以前、小学2年生の女の子を持つ学童のお母さんが、「最近、全然親の言うことをきかなくて、今朝もケンカですよ」と朝送りに来られた時におっしゃっていました。

私が「いい傾向じゃないですか~(笑)」と答えると、
「そうですかね~」と悩ましいお顔…。

確かに、この頃の子どもって反抗期と言うか、口が達者になったというか、対応に困る時ってありますよね。

昔の人は、うまいことをいいました。
「一つ二つはかわいい盛り、三つ四つはいたずら盛り、七つ八つは憎まれ盛り」
こんなのもあります。
「七つ七里(ななさと)に憎まれる」
7~8歳くらいになると、子どもは大人の言ったことに口ごたえをしたり、生意気なことを言ったりするので、親としては憎たらしいほどで、家庭の中だけではなく外に行っても憎まれるものだという意味だそうです。

確かに、一つ二つはかわいい盛りだったのに、いつの間にか生意気になってしまって、どこで覚えたのか生意気な言葉を使うようになり、口ごたえをしてかわいくないったらありゃしない…と思ったりするものですね。

しかし、これは心理学でいうところの『主体的自立の芽生え』であり、子どもの心が順調に成長している証拠なのだそうです。親のいいなりのいい子ちゃんを脱して、自分の意思を主張し始めることは大切な発達段階なのですね。

そうして自我が芽生え、さらに他者と出逢い交わっていくなかで社会性が芽生え、それが相まって自分の行動を律していく『自律』の土台をつくっていくのです。それは、複雑な社会や人間関係のなかでうまくやっていくためのコミュニケーション力になり、生きていく力の基礎になるものです。

自分というものをきちんと持ち、自ら考え、主体的に判断し行動できるようになって初めて、他人を思うやることも、協調してよりよく生きることもうまくできるようになるのですね。

「七つ八つは憎まれ盛り」は主体的な自我に目覚め、その端緒についたところといってもいいかもしれません。いわば、子どもなりに一皮むけようとしている時期なのですから、正常な発達をしていると捉えましょう。

憎まれ盛りを過ごして一年もすれば、子どもは自分をコントロールすることを覚え、口ごたえも減って落ち着くものです。ですから心配せずに、なるべく自律の芽を摘まないように見守ってあげましょう。

『できる』と確信するなら、その目標が現実的であるかぎり、どんなに困難なことであっても、人はそれをやり抜く。それに対し、『できない』と思うなら、どんなに簡単なことでも無理無題のように見えてくるから、人はそれをすることはできない。

~フランスの心理療法士エミール・クエの言葉~


私が起業した10年前、当時はまだまだ子育て支援が重要視されていなかった頃で、行政に子育て支援のことで直談判したのですが、「実績がありませんからね」と相手にされなかったことがありました。

NPO法人を設立して1年目だったため、要するに信用がなかったのです。

そして、別の機関では次のようにも言われました。
「数年間、様子をみさせてください」
数年間とは、最低でも5年間、実績をみさせてほしいということでした。

信用とは長年にわたって築きあげなければならないのか、何年経ったら信用してもらえるのかと呆然とした記憶があります。
当時は、5年間がとてつもなく長く感じられました。


起業しても10年後に生き残れる会社は1割と言われます。
その中で、信用される企業に成長できるのはもっと少ないわけです。
それほど困難な道のりがあり、今がある。
だから、信用と信頼は絶対になくしてはいけないものです。

何事も『できる』と確信するなら、できるようになるし、
『できない』と思うなら、それはいつまで経ってもできるようにならない。
だから、困難なことが目の前にあっても、「必ずできる!」と信念を持って、
諦めないで取り組んでいくことが道を開くことになるのではないでしょうか。

サーカスのゾウは、ロープで杭に繋がれたまま決してそこから逃げようとはしないそうです。
なぜならゾウは、「自分にはたいした力がない」と思い込んでいるからです。
自分が自分で可能性をつぶしてしまっては、一生そのままです。

