今日は、私の歩んできた経緯をお話ししたいと思います。

私は、宮崎県で生まれ、高校を卒業するまで田舎で育ちました。
高校2年生の頃に修学旅行で東京に来た時から、「卒業したら東京で働く」と決め、親に内緒で机の下に段ボールを隠し、その中に生活用品を買いためて着々と上京する準備を進めていました。

1982年当時(34年前)の時給は、高校生で350~400円だったかな。学校が終わると1日3~4時間程度働くのです。それを週に3~4日バイトして、貯金したお金で自動車運転免許を取得し、高校の卒業式の3日後に九州の田舎から単身上京してきました。

当時、就職した某大手スーパーの正社員の月給は8万円でした。
会社の寮にいましたが、寮費3万円+光熱費+食費+布団代+諸々雑費などで、お給料はほとんど残らず…。お給料が安く生活ができない理由で転職。

寮の近くにアパートを借りました。
家賃3.5万円。6畳一間のお風呂なし。
当時、銭湯が300円位だったかな?
転職後も結構大変でした。
当時の私の夢は、『お風呂付のアパートに引っ越すこと』だったっけ。

「どんなに生活が苦しくても、絶対に親には頼らない」と決めて田舎を出てきましたので、生きるためには仕事をやるしかなかったのです。「弱音を吐くくらいなら、仕事をやる!」と思っていましたので、一時期は、3つ仕事を掛け持っていたこともありました。
今考えると、若いからできたのでしょうね。

その後、バブル好景気の前期を迎え、お給料もアップ!
お風呂付のアパートにも引越しできて、最初の夢が叶いました。
22~23歳の頃です。

数年後には、バブルがはじけ…。
景気は下降していきました。
長く暗いトンネルの時代が到来。
生活は一変し、節約の時代に入っていきました。

24歳で結婚。
26歳長女、28歳次女、30歳長男、33歳二男を出産。
私自身も12年間、育児という長く暗いトンネルの中を手探りで進んで行ったように思います。親にも親戚にも、誰にも頼れない状況の中で子育てしていました。

平成17年に埼玉県から千葉県に転居。
次の年から子育て支援活動を開始。
平成19年3月NPO法人を起業。
同年12月株式会社を起業。
現在に至る。

私は、学生の頃から様々なアルバイトを通して、景気が良い時代も、悪い時代も経験し、時代の流れを見てきました。
大手スーパーのレジ、アパレル店頭販売(婦人・紳士服)、精密機械工場生産、音楽メーカー工場、電気機器の営業、中古車オークション受付け、喫茶店のアルバイト、飲食店の経営、学習教材販売など。正社員、派遣社員、パート、アルバイト、経営者を20代までに経験しました。


何事も経験といいますが、やはり経験は宝です。
何があっても乗り越えられるのは、多様な視点で考えることができるからであって、それは全て経験に基づいているものです。

現在、私が起業してきた職業は、これらの様々な経験に基づくものなのです。
初めて行う事業でも、実は似たようなことを昔やっていた、という実績のようなものがあるから、あまり迷いがありません。その結果、先をある程度予想できるようになり、‘転ばぬ先の杖‘を持つことができたように思います。

そして、私は主婦で、4人の子どもの母親です。
きっと人の4倍以上、苦しみや喜びをもらって生きているのではないかと感じています。
ですから、私の真似は誰にもできない。
私しかできないやり方で成功させることができる、と自負しています。


何回転職しようが、どんな試練があろうが、すべては自分の肥しです。
‘経験‘という強い武器をもらったのです。

私が生きるために、必要だった経験だったのですから、
すべては、今日この日のための道のりだったに過ぎません。
そして、これからもこの道は続いていくことだろうと思います。

全ては自分のやる気次第!
人間生きていれば、どんな形できるものです。

さあ、夏本番はこれからです。
太陽のように明るく元気に、
これからも前進していこうと思います。

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