以前、テレビで孤独死が増えているという内容の番組をやっていました。

子どもがいない、離婚したなどの理由で独り暮らしを余儀なくされているそうですが、今の70歳以上の世代はまだ兄弟も多く、甥や姪がいても孤独死が増えているのだそうです。

『このままでは、2040年ごろには年に20万人が「孤立死」するようになる。この人を最近見掛けなくなったという話から、役所の人が亡くなっていないか訪ね歩く。今、孤立死は3万人とみられ、全体の125万人の死亡数と比べれば、100人に3人いるかどうか。それが、5人亡くなれば1人近くは引き取り手がないとなって、行政の仕事になる』
年間20万人が孤立死。家族難民があふれる日より~

晩婚化で子どもを産める年齢が限られているため、子どもの数が減ってきています。
離婚率も高くなっています。核家族も多いですね。
その結果、独り暮らしのお年寄りが多くなり、身寄りのいない、引き取り手がいない、という状態になっているそうです。

いろいろな事情があって、結婚しない、子どもを産まないという人もいるかもしれません。
若く元気なうちは問題ないですが、自分も齢をとります。身体が動かなくなって、仕事もできない、家事もできない、病気になったりと何があるかわかりません。結婚や妊娠できるチャンスがあるのでしたら、家族をつくることも人生においては必要なことなのだと思います。

私は、”老いて幸せになるために、若い頃に苦労をするのだ”と思っています。
広大な荒れた畑に鍬を入れる時は、これからどうなっていくのか、先は全く見えない状態です。それでも、諦めずに一つひとつ草を取り、石を取り除き、固い土を耕して、種を蒔き、水を与えながら、コツコツと働いていれば、やがては芽が出て花が咲き、実が成る日が来ることでしょう。

人生も同じではないでしょうか。
若いうちは苦労が多い。何かを始めようとするときには、試練がたくさんある。
先が見えない状態でも、コツコツと働いていれば、いつかは実の成る日もくるというものです。

平均寿命が90歳近くになっている現代、それを人生で例えれば、20~30代は、まだまだ畑を耕して種を蒔く時期。40~50代になって花実をつけ、収穫できるのは60代以降ではないかと思います。だから、若いうちの苦労は当たり前です。

私は、60歳以降で人生の収穫時期に実りのある人生にするためには、持っておかなくてはいけない重要なものがあると持っています。

1、安定した収入
  年金以外に生活していけるだけのお金が毎月入ってくる(仕事や資産)

2、人との繋がり
  家族、趣味や仕事の仲間など

3、穏やかなで健康な心身
  やすらぎがあり、興味のあることができる身体を持つ


誰でも齢をとるのはわかっているのですが、そのために老いの準備をしているか? と聞かれると、考えていない人が多いのです。

どういう状態で人生の最後を迎えたいか?
やすらぎの中で家族に看取られたい、と思うのであれば、今から何をすればいいのか? 人生の逆算をすることが大事なのだと思います。


数年前に亡くなった父方の遠い親戚の叔父さんは、若い頃はお金持ちで羽振りが良かったそうですが、傲慢だったため奥さんに逃げられ、子どもは行方知れずとなり、齢をとった後はお金もなくなり、孤独死だったといいます。身寄りがいないため葬式もあげられず、私の父と年老いた叔父の姉が納骨をしたそうです。

人の繋がりを大切にしなければ、いずれは独りになってしまいます。
今が良ければいいというのでは、先が見えません。

50歳を過ぎたら、後半の人生設計を見直す時期かもしれませんね。

”チャンスは貯蓄できない”
とか、
”チャンスの神様には前髪しかない”
っていわれますね。

チャンスが過ぎた後に「あれがチャンスだったんだ」と、わかってもすでに遅し…。
慌てて振り向いてチャンスを掴もうと思っても、チャンスの神様には後ろ髪はないそうですよ。

だから、チャンスを逃さない。

どうして、逃してしまうのかというと…。
迷うからですね。
 「どうしようかな?やっぱり人に相談してからにしようかな」
 「私にできるかな?やっぱり無理かな…」
 「リスクがあったらどうしよう…」
と思っているから、結局できなくなってしまう。
考えている時間が長いのです。

チャンスを掴むことができない人は、そのチャンスに対して自分の責任で決断できないからかもしれません。

もしくは、本当にやりたかったことではないのかもしれません。
しかし、自分がやりたいこととチャンスの内容は、直接結びつかないことの方が多いものです。これがどうつながっていくのか?わからないから面白いのです。