自分の可能性はどこにあるのか?
できることは必ずある。

一歩前へ踏み出さなければ、10年後の成功はありえないのですから。

成功にはなんのトリックもない。
私はいかなる時にも、
与えられた仕事に全力を
尽くしてきただけだ。

   ~カーネギ-の言葉より~


目の前にある仕事を誠実に行ってこそ、
成功への道があるのだと思います。
コツコツと小さな仕事を積み上げてきたから、
大きな仕事が成し遂げられる。

一攫千金や棚から牡丹餅を狙うより、
ブレイクスルー(困難や障害を突破すること)を考えると、
成功への突破口、問題解決の糸口が見えてくるでしょう。

仕事とは、
「何かを作り出す、または、成し遂げるための行動」といいます。
成し遂げられなかったものは仕事とはいいません。
成し遂げるためには、日々の努力が必要なのですね。

人間誰しも間違いや失敗は起こします。
しかし、決定的になるのは、間違いや失敗をした後の対応なのではないでしょうか。

時々、「部下に反省の色が感じられない。自分の言葉が響いていないようだ」という上司の方からのお悩み相談を受けます。
失敗をした本人は反省しているとは思うのですが、心から反省しているように見えないのは何故でしょうか?


落ち込むだけではダメ!
周りも認める「上手に反省する方法」


では、反省とは何なのでしょうか。反省とは、自分の失敗を認め、何がいけなかったのか、なぜ失敗したのかを探り、次にまた同じ過ちを起こさないようにするためにはどうすればよいのかを考え、成功する方法を考えて次につなげるプロセスです。
反省がきちんとできている人は意外と少ないもの。反省ができていない人の多くは、こうした“反省のプロセス”が全く機能していないのです。

ここで、私の考える“反省のプロセス”を具体的に紹介していきたいと思います。

きちんと反省したい人は今一度、自分の「失敗」がどんなものだったかを振り返ってみましょう。自分の失敗を認めたら、まずは自分が失敗してしまった原因を探しましょう。

原因を探すため、最初に一つ一つの行動を振り返り、どこの時点で失敗する方向へ向いてしまったのかを考えるとよいでしょう。スケジュール管理ができていなかったのか、リスクを予想しきれていなかったのか、ケアレスミスだったのか、仕事パートナーの過失だったのか、その場合は自分にフォローできることはなかったのか。はたまた本当に予測不能の不幸なトラブルだったのか、などの点に注意しながら原因解明をしてみてください。

失敗はしないに越したことはありませんが、不慣れなことに対しては、最初は誰でも戸惑ってしまい失敗することもあります。次は失敗しないように、ステップアップすれば良いのです。しかし、2回も同じ失敗をしてしまうのはいけません。原因をきちんと解明したら、失敗を防ぐ方法を考えましょう。

「こいつ反省してないな」と上司に睨まれる人の問題点より~


私が思うに、同じ失敗を繰り返さないためにどうすればいいのかを真面目に考えて誠実に行動することが社会人の基本ではないかと思います。同じような失敗を繰り返す人は、周りからの信頼は得られず、会社としても無責任な人を採用するわけにはいきませんよね。

社員は会社にとって必要とされる人材になるよう努力しなければならない訳で、会社で働く以上自覚と責任はどこでもついてくるのです。ですから、仕事は責任を持って行わなければなりませんね。

