神道ですが、神道の考え方については、日本人であってもあまり知っている人は少ないのではないでしょうか?
今日は、日本人のルーツである神道について調べてみました。


天皇の先祖である天照大御神をお祭りしている伊勢神宮は、神社本庁の本宗(ほんそう)とされていますが、私たち日本人は、アマテラスの子孫とされています。神道なくして日本は成り立たないとも言われます。
それほど日本人にとって、身近で大切なものです。

本来の神道は、個人個人の信仰を重んじる、あいまいなかたちのものだったそうです。神道では、「良心をもった人々があつまって神を祀れば、よいことが起こる」と信じてきました。そういう思想から、日本のあらゆるところに神を祀る『神社』があります。神社は、神を祀る場所であるとともに、自分の身を清める場所でもありました。

日本に仏教が伝来して以来、朝廷の支配層の意向によって、だんだんと仏教や儒教の知恵をとりいれながら、神道の形式としてまとめられていきました。これが所謂、『神仏習合』ですね。密教が『神仏習合』を進めたそうです。

当時、学僧のあいだで広まっていた主張に、「仏は幾度も生まれ変わり人間を助けるものであるから、日本の神は仏の生まれ変わった姿のひとつであると考えられる」というものがありました。これが『本地垂迹説』です。ところがその後、仏教勢力が衰退し、明治時代になってから『神仏分離』がおこなわれました。
そういえば、昔お寺だったという『三峯神社』でそのようなお話を伺ったことがあります。

人間が人間らしく、正しく生きることをすすめるのが本来の『神道』だったということです。ですから、経典もない。縛りもない。他の宗教も否定しない。

そのかわりに、『祝詞』(のりと)や『祓詞』(はらへことば)を神様に唱えます。
これは、感謝の心をあらわしたり、心を清めるという意味があり、
神様にお願いをするというよりも、祝詞や祓詞で自分の心をあらわすということです。

ですから『教』と言うよりは、『道』という考え方の方がふさわしいのでしょう。
これこそが日本人の根源なのかもしれませんね。

日本には、八百万の神がいます。
自分の信じてる教えとは違っても、それに適応する素晴らしい国民性だと思います。
クリスマスをお祝いして、お正月には神社・仏閣にお参りする。
キリスト教やイスラム教じゃ考えられないですよね。

自分の考えや信じるものが大切なら、他人の考えや信じるものも大切にしないといけないということを知ってるのは日本人の素晴らしいところだと思います。

だから、日本は平和なのかもしれませんね。

今朝、身近な方のお父様が亡くなられたと訃報が入り、とても驚きました。
心よりご冥福をお祈りしたいと思います。


最近、人の死について、また考えさせられることが増えてきました。
昨日、死や生き方について書かれていた掲載記事を読んだばかりでした。
少しご紹介します。

仏教の言葉に、『苦諦』(くたい)という言葉があります。
苦諦とは、「苦が諦である」ということで、それは苦であることが真理(サトヤ、satya)であり、人間の生存そのものが苦であるというものです。(その意味では、苦とは哲学的意味をもった苦である)
苦には、四苦といわれる「生・老・病・死」と、加えて八苦といわれる「愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦」があるそうです。これを合わせて「四苦八苦」と呼びます。

よく「今度生まれ変わる時には…」なんて言いますが、本当は生まれ変わらない方がいいのだそうです。
この世には、四苦八苦があるからです。成仏すればこの苦しみは無くなり、生まれる苦しみも、老いる寂しさも、病気の痛みも、死ぬ恐怖もないわけです。だから、生まれ変わらないことが一番の幸せだとも言えます。

では、どうして「輪廻転生」があるのかというと、それは自分が生まれることを選んだから、生まれてきたのだそうです。

その理由は、「もっとああすればよかった…」「もっとこうしたかった…」という後悔や執着によるもので、人生を味わい尽くさず、幸せに感じなかった場合、「しまった。今度こそうまくやるぞ!」という気持ちからもう一度生まれ変わることを選択するのだそうです。

要するに、魂が重いと研磨し魂を浄化しきれいになろうとするようなもので、生まれ出てくるということは、前世で成し遂げられなかった課題や宿題をやり直すためなのでしょう。
全ては自分が選択してきたことなんですね。

それでは、今世の宿題とは何ぞや?ということですが、
それは、『自分の人生に満足する』ことなんです。
「楽しい」「嬉しい」「充実感」「達成感」があると言えばわかるでしょうか?
自分の人生の一瞬一瞬を味わい尽くして、楽しんで、喜んで、うれしいと思って、感謝して、満足することで幸せになること。そうすると、「もう思い残すことはない。十分にこの世を味わった。悔いはない。楽しかった」と自分の魂が満足し、もう一度生まれ変わろうとは思わなくなるそうです。

