私は子どもの頃、絵を描くことや工作・創作遊びが大好きでした。
今でもそれは変わりません。

子どもの頃に住んでいた自宅の裏には公園があって、共働きの両親が帰ってくるまで、毎日、日が暮れるまで砂場で砂の彫刻を作って遊んでいました。

大きな夢のお城、人魚姫、SL、トンネルのある山、島、町、自分、友達・・・・。
いろんなものをたくさん砂で作りました。

小学生の私は、学校の勉強は苦手で、いつも先生や父親に叱られていました。
そんな感じでしたので、私は学校に行くのがものすごく苦痛でした。そのかわり、大好きな図工のある日は張り切って学校に行っていたのです。

小学2年生のある日、図工の時間に得意な「切り絵」を制作していました。
私は、いろんな色の色紙をチョウチョの形に切りました。
大きいチョウチョ、小さいチョウチョ・・・。
大きな画用紙の上に楽しく遊んでいるチョウチョの様子を思い浮かべて、無造作に並べていました。

その時です。担任の先生が、
「あら、そんなにバラバラに並べないで、こうやって並べたらいいでしょ」
と言って、せっかく並べていたチョウチョたちを、手ではらうかのように全部脇に寄せ、きれいに並べかえてしまったのです。先生は小さいチョウチョから順に、グラデーションのように段々大きなチョウチョに全部並べ替えていました。

私は今でも、そのときのことを鮮明に覚えています。

本当に悲しかった・・・。だって、それは私の作品じゃなくなったんだもの・・・。

先生に言われた通りに糊で張っていく間、楽しかった図工の時間は一変して辛い時間に変わりました。
後日、作品が廊下に張り出され、先生に言われたとおりに作った作品は、花丸をもらっていました。
でも、それを見るたびに私は、「これは私の作品じゃない。先生が作ったんだ」とにらみつけていました・・・。


2008年6月、東京・秋葉原で17人が死傷した「秋葉原無差別殺傷事件」の加藤被告に、今年死刑判決が下されました。映画化されることも決まったそうですが、あの犯人の男も、親が書いた絵、親が添削した作文で賞をもらっていたとか・・・。
殺人まで犯して、親に復習して・・・。
殺人犯をつくってしまった教育って、一体、何なんでしょう?

大人の目から見たら、下手でも、足りなくても、おかしくても、子どもは子どもなりの意味があって自分の作品を作っています。それは、ちゃんと自分というものを表現しているのですから、大人が口を出すことではないと思います。そんなことをしていたら、子どもは深い深い闇を心の奥に抱えてしまいます。

私から先生と親御さんたちにお願いです。
本当に子どもがやりたいことを、思いっきり自由にやらせてください。

教育とは、先生や親の価値観を押し付けて子どもを育てることではないはずです。
大切なのは、子どもは何に興味があって、それをどう伸ばしていけるのかを考え、子どもの時間を作ってあげることです。

私は、勉強が苦手でした。でも、今ではコラムやエッセイを連載して、ブログでもたくさんのメッセージや文章を書いています。
私は、地方の高校しか出ていませんので学歴も資格もありません。でも、今では社長をやっています。

人間、どう変わるかわからないでしょう?

優秀な子が犯罪者になったり、不良少女が社長になったりするのですから。


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