これも、日々の心がけ次第ではないでしょうか。

今、自分のやるべきことに集中すること。
どうでもいいことに振り回されないことが大事。


雑念が多すぎて、仕事に集中できなかったり、
やるべきことができなかったら、
本来自分の進むべき道が見えなくなってしまいます。

考えてもしょうがないこと、
どうでもいいと思うこと、
モヤモヤ、イライラ…
余計な雑念は、サッサと捨てて。

スッキリとした青空のように
心が晴れやかならば、
周りの美しい景色も見えてきますよ。

今日も朝から真っ青な空。
晴れやかな気持ちで、今日も1日がんばりましょう。

お金に執着すると、お金で失敗する
肩書に執着すると、やりたい仕事は回ってこない
人に執着すると、成就はしない

多くの場合、執着があると
執着しているものが手に入らなくなるのである



不思議なものですね。
追いかければ追いかけるほど、逃げていく感じです。

執着とは、一つのことに心をとらわれて、そこから離れられない状況のことで、
手を握って離さないような心理状態のことなのだと思います。

執着の根底には「怖れ」があるようです。
無くなったら(手放したら)不安、どうしたらいいかわからない、
といった心境になってしまうことが怖いのだと思います。

そうなると、余裕がなくなり周りが見えなくなってしまいます。
自分の本来の姿ではなく、執着心からきた姿になるのですね。


中途半端に持っているから無くすのが怖いのであって、
初めから無ければ怖くもない。

無ければ無いで、何とか暮らしていける。

私には強運がついている。
底までくれば、あとは上がっていくだけ。
どういう状況になっても大丈夫だ。

そう覚悟ができると、本当にそうなる気がします。

執着するより、心を解放する方が、
もっとはやく大切なものが手に入るかもしれませんね。


私は子どもの頃、勉強が苦手で嫌いでした。
できないものだから親からきつく叱られ、ますます大嫌いになりました。

反対に、体育と図工は得意で、いつも皆の手本に選ばれていました。
できるものだから皆から誉められ、ますます大好きになりました。

その後、嫌いな勉強はあまり伸びませんでしたが、
好きな体育は、体操部の大会で3位になり、
好きな絵画は、展覧会で一席をとりました。

苦手なことを親がいくらきつく叱っても、子どもが素直に受けいれることはありません。厳しい言葉を受けいれるのは、『認める・誉める』が前提にあるからですね。

それには、できないところをきつく言うのではなく、
まずは、できたところや得意なところを認め、伸ばしてあげることです。


大人になって私は、得意な分野を追及していくことで、嫌いだった勉強をするようになりました。
わからないことや興味が出てきたことは、まるで乾いたスポンジが水を吸収するかのように、本を読みまくり知識を吸収していきました。
気がつけば、図書館一角の本を全て読んでいました。
20代後半になってから勉強することに目覚めたんですね。
そこで身につけた知識は、今でも頭の中に残っていて活かされています。

今は毎日、保育や福祉の勉強をしています。
わからなかったことや知らなかったことが、明確にわかるようになるのがこんなに楽しいことだなんて、子どもの頃に勉強する喜びを知っていれば、もっと違った人生になっていたのかなと思ったりしています。
今年は通信教育で1年間勉強して、資格取得を目指すのが目標です。


今になって思うことがあります。
人生は楽しむことが目的であって、苦しむことではない。
苦しいことをずっと我慢して人生を楽しめなかったら、せっかく生まれてきたのにもったいない、と…。

自分の得意なことを仕事にできたら、人から頑張れと言われなくても
自ら創意工夫して、結果として頑張ることができるのだと思います。

子どもは未知数の可能性があります。
どこで花が咲くかはわかりません。
花を咲かせるのは、子ども自身なのです。

親はその花を咲かせるために、お日様になり、水になり、時に土になりすればいい。
無理やり咲かせることは、誰にもできないのです。

子ども達が将来どんな花実をつけるのか、楽しみですね。

口癖と表情は連動しているのかな。
愚痴や不平不満を言う癖のある人は、眉間にシワを寄せて話していたりして、
言葉って大事ですね。

「どうせダメだ」「やってもしょうがない」「意味がない」など、否定語を聞いた周りの人も否定的になって、その言葉を使った人を否定的に見るようになります。自分に返ってくるんですね。


そして、その言葉を一番近くで聞いている人がいます。
それは『自分』です。
自分の言った否定語を聞いた自分が、一番悪影響を受けてしまうのです。

口癖なのでどうしても出てしまいます。
ではどうしたらいいのでしょうか?