「生きるのは辛いから、もう二度とこの世には生まれて来たくない」と思うと後悔が残り、やっぱりもう一度やり直したくなる。だから、結局は今世で幸せにならなければ、また来生で幸せになるためにやり直さなければならなくなる。これが生きる課題なんですね。


私は、もう二度と人間に生まれ変わりたくはありません。
だって、また初めから「四苦八苦」をしなければならないと思うと気が重くなります。
死んだら成仏して、大好きな神様・仏様の元でずっと穏やかに過ごしたいと思ってしまいます。

だから、この世はこれで最後の人生。
そう思って、この世で過ごせる残り少ない貴重な時間を思いっきり楽しんで、やり残しのないように生きようと思います。

私が人生を満喫し終えて死ぬときは、スキップしながらるんるん気分で天に昇って逝きたい。なんて、自分が死ぬときをイメージすることは、生きることを考えることでもあるんですね。

「これで最後の人生だ」と思えば、毎日見ている景色も違って見えますよ。

春になりました。草花がきれいな色をつけています。
いい季節になりましたね。

各保育施設にもお花がいっぱい咲いています。
見に来てくださいね。


NPO法人民間児童館おおきなかぶ
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1~6年生をお預かりしている大網白里市認定の学童保育施設です。
ありんこ親子保育園との連携で、1歳児から小学6年生までの異年齢保育を行っています。


ありんこ親子保育園
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おおきなかぶのお隣にある「ありんこ親子保育園」は、千葉県『認可外保育施設指導監督基準を満たす旨の証明書の交付を受けている施設』(優良保育園)です。平成29年度4月より、認可保育園に移行するためにがんばっています。



ありんこの森保育園
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この4月に新規開園した「ありんこの森保育園」は、大網白里市小規模認可保育園です。
「ありんこ親子保育園」の分園になります。
約300坪の敷地内には様々な草木があり、まるで森の中にいるよう。
毎日、ウグイスやキジなどの野鳥の鳴き声が聞えてきて心地いいですよ。


各施設に入園・入会ご希望の方は、是非、見学してみてくださいね。
※見学は各施設へお問い合わせください。


人の出逢いとは不思議なものですね。
「どうしてこの時期に、この人と出逢ったのだろう?」と思うことはありませんか?

私は毎日、たくさんの方との出逢いがあります。
これは何かのご縁なんですね。
『この世に生まれる前からのご縁がある』と思っていますので、
皆さんとの出逢いには、きっと意味があるんだろうな、と思っています。


日蓮大聖人の御書の中に、『一劫』という時間の長さが書かれているそうです。

一劫とは?
『一劫と申すは八万里なんど候はん青めの石を・やすりを以て無量劫が間するとも つきまじきを、梵天三銖(しゅ)の衣と申して きはめてほそくうつくしきあまの羽衣を以て三年に一度下りてなづるに なでつくしたるを一劫と申す』

現代の表現に直すと、「野球場くらいの大きな石が無くなるまで、布で磨いてかかる時間のこと」を表しているそうですよ。

法華経では、単位のつけようがない時間を例えて表現する手法が使われているそうですが、それにしてもとてつもなく長い時間ですね。


人が出逢って一緒に食事をするご縁は、100劫分の時間がかかって出逢ったご縁なのだそうです。
袖擦れ合うのも何かの縁』(見知らぬ人とたまたま道で袖をすり合わせるというのも、前世からの深い因縁によるものであるということ。人と人との関係は単なる偶然によって生ずるわけではないので、大切にしなくてはならないという仏教的な考え方。「袖振り合う」は「すり合う」ともいい、さらに「袖の振り合わせも…」ということもある)
「多生の縁」は「他生の縁」とも書くといいますが、袖をすり合わせるだけの人とでも一劫のご縁があるそうです。
すごいことですね!!