みんなできるだけ失敗したくないと思っています。
失敗するだろうと思っていると本当に失敗した時に「やっぱりそうだった」と思ってしまいますが、”失敗”を想定するから失敗するとも言えます。
失敗したくないと思うと、失敗した時を想像してしまいますから、自分の脳に失敗のイメージができてしまうのです。

あれこれ考えるより前に、これはチャンスなのか判断することが大切なのですね。
だって、これを逃したらもう同じチャンスは来ないのですから。

人生においては、決断の連続です。
決断したことが道となり、自分の人生を創りあげてきたのです。
失敗しないようにと選んだ道でも、本当に失敗しない道だったのかは、数年間歩いてみないとわからないものです。

私の過去10年間を振り返ってみても、決断した当時は大変でしたが、今となってはあれで良かったのだと、我ながら歩いてきた道が王道になったことを誇らしく思えます。

これからの人生においても、チャンスの神様が通り過ぎることでしょう。
チャンスを掴めるよう、アンテナを張っていきたいと思います。

失敗しても、くじけなければいいんです。
一時的に落ち込んでも、立ち直ればいいんです。

そんな人に育てばいいんです。


失敗しないように、転ばないように、傷つかないように頑張りすぎると、
失敗してはいけないというプレッシャーで、伸びなくなります。
失敗したらもうそこで終わりになってしまうかもしれません。

失敗してもいい。
くじけなければ、何度でも挑戦できます。
自分を立て直すこともできるでしょう。

子どもの頃に小さな失敗をたくさん経験してほしい理由は、大きな失敗を回避できる訓練になるからです。失敗をさせないように育てることは、大きな失敗をさせてしまう恐れがあるということです。絶対にやってはいけない大失敗をさせないためにも、小さな失敗はたくさん経験した方がいいと思います。

失敗したわが子を心配し、口出し手出ししすぎるのではなく、おおらかに長い目で見守っていてほしいなと思います。


子どもは親と過ごす時間よりも、他人と過ごす時間の方が遥に長いのです。
居心地が良すぎる家で育った子どもは、他人と暮らしていくのが難しくなってしまうかもしれません。

だから、家庭は少し不便で、もの足りないくらいがちょうどいいのだと思います。
家庭だけで満たされていたら、外に出ようという気もなくなります。


子どもは、自分の家で遊ぶよりも、他の家に遊びに行く方が数倍も学べるものです。
他の家は、自分の家とは文化や習慣が違うことを見たり聞いたりできるからです。
自分の家と他の家は違う、ということを知ることも大事ですね。

他人と心地よく暮らすことが出来るようになるためには、人間関係でたくさん失敗した経験が必要です。ケンカをしなければ、仲直りの仕方はおぼえられません。
人を傷つけた経験がなければ、悪いことをしたと反省をすることもないでしょう。

失敗することを恐れなければ、失敗しても「今度は気をつけよう」と思ってまた挑戦できるでしょう。


失敗は成功の元。
失敗しないようにすることと、成功することは違うのです。

社会に出たら、
チームの一員として、夢や目標に向かってあきらめないで挑戦してほしい。
失敗してもくじけない人になってもらえたらいいな、と思います。


自分の考え方ややり方を変えるのは、なかなか難しいですね。
誰でも自分の考え方ややり方を変えたくはありませんから。

でも、その考え方ややり方が間違っていたらどうしますか?

気がついても変えられない、ダメだとわかっていてもやめられない心理を『塹壕効果(ざんごうこうか)』といいます。よく投資や経営で使われる言葉ですが、日常の場面でも当てはまることがあるようです。


塹壕効果とは?
たとえば鉄道会社で、膨大な費用をかけて路線を延長する工事を行っているとします。ところが計画を洗い出してみると、その路線は延長しても採算をとるのが難しいことがわかりました。もし、あなたがこの鉄道会社の社長だったらどんな支持を出しますか?
A、延長工事を続ける
B、延長工事を中止する

様々な大規模な事業や公共事業の見直しがされていますが、いったん中止が決まったのにいつの間にか継続されていたということがあります。Bを選んだ人の理由は、「これだけの支出をしているのだから、このまま中止(変更)するのは今までの支出が無駄になる」というものです。このように鉄道会社の社長が、頭の中では工事継続が得策ではないとわかっていながら、現実にはレールを敷くということを続けてしまうこと。このように『サンクコスト(事業に投下した資金のうち、事業の撤退・縮小を行ったとしても回収できない費用のこと)がもったいない』と思う心理を利用する傾向を塹壕効果といいます。

今までの資金、動力が無駄になる…。
保身効果とも言いますが、つまり、このまま支出を続けても無駄なことがわかっていながら、自分の保身のために間違った行動をとることを言います。

