頑張っているお母さんが、生後1歳にも満たないわが子に一生懸命に話しかけて遊んであげている姿を見ていると、なんだか切なく思う時があります。きっと自分と重なる場面があるからでしょう。
私も、一生懸命に子どもに構ってやるのがいい母親だろうと思っていた時期があったな、切なかったな、と振り返ってしまうのです。


育児書に、「赤ちゃんの心は、ママをはじめとする周りの人の愛情や言葉のシャワーをたっぷり浴びて成長していきます。どうぞこの乳児期に、語りかけやスキンシップ、遊びなど愛情たっぷり注いであげてください」と書かれていたら、どんな時でも語りかけて、たっぷり遊んであげなくちゃと思ってしまいますね。

しかし、新米ママにはそんな余裕はありません。
いつでも穏やかに語りかけできる人は、きっとほんのわずかだと思います。
子どもが好きで産んだ人でも、我が子を育てるとなると感情が入ってしまい力んでしまうようです。

私がもし赤ちゃんだったら、大人との遊びはそれほど楽しくないと思うかもしれません。
だって、大人はほっといてほしい時にかまってきて、好きにさせてほしい時に好きにさせてくれないのですから。
この世の中を探検しているときに、
「ダメよ。危ない。ばっちぃよ」なんて言われて、止められるんですもの。
それに、遊んでほしい時は大人はかまってくれません。
笑ってほしい時にも笑ってはくれないのです。

子どもは「危ない・汚い・恥ずかしい」などにこだわらず遊んでいます。
大人が遊んでやることと子ども同士が遊ぶことには、根本的に大きな違いがあるのです。

子どもは子どもの中で育つものがあります。
手出し・口出しもやり過ぎると遊びではなくなってしまいます。
大人はどうしても、「あれやってみたら?」「これやろうよ」と、口出ししてくなり、あれやこれやと構い過ぎてしまいます。

しかし、子どもは大人の気持ちとは裏腹に、自分でやりたいものがあります。
やりたいことを伸ばしてやる方が、子どもは自分の力で伸びていくものです。
親や大人の手出し・口出しでは育ち切れない部分です。


「小さい頃から保育園に預けるのはかわいそう」との神話がまだまだあるようですね。
「かわいそう」が転じて、「保育園に預けるくらいなら、私が育てる」とお祖母ちゃんが名乗りをあげるようですが、今や孤独なお祖母ちゃんがかわいい孫を甘やかせることなく育てられるかは疑問に思うところです。

もちろん、家庭教育が大切なことは言わずと知れています。
しかし、保育園には集団としてのパワーがあるのです。
どんなに肉親が努力しても子どもに与えてあげることはできません。

いろんな子どもたちの中で、自分を表現したり、我慢したり、楽しんだりしながら育っていくのだと思います。好きなことをやっているからと言っても、子どもはひとりでは楽しくないのです。ケンカをしながらでも、同じ子ども同士で遊ぶから楽しいのだと思います。

ひとりで悩んで一生懸命に育てているのに、いい子育てができていないお母さんは少し子どもと距離を置いて、自分の時間を持つといいと思います。そのために保育園を活用しても、それはかわいそうなことでもなんでもないです。
逆に子どもにとっては、遊びや学びが広がるのです。お母さんも自分自身に時間ができて、子育てにも余裕が持てるようになるかもしれません。

以前は、子育てに苦悩されている方もいらっしゃいましたが、今では保育園に預けて働きに出られたことで、とても生き生きとお仕事も子育ても充実していらっしゃる方もいます。「保育園預けて、本当に良かったです」と嬉しいお言葉をいただくこともあります。

子どもが可哀想だなんて、とんでもない。
弊園の子どもたちは皆から愛され、たくさんの経験をして育っています。
自然の中で、本当に楽しそうにお友達と遊んでいます。
食事も野菜中心の手作りですし、おやつも先生たちが愛情を込めて作っています。
恵まれて育つとは、こういうことをいうのだと思います。

子どもたちが「いい子ども時代だった」と、大人になって思ってくれることが正解なのではないでしょうか。

子ども通しの関わりを増やし、お母さんも心に余裕を持って子育てしてほしいなと思う、今日この頃です。


ゲシュタルト療法のホットシート(hot seat)

上を見ればきりがない 下を見ても底がない