同じ意味の『肯定語』を意識して使ってみてはどうでしょう。

「どうせダメだ」⇒「ダメで元々」
「やってもしょうがない」⇒「とりあえずやってみようか」
「意味がない」⇒「どんな意味があるのだろう?」

言葉だけでもいいのです。
ダメだと思ったら、大声で「ダメで元々!」と叫んでみてください。
その言葉を聞いた自分の脳が、ダメ元で機能してきます。
ですから、自分に聞かせる意味で、肯定語を多いに使ってみましょう。

肯定することが増えたほうが、人間は生きていて楽しいと思えるのではないでしょうか。
楽しくなったら、表情も自然と明るくなります。
言葉を肯定語に変えることは、人生をより良く変えることになるんですね。

特に女性は、暗い顔よりも明るい顔の方が美人に見えますよ

われわれは、
現在だけを耐え忍べばよい。

過去にも未来にも
苦しむ必要はない。

過去はもう存在しないし、
未来はまだ
存在していないのだから。


~アラン(フランスの哲学者)の言葉~

つらい過去は、今では思い出。
先のことは幻影。
だから、この瞬間だけに専念すればよい。



私たちは往々にして、過去を思い出しては後悔したり、悩んだり、
未来を想像しては不安に思ったり、迷ったりしています。

でも、過去や未来は今ではないのですから、
あまり思い悩むこともないのですね。

子育ても、老後の心配も、
未来の準備をするために、今、目の前にある課題をやればいいだけです。

沈まない太陽は昇ることができないのと同じ。
気持ちを切り替えて、今日の課題をクリアしていきましょう。

昨日は、ありんこ親子保育園の遠足日でした。
子ども達は、お家の方が作ったお弁当を朝から楽しみにしていました。

そして、お弁当の時間。
お父さん、お母さんの手作りお弁当に子ども達は大喜び。
「これ、ママがつくったたまごやきだよ。おいし~♡」
「パパがこれ(おかず)つくって、ママがいれてくれたの」と、お話が止まりません。
嬉しさが伝わってきました。

…うちの子ども達も、私が作ったお弁当を喜んで食べてくれたんだろうなぁ…
なんて、我が子達が小さかった時のことを思い浮かべていました。

保護者の皆さん、愛情たっぷりのお弁当をありがとうございました。


お弁当と言えば、こんなお話がありました。

高校生のお弁当子供に作らせてもいいですか?
女の子です。
母親の作ったお弁当、感謝すらせず文句ばかりいいます。
お弁当箱も自分で洗いません。
勉強と部活が忙しく可哀想だからと、中学まではやってあげてたのですが
もう いいと思いますか?


なんだか、幼児の親御さんたちには夢を壊すようで申し訳ないのですが…。
高校生になったらこんなもんです。

私の答えは、どっちでもいいんじゃないの です。
親が作りたかったら作ればいいし、子どもに作ってもらってもいいと思います。


我が家の4人の子ども達の場合は、基本、子どもが自分でお弁当を作っていました。ただ、質問者の方とは違って、途中からお弁当を作らなくなったのではなく、初めから自分で作るのは当たり前でしたね。
時々、卵焼きやウインナーを焼いてあげると、「ありがとう~たすかる~」と言ってくれます。部活等で時間がない時などに、たまにお弁当を作ってあげると、「サンキュー!」と言って持っていきます。
お弁当は親がつくるものだと思っていると、「何で作ってくれないんだよ」となりますが、私は一度も我が子達にそんなことを言われたことはありません。

高校の先生にもよりますが、子どもが通っていた公立高校の入学式では、先生が「お弁当は自分で作らせてもいいので、持たせてください」とおっしゃっていました。それを高校に入学する子ども達も聞いていましたので、「自分で作ってね」と言ってありました。ですから、自分でお弁当を作ることにあまり抵抗はなかったと思います。
独身の男性の先生も、「自分の弁当は自分で作っていますと」おっしゃっていましたよ。


