自意識過剰というと、自分に自信があって自分を高く評価している人のことと思っていいる人はいませんか?
実はそうではないそのだうです。

辞書ではこのように書かれています。
「自意識過剰(じいしきかじょう)とは、自分自身の事柄に関して過剰に意識している人。 自意識過剰とされている者には自分の外見や行動などが他人からどう思われているかなどに、必要以上に注意を払っている傾向がある。 人前でスピーチをする時などに他人に良い印象を与えることへの意識のし過ぎによる緊張が、あがり症と言われている」

また、自分に自信がない人は、プライドが高いとも言われます。
これ一見、逆に思いますよね?
「どうせ私なんか」っていうのはプライドが低いから、出てくる気持ちなんじゃないの?って。しかし、心理学から見るとそうではなさそうです。

今日はちょっと意外なカン違いのお話です。

「どうせ私なんか…」というタイプの人は、プライドが高く、
自分に自信がないというのは、自意識過剰傾向の強い人なのだそうです。

セルフイメージとして自分の価値や実力を低く見積もっておけば、失敗したとき「当然」だとか「やっぱりダメだった」と言い訳にでき、他人から攻撃される(責められる)前に、自分を低く設定しておけば、その攻撃から逃れることができます。
「どうせ私なんて」と、そうやって自分を低く設定しておけば「自分のプライド」が傷つかなくて済むということを無意識のうちにやっているのだそうです。

でも、自分の実力より低く設定すれば、他人から見たら「頑張っていない」「努力が足りない」などと見られてしまうわけで、自分の意図とは反対な結果になることが多くなります。ですから、自意識過剰で他人の目が気になり、人から嫌われたくないと思っている人ほど、結果、人から嫌われることになってしまうようです。

日本人は「謙虚」「謙遜」「謙譲」という3ケンを美徳としていますから、カン違いしやすいのかもしれません。ただこの謙遜や謙虚・謙譲というのと、この自分を低く見積もる(過小評価する)というのは、意味が異なります。こちらは「実力や自信があっても奢ることなく、素直に控えめなさま」を言います。基本的に、相手を立てるときに使います。
でも「どうせ私なんか…」というのは相手を立てているのではなく、上で書いたように「自分は傷つきたくない」という「自分のプライドを守るため=自分を立てている」ようなものですから、概念が違います。(これはあくまでもメカニズムのお話です)

さて次は「自分に自信がない」というケースです。

自分に自信がない人は、
「変に思われないかな」
「あのとき言ったあの言葉。嫌われたかも」
「恥ずかしい」
「迷惑かもしれない」など…。とよく悩みます。

こう思われたらどうしよう。ああ思われたらどうしよう。
そして最後には「わたしって、どうしてこんなに自分に自信が無いんだろう…」とまた悩みます。

実はこれって、ぜんぶ「人目が気になる」症状です。
恥ずかしいのもそう。人目があるから、恥ずかしいわけで。
ようは自分に自信がないのは、自意識過剰なわけです。

相手は「単に忙しかった」「忘れていた」「気にしていない」というケースも多いです。
自分に自信がないと思っているひとほど、自意識過剰には要チェック!
なぜなら大概の場合、「自分で気付いていない」からです。

自分に自信が人は、「あなたが思うほど、他人はあなたのことを思ってはいない」
それを頭に置いておきましょう。

最近、「嫌われる勇気」というフジテレビのドラマが話題になっていますね。
あれって、アドラーの心理学が元になってるそうですが、対人関係で悩んでいる人は一度読んでみるといいかもしれません。

プライドも自意識も、本当は大切なものです。
そのプライドを持つ場所を考え、美しく正しいプライドを持つことが大切です。

そして自信のなさからくる自意識過剰ではなく、
自信がある自意識をもって生きていける人になりたいものですね。

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