サンクコストにこだわり過ぎると、逆に雪だるま式に問題が大きくなっていくことがよくあります。投資や経営は、絶対的に‘損切り‘ができる人でないとうまくいかないのだと思います。

ダメだとわかっているのなら、今までの考え方ややり方を変える勇気を持つことが大切です。


個人の場合も同じです。
今まで自分がやってきた考え方ややり方が間違っていたと気づいた時に、それを変えることは今まで自分が信じてきたことや努力したことが無駄になってしまうと思い、間違っているのではないかと思いながらもやめられない人もいるようです。

私は、あまり執着心がありません。今ここで自分が間違っていることがあったら、それまでの経緯や自分の努力などが無駄になるとは考えません。いい方向がわかっているのなら、迷わずそちらを選ぶことができるでしょう。

変えられない人は、どこかで甘い期待を持っているのかもしれませんね。
「いつかよくなるだろう…」なんて、「いつか」は来ないものです。

今変わらなかったら、将来はどうなるか?
真剣に考えなければならないことなのです。

以前、学童保育で起こった出来事です。

始めは皆と交代で楽しく遊んでいたのに、その内に順番が守れなくなった男の子が「代わりたくない」と言い出して、皆がやりたい遊びだったために待たされた女の子が涙ぐむ場面がありました。

それを見た周りの子が、その男の子を責め始めました。
すると、今度はその男の子が大泣きしてしまったのです。

やりたいことを少しがまんし、交代することができるから皆と楽しく遊べるのですね。一人ではできない遊びですから、がまんが利かなかったら皆と楽しく遊べなくなってしまいます。
そのことを子どもたちが体験として学んだ瞬間でした。


この「集団遊び」が「がまん」を育てるのです。
鬼ごっこやおままごとでも、決して自分のやりたいこと(役)だけではありません。
「鬼はイヤだ。ほかの遊びがしたい」と我がままを言ったり、勝手に遊びから抜けたら、ルールも何もありません。遊びはルールに従って遊ばなければ、皆が楽しめないのです。

以前にもトランプや人生ゲームで負けたと悔し泣きをする子がいましたが、これもいい経験です。
悔しい思いは、一人遊びではなかなか味わえないからです。
それに、ケンカをしても仲直りするという繰り返しで、人間関係やコミュニケーションを体験から学ぶことが出来ます。

こうして見ていくと、集団での遊びそのものが、「がまん」を育てることになるということがわかりますね。また様々な異年齢の子どもの集団では、大きい子が小さい子を思いやる場面にも度々遭遇します。大きい子は自分がゆずらなければならないこともあります。小さい子は大きい子の言うことを聞いて、我慢しなければ遊んでもらえないこともあります。そうやって、昔から子どもは遊びの中で「がまん」しながら育ってきたのです。

今の子どもたちは、遊びが変わりました。
集団で遊ぶことよりも、ゲームや一人遊びが増えました。
しかし、一人遊びはがまんがいらないために、がまんすることを覚えられず、また人間関係やコミュニケーション力が育たなかった結果、成長して集団の中で生活をしたときに、他人とうまくいかないといったことが起こってくるのかもしれません。

保育と聞くと、まだまだ「小さい頃から預けられて可哀そう」という声が聞かれます。
しかし、本当に可哀そうなのは、一人遊びをずっとしなければならない子どもの方です。
思いっきり友達と遊んだ経験が、大人になってからも宝物になるのだと思います。

大泣きしていた男の子ですが、しばらくすると立ち直ってまた続きの遊びをやっていましたよ。こうやって立ち直り術も身につけていくんですね。

できるだけ、子どもは子どもの中で伸び伸び育てましょう。
そして、子どもたちには友達と遊んだ楽しい思い出をたくさんつくって、たくましく成長してほしいなと思います。

百里を行く者は九十を半とす
        ~戦国策-秦策・武王~

百里の道を行こうとする者は、九十里行ってやっと半分まで来たと考えよ。何事も完成に近づくと気がゆるみ失敗しやすいから、九分どおり済んだあたりを半分と心得て努力せよ、という意。~ことわざ集より~

何事も終わりのほうほど困難であるから、九割位まで来てやっと半分と心得て、最後まで気をゆるめるな、という戒めの言葉。あと少しのところまで来ても油断せず、まだ半分残っていると思って気を引き締めていけということ。



