最近、『佐渡オケサ』の歌の意味を知りました。

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佐渡(浄土)

柏崎(娑婆)

佐渡へ佐渡へと草木もなびく
(無上仏が来いよ来いよと浄土へ十方衆生を呼んでおられる)

来いと言うたとてゆかりょか佐渡へ
(いくら来いと無上仏がおっしゃっても、なかなか浄土へはゆけない)

四十九里
(始終苦しみ)

佐渡は四十九里波の上
(浄土は苦しみの海の向こうにある)

佐渡と柏崎は棹さしゃ届くよ
(浄土は近い、往き易いところ)

なぜに届かぬわが思い
(浄土は近く往き易いのになぜ往く人がいないのか。疑情一つが邪魔しているのだ)


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『生きている間に浄土へ行くことができる』と昔、聞いたことがあります。

それは、「心穏やかに澄んだ心眼を持ち、今起こることの道理を知ったとき」です。

生きている間に浄土へ行きたいからと、出家する必要はないのです。
どこに住んでいても、何をしていても、どんな人でも、浄土は身近にあります。

でも、どうして気付かないのでしょうか?

それは、人を信じられない、物事を受け入れられない、悩み、苦しみ、迷いなどの煩悩が、
心の眼を曇らせているからです。

物事が起こる道理は、難しくありません。
ただ、その種(原因)を蒔いただけです。

道理に気づけば、紐解くこともできます。


こんなに浄土は単純なのに、理屈をつけて道理を見ようとしない。
結局、難しくしているのは、自分自身なのです。



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