お母さんたちに「自分でお弁当作っていくよ」というと、未だに「かわいそう」と言われます。
たぶん、愛情不足になるのではないかと思い、「かわいそう」と言われるのだと思います。
でも、そんなことはありません。

保育園のお家の方と同じように、子どもが遠足の時には前の日からお弁当の準備をして力作のお弁当を作っていましたし、幼稚園の時には、毎日、お弁当を持たせて送り出していました。
小さい頃からの愛着形成がしっかりしていれば、高校生からお弁当を自分で作ってもらっても、何の問題もありません。3年間、自分でお弁当を作って学校を卒業したという自負にもなりますね。

長男は消防士になりましたが、消防士は自分たちで食事を作るので、料理が作れるということはとても強みになったようです。今でも当直の時には自分でお弁当を作って持って行っていますが、お弁当箱は洗って戻してありますよ。
今は、男の子でも料理をする時代です。小さい頃から家事を分担してお手伝いをしてもらう方が、自立につながるのでいいことだと思います。それを「かわいそうだ」と決めつけて何でも私がやってあげていたら、自立は難しかったかもしれません。

親もやってもらうと助かりますよね。
高校生になるまで親が何でもやってしまうと、質問者のお母様のように「うちの子は何もやらないし、感謝もしない」と不平不満が出てきてイライラしてしますよね。

ある高校生の男の子が、
「親の作る弁当って、結構プレッシャーなんだよね」
と言っていました。残すと「せっかく作ったのに」と怒られるそうです。
だったら、自分で作ったら?と思いますが、いかがでしょうか?

そんなことを言っても、お弁当を作ってあげられる時期はそう長くはないので、作ってあげたい親御さんは作ってあげればいいし、子どもが自分で作ってもいいし、どちらでもご家庭の事情で選んだらいいと思います。

ご参考までに。


最近、保育や社会福祉の勉強が楽しくなってきて、なりたい自分を設定してみたところ、社会福祉関連の「資格取得」という過程が見えてきました。3年後の自分はこんな自分でいたいと思うことで、これからやる課題がハッキリと目標に変わりました。

この目標に向かって、私が取り組んでいることは、『PDCAサイクル』です。
今私は、セルフマネジメントがとても面白くなってきました。

セルフマネジメントでは、
「計画」(Plan)⇒「実行」(Do)⇒「評価」(Check)⇒「改善」(Act)⇒
この繰り返しを行います。

まず、今までの自分を振り返り、様々な自分を「棚卸し」します。
この『自己理解』が、常に大事だ、ということに気がついたのです。

これをやるから「問題点」が見えてきて、どうすれば問題を解決し、理想の未来に近づけるかがわかってきます。

未来が明確になれば、計画を立てることができるわけです。
つまり『目標』が決まります。

これが最初の「P」=計画です。
私は、計画が実行されやすように期限を決めるようにしています。
「大きな目標」と「小さな目標」のステップ計画の実施です。
なるべく具体的に計画を立てていきます。

そして「D」=実行に移ることができるわけです。

だいたいが、一回でうまくいくことは少なく、何度も失敗することがあることを頭に入れておきます。まずはやってみること。やってみて上手くいなかかったら、何を修正改善したらいいのかがわかってきます。
そういう意味では、「実行」というのは「試行」かもしれませんね。

実行(試行)ができたら、次は「C」=評価をします。
自分でやったことを必ず振り返るのです。

そこで気づいたこと(問題点など)があれば、調査したり、客観的に観察したりしながら改善点を見つけ出します。

改善案が見つかったら、計画をやり直し、実行し、評価し、また改善していきます。
自分なりの評価に基づいて修正や改善のポイントを整理し、それを新たに組み込んだ新しい「修正案」を「新計画」として、さらに実行していくこと。
これが「A」=改善になります。