何事も最後が肝心。
”終わりよければ総てよし”の如く、
最後の詰めが甘ければ、それまでの苦労が水の泡…。
何にもなりません。

最後の実りをもって、その実績が評価されるのが世の常です。
ゴール直前のラストスパートにその力量が問われるのだと思います。

あと少しでゴールのところで気を抜かないで、
まだまだ半分だと思い、それまで以上に気を引き締めて最後の詰めをしっかりと行うこと。

今日の仕事は、明日へ繋がっています。
まがうことなく目標を定め、確実に足場を固めて進んで行きたいと思います。

前回のブログの続きです。

幼児期特有の嘘はあまり心配しなくてもよかったのですが、
反対にちょっと心配な子どもの嘘もあります。

大丈夫な嘘か、注意すべき嘘か、見極めが必要ですね。
今日は、注意してほしい子どもの嘘について、取り上げてみたいと思います。

注意してほしい子どもの嘘には、以下のようなものがあります。
・叱られないようにつく嘘
・人に認められたい、注意をひきつけたいという気持ちからつく嘘
・親の真似でつく嘘

注意してほしい子どもの嘘についても、子どもは悪意があって嘘をつくわけではないことがわかります。
「嘘をつくのは悪いことだ!」「なぜ嘘をつくのか?」と問い詰める前に、どうして嘘をつかなければならなかったのか?その出来事の背景や子どもの心情を考える必要があります。


子どもが気になる嘘をつくようになったら、親御さんは以下の点を振り返ってみましょう。

・子どもに厳しすぎないか
子どもを厳しく問い詰めると自分を守るために嘘をついてその場を取り繕うことがあります。この場合、嘘に嘘を重ねてしまうこともありますから注意が必要です。

・ほかの兄弟ばかり目が行っていないか
・学校等での人間関係
親に対しては「今日、学校で100点のテスト返してもらったんだよ。でも、落としちゃった。」とか、お友達に対しては「ぼく、○○や△△のゲームソフト持ってるんだよ。」などと言ってしまう嘘です。

・適当なことばかり子どもに言っていないか
親が子どもに適当なことばかりいっていると、子どもも罪の意識がなく同様に気軽に嘘をついてしまう場合があります。

それぞれの理由によって、対処法が変わってきます。
厳しすぎや我慢のさせ過ぎはないか、親の言動はどうか、友達関係はどうかなどをよく見てみることが大切です。

子どもは大人や自分の周りの人のことをよく見ています。
子どもに問題が現れたら、自分の子育てを振り返る時期だと思って早めに対処するようにしましょう。

先日、某保育所に視察に行った時のこと。
3歳児を担当していた年配の保育士さんが、○くんのお着替えを援助していました。
みんなはお着替えの前にトイレに行っていたのですが、○くんは行きたくなかったのか、
「トイレにいった」と言い張っていました。
それを聞いた年配の保育士さん。
「嘘でしょう?トイレ行ってないよね?ちゃんと先生の目を見て!」
などと、何度も○くんに言ってトイレに行かせようとしていました。
数分間のやり取りをしていましたが、結局、言えば言うほど○くんは頑なになってしまい、とうとうトイレには行かなかったのです。

離れた場所からこの光景を見ていた私は、この保育対応に疑問を持ちました。
・保育士さんは何をしたかったのだろうか?
・トイレに行かせることが目的なのだろうか?
・お着替えの前にトイレに行かせるという決まりを守らせることが大切?
・嘘をついていると決めつけるの?
・その嘘がどれほど悪いことなの?
・○くんは、なぜ嘘をつかなければならなかったの?
・疑われた子どもの気持ちはどんなだろう?

保育って、こんなんじゃないよな…。と思ってしまいました。
大人の都合で子どもは動いてくれないし、ましてや幼児です。
大人との信頼関係を築く大切な時期に、このような保育対応では子どもは先生を信頼できなくなるでしょうし、保育所が嫌いにいなってしまわないかと心配になります。

それに見たところ経験豊富な年齢の保育士さんのようですが、
だからこそ、凝り固まった考え方になっていないか、自分を振り返ることが必要なのだと思いました。

ほんの一場面なのですが、保育のやり方や考え方が垣間見られた瞬間でした。


今日は、幼児期特有の”嘘”について、取り上げてみたいと思います。

大人の嘘と幼児の嘘では、意味が違います。
幼児期特有の嘘は、それほど心配しなくてもいい「問題のない嘘」がほとんどのようです。

空想の世界の嘘
幼児期の子どもは、空想の世界と現実の世界の境界線がなくなり、現実にないことを本当にあったと思い込んでついてしまう「嘘」があります。たとえば、大好きなお人形がおしゃべりしたというような、かわいい内容です。成長とともに、少しずつ空想の世界と現実の世界との境界線がはっきりしてきて、こういう磯はつかなくなってきます。