一緒に働いている人たち、家族や親せきなんてどの位になるんだろう?
自分の周りにいる人たちは、1,000,000劫の縁かな?もっとかな?
そう思うと人の縁は大切なんですね。

これからも、たくさんのご縁がありますように…。


・・・

ありんこの森保育園開園記念に花ももの木を植えました。
子どもたちも記念樹も、すくすく大きく育ちますように

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日本の子育てとアメリカの子育ての考え方の違いに、セルフエスティーム(Self-esteem)を育むというのがあり、大きな差があるようです。

セルフエスティームとは、自尊心と言う意味です。
自尊心とは、自分を尊重する、大事にするということですから、それがあるかないかで、毎日の自分の気持ちが随分違います。自分自身を好きになり、大切にしようとする気持ちを持つことが大事だとされているのです。

日本は昔から叱って育てる風潮がありました。
『謙遜が美徳』の日本では、我が子を人前で誉めることはあまりしませんね。
叱られることはもちろん大切なことですが、ことセルフエスティームを高めるとなると、いつも叱られてばかりいる子どもは、「自分はダメな子だ」と思い、自信がなくなり自分が嫌いになってしまうようです。
親から大事にされていないんだと思うと自暴自棄にもなりますね。
「自分はいない方がいいんだ」とますます反抗的になるかもしれません。
これは、セルフエスティームが低い状態です。

このままセルフエスティームが低い状態で大人になると、人間関係で積極的になれない、自信がない、自立できないなど引きずっていくようです。

セルフエスティームを下げる対応には次のようなことが挙げられます。

・能力以上の課題(難しい課題)を与え過ぎて、子どもの失敗体験を増やしている
・結果だけで判断して叱責し、そのプロセスや努力を認めない
・他の子や兄弟と比較して、ダメだと決めつける

このような対応が続くと、自分は嫌われていると思い殻に閉じこもってしまいます。
しかし、少し対応を変えるだけでセルフエスティームは高められます。

・その子の実力に合った課題を与え、「できた」という体験を増やす
・「よく頑張ったね」と努力したプロセスをほめる
・周囲の子とは比較せず、以前からみてその子ができるようになったこと、上達したことをほめる

悪いことをしたら、その事柄だけを叱って、人格を否定するようなことは言わないようにしてほしいのです。「悪いことをしたから叱っているけど、あなたが大事なのよ」とメッセージを伝えてあげることが大切です。

自分は誰かに愛されている、大切にされていると思うだけで、セルフエスティームが高まることを忘れないでほしいなと思います。


長女に子どもが出来て、

私は3人兄弟の一番上。3つ違いと5つ違いの弟が2人います。
子どもの頃は、すぐ下の弟とよく兄弟げんかをしました。「うちには男が3人いる」「男と女を間違えて産んだ」などと、亡くなった母からよく言われたものです。
気性が激しく負けん気の強かった私と弟は、中学生くらいまで対等にケンカをし、絶対に引かなかったことを覚えています。(今では何かあるとすぐに帰省してきてくれる、頼れる兄弟になりました)


兄弟はライバル?

子どもにとって、兄弟はライバルかもしれません。親の愛情や注目を、他の兄弟よりも少しでも多く自分に向けさせようとします。例えば、他の兄弟が新しい洋服や玩具などを買ってもらったりすると、買ってもらえなかった子は不機嫌になり当たり散らしたり、ひがんだりします。兄弟ケンカも起こるでしょう。だからと言って、両方同じものは買えないときもあります。親にとっては、よるとさわるとケンカばかりしているように思えて、うるさくてしかたないと思ったりしますね。


兄弟に歳の差は関係ない

親としては、どうしても上の子が大きいので、下の子をかばってしまうこともあるかと思います。しかし、下の子は、上の子のやること、親から叱られている姿などを見ているので、要領よく叱られないようにしたり、上手に甘えたりすることができる子が多いですね。それに比べて、上の子は不器用に思えます。はじめての子ですから子育てもはじめてですし、わからないことが多いので、親も子もお互いに緊張があるからでしょう。それで親は、上の子を少し距離を置いてみてしまうことがあるようです。

親はどの子も同じように育てているつもりですが、子どもから見たら愛情の受け取り方が違うのですね。親は3人いたら、3人とも100%ずつ愛情をかけていると思っても、子どもから見たら、3分の1、いいえ、自分だけは10分の1しかもらっていないと感じている子もいるかもしれません。
「お兄ちゃん(お姉ちゃん)だから」と、上の子の甘えを我慢させたり、又は、兄弟の中の1人だけ偏愛すると、偏愛された子も、他の子も性格が歪む可能性があるといわれていますので、兄弟は歳の差は関係ないと思って、平等に愛情を注ぐようにしましょう。