これを目標が達成するまで続けていきます。
目標達成できれば”成功”です。

成功した時の喜びは、達成感や充実感がものすごいですね。
生きている実感があります。

改善して良くなれば、この評価は大きいものになります。
自信もつきますし、失敗した経験も活かされてきます。

このセルフマネジメントをやることで、具体的に冷静に事実を分析することができるようになってきます。

私はプロモータータイプの人間なので、アナライザー的な分析や客観視は苦手なのですが、セルフコントロールをすることでなりたい自分が見えてくると”楽しい”ので、プロモーターの価値観である『楽しいことを選ぶ』に当てはまってくるようです。

成功の段階が見えてくると、仕事はもちろん、プライベートも面白くなってきます。
なぜなら、気持ちにハリが出てくるからです。
自分をコントロールし、自分でより良い方向へ導いていくということは、世界で一番、自分を評価できる強い味方をつけたも同然なのですから。

自分とは、一番の味方であり、ライバルでもあります。
こんなに自己理解・自己評価をしてくれる人が他にいるでしょうか。

目標ができたら、
『PDCAサイクル』で、なりたい自分を目指してみてくださいね。

先日、庭の草むしりをしていてフッと思ったことがありました。

10年後はどうなっているかな…?
でも、10年前は今のようになっているとは想像もできなかったな…。

そうです。当時は想像もできなかった自分や組織の成長ができたのです。
ということは、10年後はどうなっていくのかな?

そんなことを考えているとやりたいことが浮かんできました。

「そうだ。今年は、社会福祉関係の資格を取ろう!」と思い立ち、
早速、ネットで調べてみました。
今年の秋から、1年間の大学の通信教育で16科目勉強しようと思います。
(選考に選ばれたらの話ですが…)
スクーリングもありますので、なんだか大学生になる気分です。

その資格が取れると、その上の国家資格の受験も可能になります。
ということは、もしかして将来は老人福祉関係も手掛けたりして?

この年になって、勉強することが楽しくなりました。
また10年後を楽しみに頑張ります。

”人生”というと大げさですが、
日々の行動が結局は人生になっていくというお話です。

あなたは、今やらなければならないことを
面倒臭い、後でやればいい、今は大丈夫、なんとかなる
と思ってはいませんか?

以前、知り合いのAさんが「後回しにしてきたツケが回ってきてしまった」とお話されていたことがありました。
自分は面倒くさい性格でこの性格を直したいのだけれど、なかなか直らない。
その結果、仕事で何度も単純なミスをして、退職することになってしまったのだそうです。


「面倒くさい」と思うのには、「できるのにやらない」心理と「できないからやらない」心理の二種類があるそうです。
Aさんは、できるのにやらないタイプのようでした。

できるのにやらないのは、我慢する犠牲感・しなければの義務感・強制される不自由感などの感情が不快で、それに怒ったり反発したりする表現が「面倒くさい」とやらない形で現れてくるそうです。
Aさんはどちらかというと型にはまらないタイプの人で、自由に時間を使いたい人だったようです。ですから、強制されるのが不自由と感じてしまい、それから逃れるために「今はいいや。明日やろう」と思ってしまい、結局次の日もやらないという悪循環になってしまったようで、うっかりミスや連絡不足が多くなって大失態に繋がり信用を失ってしまったそうです。

一方、できないからやらない人というのは、いわゆる完璧主義で、「完璧にできないのなら一切しない」が「面倒くさい」という表現になるもので、背景にコンプレックスがあり、自分の不完全さを感じる挑戦を避けようとする心理が働いているそうです。

できるのにやらない時は、誰かにやらされている感を払拭して「自分がやりたいからやる」と自主的に取り組む意味を見つけていくことが必要で、できないからやらない時は、「完璧にできなくてOK」と要求水準を見直し、過程を評価していくこと、不完全さを許すことが必要だそうです。