願望の嘘
こうなったらいいな…という強い思いから、ついてしまう嘘です。
たとえば、お母さんが「春休みにディズニーランドに行きたいなー」と言ったとします。それを聞いた子どもが、ディズニーランドに行きたいという強い思いから、「今度、春休みに、ディズニーランドに行くんだ」とお友達に言ってしまうような嘘です。このような場合、本人は、嘘をついている意識がない場合もあります。

このように、誰かを騙そうというような「嘘」ではなく、幼児が成長していく過程の一つにこのような嘘があることを理解しておく必要があります。

冒頭でご紹介した○くんの嘘は、
「今はトイレに行きたくないよ」「早く遊びたいな」というような気持ちの現れであって、意図として嘘をついたわけではないのだから、真剣に取り合う場面ではないのです。

この場合の保育対応は、
・お着替えの前にトイレにいきたいかを聞いてみる
・行きたくないと言えば、「トイレに行きたくなったら教えてね」と伝え、
 そのままお着替えを促す
でもよかったのです。

例えおもらしをしてしまっても、また着替えればいいことだし、本人が「トイレに行った方が良かったな」と気が付いて、学習できればいいわけです。

この件で垣間見られることは、おもらししたらまたお着替えさせなければならず、自分の仕事が増えるという大人本位の考え方が根底にあるのかもしれませんね。

忙しい保育の仕事ですので、なるべく手間をかけたくないという気持ちはわかりますが、保育の主体はあくまでも子どもです。失敗させないように、手間がかからないようにすることが本当に子どもにとって良いことなのか?その辺の見極めが大切なのではないでしょうか。


ナポレオンの有名な言葉で、
一匹のライオンに率いられた百匹の羊と、一匹の羊に率いられた百匹のライオン』というものがあります。

「一匹のライオンに率いられた羊の集団は、一匹の羊に率いられたライオンの集団に勝る」という意味ですが、指揮者の重要性を説いたもので、リーダーシップについて語られる時によく使われるたとえ話です。

どちらが強いでしょう?
当然、一匹のライオンが率いる集団の方が強いのです。

強いライオンがたくさんいても、リーダーが弱いと活かしきれない。
いわゆる‘烏合いの衆‘になってしまうということです。

強さとは、見た目ではなく内容だと理解しています。
強い指導者は当然批判もありますが、集団をまとめるためには、常識や習慣を破っても成し遂げなければならない精神的な強さが必要だからだと思います。それには私心やエゴがあってはならないし、目的や目標が世の中のためになることでなければ長続きはしません。

しかし、現実にはこのような精神的に強いリーダーは少ないようです。
組織を守るためには、苦汁をなめる日々も経験しなければならないでしょう。
誰にもわかってもらえないことも多々あります。
重要なことを自分の意思で決断しなければなりません。
皆が同感してくれるわけではないし、必ず反対意見もあります。
相当な精神力がなければ、リーダー自信が潰れてしまいます。
でも強いだけでもダメ、優しいだけでも務まらない大変な仕事ですね。

経営者などのリーダーが、よく精神修行をすることがありますが、
リーダーは修行や修養が必要なのかもしれませんね。
私は20代の頃に修養をやりましたが、心の基礎ができたように思います。
時々、神社仏閣に行って学んだりしていますが、
リーダーに限らず、精神集中したい人にお勧めです。

目の前の現実から少し離れて自分自身を見つめなおす時間を持つと、
現実のことがよりよく見えたりすることもあります。
余裕がなければ強い心にはなれないようです。

中小企業の社長さんたちの参考になれば幸いです。

自意識過剰というと、自分に自信があって自分を高く評価している人のことと思っていいる人はいませんか?
実はそうではないそのだうです。

辞書ではこのように書かれています。
「自意識過剰(じいしきかじょう)とは、自分自身の事柄に関して過剰に意識している人。 自意識過剰とされている者には自分の外見や行動などが他人からどう思われているかなどに、必要以上に注意を払っている傾向がある。 人前でスピーチをする時などに他人に良い印象を与えることへの意識のし過ぎによる緊張が、あがり症と言われている」

また、自分に自信がない人は、プライドが高いとも言われます。
これ一見、逆に思いますよね?
「どうせ私なんか」っていうのはプライドが低いから、出てくる気持ちなんじゃないの?って。しかし、心理学から見るとそうではなさそうです。

今日はちょっと意外なカン違いのお話です。

「どうせ私なんか…」というタイプの人は、プライドが高く、
自分に自信がないというのは、自意識過剰傾向の強い人なのだそうです。

セルフイメージとして自分の価値や実力を低く見積もっておけば、失敗したとき「当然」だとか「やっぱりダメだった」と言い訳にでき、他人から攻撃される(責められる)前に、自分を低く設定しておけば、その攻撃から逃れることができます。
「どうせ私なんて」と、そうやって自分を低く設定しておけば「自分のプライド」が傷つかなくて済むということを無意識のうちにやっているのだそうです。