兄弟の育て方

私は結婚して、4人の子どもができました。子どもたちが小さいころから兄弟の関わりを見たり、自分の子どものころを思い出したりして、兄弟の育て方の工夫をしてきました。

子どもはみんな、自分が1番がいいのです。「お母さんは、本当は僕(私)のことが1番好きなんだ」と思いたいのですね。しかし、まじめなお母さんは、「あなたも大事だけれど、この子も大事なのよ」と言ってしまいます。そんなことは、わざわざ子どもに言わなくたっていいのです。子どもながらに他の兄弟も大事だって、ちゃんとわかっています。
子どもの気持ちは、お母さんから愛されたい、ただそれだけを求めているのかもしれません。

北野武(たけし)、北野大(まさる)兄弟もまた4人兄弟でした。母のサキさんは、4人の子どもたちにそれぞれ、「お前を1番頼りにしているよ」と言っていたそうです。それを聞いた大さんは、「4人も兄弟がいるのに、母は自分を頼りにしてくれている」と思って、母を喜ばせようと一生懸命勉強したそうです。サキさんが亡くなった後の法事の時に、他の兄弟も同じことを言われていたと知り、笑ってしまったとおっしゃっていました。

子どもにとって、2番目3番目はつらいものです。それを感じるから、親の愛情を試そうとするのだと思います。ですから、4人いたら、1番が4つあってもいいのです。子どもにちゃんと自分は大事に思われていると感じられれば、他の兄弟のことも大事にします。

私は、子どもたちがまだ小さい頃、1対1で子どもと過ごす時間をつくっていました。子どもたちは忘れているかもしれませんが、子どもの誕生日は、お母さんとデートの日だったんですよ。一番下の子がまだ赤ちゃんでしたが主人に預けて、長女と一緒にランチを食べに行ったり、次女と買い物に出かけたりしました。普段は二人っきりになることがないので、ゆっくり話ができました。いつも忙しくしているために気付かなかったところも見えて、とても嬉しかったことを覚えています。


私は、身近な人たちからいろんなことを見せられてきました。祖父母や叔母が亡くなった後、残された兄弟が争そってバラバラになってしまったのを見てきて、お祖母さんは何のために、一生懸命子どもを産んで、戦後を苦労して子どもを育ててきたのだろう?と思ったこともありました。遺産争いをさせるために子どもたちを産んだのではない。自分が死んだ後も、兄弟仲良く助け合っていけるようにと、たくさん子どもを産んだのではないだろうか・・・?

兄弟というものは血のつながりがありますから、いったんこじれると殺人まで発展するケースもありますね。でも、その元は何かといえば、親の愛情の取り合いだったのではないかと感じます。


小さいころの兄弟ケンカには、遠慮がありません。言いたいことを言い合える関係だからでしょうね。かと思うと、数分後は何もなかったかのように一緒に遊び始めたりもします。兄弟の関係は友達とはまた違うものなんですね。それがいいところでもありますから、小さいころのケンカは見守って、親は子どもたちに1対1の絆を築くために、「あなたが1番大好きよ」と言って育ててほしいと思います。

兄弟仲良く それが親の願いです。


保護者の皆様へ

花便りも伝わる今日このごろ、保護者の皆様におかれましてはご健勝のことと存じます。平素はおおきなかぶ学童保育ありんこ親子保育園共に、ご理解とご協力をいただきまして、心より感謝申し上げます。

さて、弊社ではこのほど千葉県大網白里市永田に大網白里市小規模認可保育園『ありんこの森保育園』(0歳児2名、1歳児5名、2歳児5名、合計12名)を開設し、 本日より新規開園する運びとなりました。これもひとえに皆様方のご支援ご芳情の賜物と深く感謝申し上げます。
今後は、以下の理念と保育方針の元、地域の子どもたちの育成に努めて参りたいと存じます。

<基本理念>
・子どもたちの心身共に健やかな育ちを支援
・子育て家庭に対する支援
・地域に開かれた子育て支援の拠点を目指す 

<保育方針>
・情緒豊かな子
  自然や異年齢の子ども達とのふれあいを通して、情緒豊かに育つよう保育します。
・伸び伸びと遊べる環境づくり
  まるで我が家のように、伸び伸びと安心して過ごせるように関わります。
・一人ひとり丁寧に
  園児一人ひとり違う発育や発達に合った関わりを心がけます。

尚、園長には、本園「ありんこ親子保育園」(大網白里市みずほ台)で長年勤めました住吉亮子が着任いたします。ご指導ならびにご厚情を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

地域の皆様にも、何卒、ご理解をいただきます様、重ねてお願い申し上げます。


平成28年4月1日
エンカレッジ・ステーション株式会社
ありんこの森保育園
理事長 中嶋 悦子