8年程前になるでしょうか、強引な人がいて困ったことがありました。

学童保育に入れてもらうまで帰らない、という方がいたんです。
何度も定員になっていますとお断りしたのですが、どうしても入れてもらえなければ困るとおっしゃって梃でも動かず、終いには泣かれてしまいました。

結局、お話をお聴きして一時保育で受け入れることになったのですが、今でも強引な性格は変わらないようです。

そうやって、自分の意見を強引に押し通してしまった成功体験があるから、次も同じようにやれば何とかなると思っていらっしゃるのかもしれませんが、「強引=我を通す」ことになっていることに早く気づいてほしいものです。


「我を通すこと」と「意見を述べること」の違いって何だと思いますか?

それは、大切にしているもの(人)が何(誰)であるか、その根底にある「心のありよう」の違いだそうです。

己の身を守る、己の憂さを晴らす、己の功名を優先する、己の損得を優先する、などは「我を通す」であり、他人を守る、感情を抑える、組織を優先する、損時は度外視する、などの理性的な思考から発せられる言葉は「意見を述べる」だそうです。

我を通すのは「感情」であり、
意見を述べることは「理論」と解釈できますね。

あなたのその押し通したいことは、誰のためですか?
自分のためですか? 皆(組織)のためですか?

強引さも組織のためなら、時には必要なこともあります。
しかし、それが自分のためなら、人の心は離れていくものです。
それどころか、相手を困らせるだけで人の役に立つことはないでしょう。

私もいけないのです。
最初にそれを許してしまったことで、成功体験をつくらせてしまった。
それで良しと思わせてしまった。
これでこの人は間違ったやり方を覚えてしまったのです。

聞けば、当時はまだまだ元気なお姑さんと同居でした。
お嫁さんであるその方が、「お母さん、お願いします」とお姑さんに頭を下げて頼むことも出来たはずです。それをやりたくないがために、子どもを預けることを選択した。

そのために、本当に保育に欠けるご家庭のお子さんを預かれなかったことは、私の失態であり責任です。今でも心が痛みます。

誰を優先させるべきか、強引に我を押し通してくる人ではないのです。
正しい判断をしなければならない立場の人間なのです。
私は…。

この心が伝わらない時に、逆恨みされることになるでしょう。
それでも、正しい判断の元に皆を守ることが私の責任なのだと思います。


スキルがあっても使えない?

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