でも、自分の実力より低く設定すれば、他人から見たら「頑張っていない」「努力が足りない」などと見られてしまうわけで、自分の意図とは反対な結果になることが多くなります。ですから、自意識過剰で他人の目が気になり、人から嫌われたくないと思っている人ほど、結果、人から嫌われることになってしまうようです。

日本人は「謙虚」「謙遜」「謙譲」という3ケンを美徳としていますから、カン違いしやすいのかもしれません。ただこの謙遜や謙虚・謙譲というのと、この自分を低く見積もる(過小評価する)というのは、意味が異なります。こちらは「実力や自信があっても奢ることなく、素直に控えめなさま」を言います。基本的に、相手を立てるときに使います。
でも「どうせ私なんか…」というのは相手を立てているのではなく、上で書いたように「自分は傷つきたくない」という「自分のプライドを守るため=自分を立てている」ようなものですから、概念が違います。(これはあくまでもメカニズムのお話です)

さて次は「自分に自信がない」というケースです。

自分に自信がない人は、
「変に思われないかな」
「あのとき言ったあの言葉。嫌われたかも」
「恥ずかしい」
「迷惑かもしれない」など…。とよく悩みます。

こう思われたらどうしよう。ああ思われたらどうしよう。
そして最後には「わたしって、どうしてこんなに自分に自信が無いんだろう…」とまた悩みます。

実はこれって、ぜんぶ「人目が気になる」症状です。
恥ずかしいのもそう。人目があるから、恥ずかしいわけで。
ようは自分に自信がないのは、自意識過剰なわけです。

相手は「単に忙しかった」「忘れていた」「気にしていない」というケースも多いです。
自分に自信がないと思っているひとほど、自意識過剰には要チェック!
なぜなら大概の場合、「自分で気付いていない」からです。

自分に自信が人は、「あなたが思うほど、他人はあなたのことを思ってはいない」
それを頭に置いておきましょう。

最近、「嫌われる勇気」というフジテレビのドラマが話題になっていますね。
あれって、アドラーの心理学が元になってるそうですが、対人関係で悩んでいる人は一度読んでみるといいかもしれません。

プライドも自意識も、本当は大切なものです。
そのプライドを持つ場所を考え、美しく正しいプライドを持つことが大切です。

そして自信のなさからくる自意識過剰ではなく、
自信がある自意識をもって生きていける人になりたいものですね。

大きな夢を叶えられた人は、小さな目標を持っている
数百・数万という小さな目標を確実に達成させたから
大きな夢というご褒美が与えられたのだ
しかし、その大きな夢は人のためのものでなければならない
自分のためだけの夢は、大きな夢とは言わないからだ
人のための大きな夢を叶えるために
小さな自分の目標がある
自分がされてうれしいことを周りの人にもしてあげよう
それが世の中を動かす原動力になっていくものだから



私はほぼ毎日、様々なことに疑問を感じています。
「何か変?」
「これでいいのかな?」
「どうすればうまくできるかな?」
「もっといい方法はないかな?」
「誰に聞けばいいかな?」など、
常に頭は疑問符でいっぱいです。
思いついたら即実行。
昨日も学童の事務所兼、キッチンを使い勝手がいいように整理しました。

疑問を解消できなかったら、わかるまで調べます。
いい方法はないかと探します。
解決策が見つかると、それが目標になって達成させたくなります。

目標を達成させるために、毎日のように人とたくさん会話をします。
人から聞く情報の中には、アイディアや解決策がたくさんあるからです。

そして、夢が叶った後の楽しいイメージを常に持っています。
そうすると、自然に体が動いてしまうから不思議です。

動いているから運が開ける。
‘運も実力の内‘とは動いている人のことをいう言葉です。

今は小さな自分でも、毎日少しずつ身近なことから確実に目標をクリアし成長できたら、
やがては皆が喜ぶ大きな夢が叶っていくのだと思います。

今年は明るい! 目標達成させるぞ!
よし、がんばろう!

私は自分が女だから、女性の本当の強さを知っています。
女性は男性よりも強いですよ!