どちらにせよ、やらないことは、日々の仕事や生活を後回しにすることになります。
10年後の後回しにしてきた自分の人生を想像してみたらわかるかもしれませんね。

先日、ある方から「どうしたらいいかわからない」というような内容のお話を聴きました。
どうしたらいいかわからないから、何もできない。何もしない。
だから、結局、何もわからないままで、モヤモヤは消えません。
悪循環ですね。

私は気になることやわからないことがあったら、徹底的に調べるタイプです。
それでもわからなかったら、実際に自分でやってみます。
自分でやってみないとわからない感情もありますから。
そうやって、自分の頭を整理し、これからどうするかを考えながら行動しています。

どうしたらいいかわからなかったら、ネットや本で調べるのでもいいし、人に聞いてもいい。
気持ちの整理をするのであれば、とりあえず話してみるのでもいい。

何もできない、何もしないままの方がいいのか、
わかるまで調べてみる方がいいのか、
自分はどちらがいいのかをまずは考えてみることですね。

それと、「どうしたらいいかわからない」原因は何かを考えてみてください。
自分の自信のなさかもしれないし、経験不足かもしれません。
人間関係なのか、知識不足なのか、
もしかしたら、やる気そのものに原因があるのかもしれない。
そうやって、自分を客観的に見つめなおすことでわかってくることもあります。


数日後、冒頭の方の話をきいてみて気づいたことがありました。
その方の話す語彙が少ないことです。
自己表現力の乏しさが、相手に伝わらない原因ではないかと思いました。

表現力って大事ですね。
小学校の学習指導要領の中にも「表現力」について記載がありますが、
表現力を身に付けることは、コミュニケーションにおいてもとても重要で、
人間関係にも影響するものです。

自己表現力を鍛える方法として、私がやって効果があったことは「日記を書く」ことでした。
人に見せるものではないので、自分が日々感じたことを感じたままに日記に書きます。
すると、色んな角度から物事が見えてきて、気づくことがたくさんありました。

日記を読み返すことにより、その時の感情やどうしたかったのかを客観的に見直すことができます。文章力も身に付きますよ。
今はブログが日記代わりですが。

手紙を書くこともいいですね。
私は若い頃、よく先生方に手紙を書いていました。
そのほとんどがお礼や感謝の手紙です。
お礼や感謝の手紙は、相手の立場を考えながら相手のことを思って書くものです。
そうすることで、あの時、先生はどう感じていらっしゃったのかを知ることができました。

自己表現は様々な方法があります。
言葉で伝えられなくても、今は様々な手段がありますね。
何もしなければ、何も伝わりません。
思っていても、伝わらなければ思っていないことと同じではないでしょうか。

大人になったら、きちんとした自己表現力を持つことが求められます。

今変わらなかったら、いつ変わるのでしょうか?
今、自分にできることは何かを考えてみましょう。

昨日、ある管理職の人に「どんな人になりたい?」と聴いたところ、
「以前、理事長が言っていた竹のような柔軟な人になりたいです」と語っていました。

そういえば、そんなことを言っていたっけな…と思い出しました。

この言葉は、私も昔、恩師から教わった言葉でした。
「竹のように」だけでなく、「お餅のようにやわらかい人になりなさい」と言われたことがありました。当時はどういうことだかわかりませんでしたが、今考えるといいニュアンスだなと感心します。
「つきたてのお餅のように、温かくて、やわらかくのびる、柔軟な人になりなさい」という意味だったのでしょう。

その上で、「竹のように強くなりなさい」と言われたんですね。
竹には節があるから強いのだと。

「人間の節というのは、『辛いこと、苦しいこと、乗り越えるべき問題、厄など』のことで、これがあるからしなやかになれるのだ。何もない人生なんてないんだ。自分に問題が降りかかったときに、しなやかに考えられるかで道がわかれてくるんだよ」とも教えてもらいました。

竹は風にしなやかに揺れて、めったなことでは折れることはありません。
でも、竹は風に立ち向かっているわけではないんですね。
風に抵抗しない、あくまでも自然体なのです。
風を受け入れることでしなやかに揺れています。

