不陰徳(徳を失った)をした人の晩年はかならず悪い

これは、古川尭道老師(鎌倉臨済宗円覚寺管長。毒狼窟。昭和36年(1961)寂、90才)の言葉ですが、本当にそうだと思います。
奥儀を極め、老師と言われる方でも徳を損なえば不幸な晩年を送るのは事実のようです。
私は最近、周りの人からいろんな不幸・不運を見せられています。徳がないところに欲を出したり、心遣いが間違っていたりすると、それを天が見ていて正そうとしているのかもしれません。

以前にも何度か徳の話をしましたが、徳積みは大事です。
私は、徳の量で自分の命をも決めているような気がしています。

心の在り方が因果や宿命に影響を与えているとするならば、祈ろうが、先祖の供養をしようが、坐禅をしようが、宿命を変えることはできないということになります。

それでは、神様・仏様は人間に何をもとめているのでしょうか?

それはきっと、人間の魂を浄化すること、素直な心になり教えを守ることを求められているのだと思います。
「魂を浄化しなさい。心を掃除しなさい」との教えは、何も「出家しなさい。お坊さんになりなさい」と言っているわけではないのです。日々の暮らしの中で、「仏性を学び、仏心・神心になりなさい」と言われているのだと思います。
社会人として、家庭人としての人となりを学び『仏心・神心』になることは、どこでもいくらでもできます。神様・仏様の教えは、そんなに難しいことではないのですね。

人間の常識は、「損か得か」「世間体や体裁」「皆がやっているから自分もやる」など、対象とするものが人間なので、本質が見えなくなることが多いのです。
しかし、神様・仏様からみた常識は、「徳を積んでいるか」「心遣いや心がけが良いか」「魂は磨かれているか」です。ですから私たちが常識だと思っていることは、もしかしたら不徳になっていることもあるかもしれませんね。

私たちが目にしている世界は、ほんの氷山の一角にしか過ぎません。
宇宙は私たちが考えているより遥に大きい。
地球はほんの遺伝子レベルの小さい世界なのかもしれません。
しかし、その中に神様・仏様は人間のために恵みをたくさんくださっています。
それを忘れて自分勝手に振舞っている人間の姿を、天から悲しんでみていらっしゃるかもしれませんね。

人生のご褒美は、晩年に貰えるのです。

若い頃から苦労を苦労と思わず、不平不満を言わず、喜んで人のお役にたつこと。人のために自分の『時間・お金・動力』を使うこと。人を無条件で愛すること。素直に、神様・仏様の教えに従うことが徳となり、晩年に返ってくるのだと思います。

人が喜ぶ顔を見て、自分の喜びになる。
人を愛することで、自分も愛される。
人を許せば、自分も人から許される。
神様・仏様から好かれた素直な心の人間が、晩年にたくさんの徳をいただくのではないでしょうか。

徳積みの方法なんて、学校では教えてくれませんね。
でも、長く生きていれば大切なことだとわかります。
では、どうすれば子どもたちにこの大切な生き方を教えられるのでしょうか?

私の実家は神道を重んじる家でした。自分自身も若い頃から様々な経典を学び、20代の頃に奈良へ修行に行った経験もありました。でも、よく考えてみたら信心の基礎になったのは、おじいさんやおばあさんの話や、神社仏閣で聞いた”徳の話”でした。そのお蔭で、人としての”心の土台”ができたような気がします。

しかし、現代の子どもたちは、核家族で世代間交友が少なくなりました。
神社仏閣と身近に触れ合う機会もあまりありませんね。

現代は心が荒んでいる人が増えました。
大人も子どもも、もっと心の話が聴ける場所が必要なのではないかと感じています。

大切なのは、宗教をすることよりも、信仰心があることだと思います。
特定の宗教を重んじるよりも、その人がどんな心で信仰しているのかが大切なのです。

家庭でも子どもに”徳積み”を教えることはできます。
笑顔であいさつすること。
お手伝いをすること。
やさしい気持ちでお友達と接すること。
植物を育てたり、動物とふれあうこと。
そんな日常の些細なことからでも心は育ち、それが”徳積み”となることでしょう。

子どもたちが心豊かに、幸せな人生を送れるように
これからも「徳のはなし」をしていこうと思います。

お釈迦様の説法

人を信じること