力ではなく、精神力や忍耐力、我慢強い人が多い。
それは、女性は子どもを産むようにできているからだと思います。

少しの試練でへこたれていては、子どもなんて産めません。
産んだ後も、子育てと言う試練が何度も何度もやってきます。
それを乗り越えてきた40~50代の主婦には、度胸もついています。

私自身もへこたれない性格です。
一つの方法がダメでも、2つ目の方法を考え出します。
それもダメなら、3つ、4つ目と方法を考え出して実行する。
今までも、タダでは起きぬで乗り越えてきた強みがあります。

どんなピンチの時でも、乗り越えられると思えば乗り越えられてきました。
必ず、クリアできる方法がある。
焦らず確実に前へ進んでいくこと。
そう考えると、力が湧いてきます。

「子どもを産んだ時のことを考えると、このくらい大したことはない」と、
私はいつもそう思います。
痛みをこらえることも、試練を受けることも、女は男よりも強い!
だから、大丈夫! 案ずるより産むが易し!

女は度胸!
なんとかなる!!

これが私の自信です。

イライラ・もやもや・ストレスをためておけないタイプのお子さんっていますね。
被害者意識の強い子、愚痴や不満を言う子、何でもマイナスに捉えてしまう子には、親としてどう接すればいいでしょうか?

子どもの愚痴や不満を聞いたとき、あなたならどうしますか?
「そんなことを言ってはいけません。あなたにもいけないところがあったじゃないの?」などと追いつめてしまうとどうなるでしょう?
その子は、心の中のもやもやを吐き出せず、そのままため込むことになります。
また、「自分は親に受け入れてもらえていない」という気持ちが強くなって、
そのストレスを友だちにぶつけてしまうこともあるようです。

大切なのは、子どもの気持ちを受容的に共感して‘聴く‘ことです。
受容することは受け入れることで、共感することは同じ気持ちになることです。
子どもの愚痴を受け入れて、おおいにうなずきながら聴いてやりましょう。
そして、その子と同じ気持ちになり、いっしょに怒ってみせるのです。
これを『ミラーリング』と言います。
子どもは自分の気持ちをわかってくれたと安心するでしょうし、そういう味方になってくれる親のことを信頼することでしょう。
それに、鏡のように子どもと同じようにして聴いてみると、なぜ怒っているのかもわかりますね。

この時に注意しなければならないのは、子どもの話を鵜呑みにして、本気になって感情的に怒らない事です。あくまでも冷静に、これは子どもの不満や愚痴などの感情を吐き出すのが目的です。

我が子に問題がありそうな場合でも、そのときはそれでいいのです。
‘吐き出す‘ことが目的なので、発散させてあげてください。
心がいっぱいいっぱいの状態の時に、何を言っても聞き入れられないものです。
そして、気持ちがすっきりして素直になったら、自分から反省の言葉を言ってくるでしょう。その時は、「もっといい方法はなかったのかな?」「これからどうすればいいだろう?」という質問をして、考えさせたらいいですね。

不平不満やストレスを感じやすいお子さんというのは、問題意識を持っているということで悪いことではないと思います。ただ、それを強く言ってしまうと批判や愚痴に聞こえるから、周りが受け入れてくれないことが多いのでしょう。
そういう時には、きつい言葉でストレートに言うのではなく、「ものには言い方があるんだよ」ということを教えてあげたらいいのです。同じことでも、拒否される言い方と、受け入れてもらえるような言い方があるということを親子でいっしょに考えたらいいですね。

お子さんの元々の気性や性格の傾向は、そう簡単には変わるものではありません。
我が家の子ども達を見ていても、基本的に2歳児から気性は変わっていないと感じます。元が変わらないのなら、方法を変えるしかないのだと思います。

否定的な言葉は使わず、最後まで話を聴いてあげましょう。
気持ちを吐き出させてあげるだけでも、随分イライラが解消されるかもしれませんね。

人には向いていることと向いていないことがあるように、子育てにも向き不向きがあると思います。

私はどちらかというと、子育てには向いていない性格なんですね。
短気で待てないし、子どもからみるとやさしくないようです。

娘や息子たちが小さい頃、のんびりとお散歩をした記憶がありません。
私は育児中でも子どもをおんぶして、さっさと歩いていました。
やることが多くて、時間が惜しかったんですね。

親がこうだから、子どもものんびりとはしていられません。
自分のことはさっさと自分でやらないと、「一緒にやろうね」などと手伝ってくれたり、誰も待ってはくれないのです。
その結果、我が家の4人の子どもたちは、自分のことは自分ででき、多少怒鳴られたくらいでは動じない、逞しい子に育ったみたいです

そうかと思えば、うらやましいくらい子どもにやさしくできて、話も聴けて、理論的に話もできる子育てに向いていると思われるお母さんがいました。「こういうお母さんの子どもって、しあわせだろうな」と、できない自分はダメだな、なんて自己嫌悪に陥ったこともありました。しかし、以外にも子どもは我がままで手のつけられない子に育ってしまったと聞いて、本当に子育てってわからないものだと思いました。