起こってきた出来事に対して、抵抗しないで受け入れる。
それから物事を柔軟に(お餅がのびるように)考えていけばいい。
しなやかさが人を強くするのだということですね。

人間は感情の動物ですから、ついつい好き嫌いで選んだり、自分の物差し・尺度で物事を図ろうとします。常識や体裁に囚われ、それに合わなかったら受け入れようとしない。
本当は、起こってきた物事を受け入れれば、柔軟でしなやかになれるのに…。

若い頃に教えていただいたことが、今度は自分が若い人たちに伝達しているんだなと思うと、
言葉って受け継がれてその人のものになっていくんだな、と思った出来事でした。

コミュニケーションって、言葉だけでは伝わらないことがたくさんありますね。

無意識に顔に出てしまう心って、どうなってるの?
心の状態がそのままコミュニケーションに反映されるとしたら?
ちょっと怖い気がします…。

無意識(潜在意識)の中にあるものって、
知らず知らずに意識することの中に現れてくるそうですよ

今日は、心の衛生環境を整える方法をご紹介します。

無意識とは?
1 意識がないこと。正気を失うこと。「―の状態が続く」
2 自分のしていることに気づいていないこと。また、そのさま。「―に足が向く」
3 精神分析学で、意識下の領域、種々の人間現象の背後にあって影響を与える混沌(こんとん)としたもの。催眠・自由連想・投影検査、麻酔などの薬物作用によってのみ表出が可能となる。潜在意識。

辞書で調べるとこのように出てきます。
特に3の項目を注目してみましょう。

無意識は一見すると、何もない状態のように見えますが、実は、その人をつくっているカギが隠されています。意識の側から見れば無意識は存在しないことと同じようですが、それがどうして意識化されるのでしょうか?

過去のことで思い出せなかったことでも、思い出して言葉に出すことで意識化されますが、オーストリアの精神分析学者フロイトは、最初、睡眠を利用して神経神経症の治療を行ったそうです。睡眠中の患者に、症状につながると思われる過去の出来事を思い出させると、爆発的な感情表出が起こり、症状が消失したそうです。

これは、患者が目覚めた後、睡眠中に思い出したことを再び思い出させ、言語化することで確実なものになりました。

この一連の症状から、2つのヒントを得たのです。
まず、睡眠下の心理状態と覚醒後の心理状態が断絶しているのではなく、同様に現在の心理状態と過去の心理状態も底流ではつながっているということです。

もう一つのヒントは、患者自身が自分の問題を言語化するということの重要性です。
言語化することは、すなわち意識化することにほかならないからです。

その結果思案されたのが、『自由連想法』です。

「どんなことでも、心に浮かんだことをそれがくだらないこと、バカげたこと、言いにくいこと、不快なことでも、包み隠さず何から何まで話す」という方法です。
この方法の繰り返しによって、‘意識的な抑制‘を次第に緩和し、やがて抑制という防衛の力をも弱め、それまで無意識だったことを意識化できるようになるようです。

~「深層心理がわかる辞典」より参考~


精神患者の場合だけではなく、日常で起こっている問題の根本的な原因は、無意識(潜在意識)の中に隠されているのではないかと思うことが多々あります。自分の正直な感情に蓋をし否定していると、それが無意識(潜在意識)の中に蓄積されるのでしょう。それが溜まり過ぎると身体の不調や精神異常の原因になったりします。

自分自身を振り返り、何でも思っていることを吐き出せる場が必要ですね。
自分自身の抱えている問題やどうしたいのかを見極めないと、本当の解決策は見つからないのではないのではないでしょうか?
そのためにカウンセリングやコーチングがあるのですから、必要に応じてご利用されるといいですね。


一度、自分自身を振り返り、無意識の中に抱えているものを意識化してみましょう。
整理することで、心が軽くなるかもしれませんよ。