今になって思います。子育てに向き不向きなんて関係ないと。
自分は子育てに向いていないと思っている人がいたら、「あら、いいことじゃない」と言ってあげたいですね。向いていないと思うから子育てを学んでみようと思うし、できていないから反省もするし、自覚も持てるのではないでしょうか。

子どもは生命力があります。その強さは、親が思っているよりも遥に強いのです。
どんな状況下でも子どもは逞しく育っていく力を持っています。
その強さを信じて育てることが、一番大事なのではないでしょうか。

保育の勉強や現場をやっていると、最終的には子どもの「最適解」に行き着きます。

最適解とは、「最も適した答え」や「現状から最適と考えられる解答」のことですが、
この自分なりの最適解が導き出せるか、出せないかで、
その子の将来が大きく分かれるといっても過言ではありません。

最適解は、「正解」とは違います。
例えば、算数の問題。
10÷3=3あまり1 が正解ですね。

しかし、現実にはどうでしょう?
10枚のビスケットを子どもが3人で分けると1枚あまりますよね。
このあまったビスケットをどうするかが、子どもにとっては大きな問題になるわけです。

3等分に割って配るのか、
あまった1枚をお母さんにあげるのか、
ジャンケンで勝った人がもらうのか…。
どれが正解という訳ではないのです。

話し合って決めてもいいでしょうし、
アイデアを持っている子がリーダーになって決めてもいいでしょう。

その場で、一番最適と考えられる答えを出せればいいわけです。

でも、実際には子どもが最適解を出す前に、
「3人で分ければいいでしょう」
「ジャンケンで決めればいいじゃない」などとというような答えを
大人がはじめから出してしまっていることが多いのです。

そうなると、子どもは自分で最適解を導き出すことはできずに、
大人のいいなりになってしまいます。

これが、世でいう「指示待ち族」の構図です。

今、世間では指示待ちの新入社員に頭を悩ませている会社が多いと聞きます。
指示待ちの子に聞くと、10÷3=3あまり1 までの答えは出せているのです。
学校で習いましたから。
しかし、あまり1をどうすればいいのかがわからないし、考えたこともないので、
人が考えてくれるのを待っている。または、アドバイスがないとわからない。
ということかもしれませんね。

世の中に出たら、算数の正解だけでは解決しない問題が山ほどあるのです。
正解ではない答えを導き出す公式は、
問題×応用力×コミュニケーション力=解決力 かな。

最適解を出すためには、乳幼児期から子どもの自主性を尊重し、
自分で考える子になるための「教育・保育・子育て」が大切なのだと思います。

皆さん、お正月はいかがでしたか?
私は、元旦に橘樹神社へ、3日に成田山新勝寺へ初詣に行ってきました。

毎年お参りしている成田山新勝寺。
一昨年も成田山のお不動様のことをブログ(みにくい怒りの姿は、大慈悲の心)に書きましたが、今年は「新春御護摩」と「説法」を聞くことができました。

説法で、「お不動様は火の神様でもある」と聞いてビックリしました。
お不動様の背中で燃える炎は、人間の煩悩やあらゆる障害を焼き尽くしてくれるのだそうです。

私の守護神は火の神様だそうで、火は使い方次第で人間の役に立つもの、人を温めるものと教わりましたが、煩悩やあらゆる障害をも焼き尽くしてくれる炎でもあったのかと思ったら、凄いな…と思いました。
それも、右手に持つ剣であらゆる迷いを断ち切り、左手に持つ縄で縛りつけてでも引っ張っていくそうです。

実は、お不動様とは「大日如来」の成り代わった御姿だそうです。
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お不動さまは忿怒の表情で、全ての人を救おうとされます。
① 右手には心のあらゆる迷いを断ち切る利剣を握っています。
② 左手には物事を正しい方へ導くための羂索という縄を持っています。
③ お不動さまがお座りになっている磐石という大きな岩は、堅固な御心を表しています。
④ お不動さまは、あらゆる障害を焼き尽くす火焔を背負っています。

成田山のお不動様とは?より~

来年は、開山1080年だそうですので、また来年も参拝したいと思います。



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ブログ読者の皆様におかれましては、良いお正月をお迎えのことと存じます。
いつも当ブログをご覧いただき、誠にありがとうございます。

関係者の皆様には、昨年中は格別のご厚情にあずかり心より御礼申し上げます。
新年は1月4日より平常営業とさせていただきます。
本年も、ご愛顧のほど宜しくお願いいたします。

皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

平成29年 元旦

エンカレッジ・ステーション株式会社
代表取締役 中嶋 悦子