孟子の言葉に次のようなものがあります。

人皆人に忍びざるの心有り(中略)
人皆人に忍びざるの心有りと謂う所以の者は、
今、人たちまち孺子(じゅし)の将に井に入らんとするを見れば、
皆ジュッテキ惻隠の心有り
誉れを郷党朋友に要むる所以に非ざるなり
其の声を悪みて然るに非ざるなり


「よちよち歩きの子どもが井戸に落ちそうになったのを見た通りがかりの人は、誰でも我を忘れて走り寄り、その子を助けようとするに違いない。それは、子どもを救ってその親と近付きたいと考えるからではない。世間の人に褒めてもらうためでもない。また助けなければ非難されるから怖いからでもない。それは人が誰でも『かわいそうだ』と思う心を生まれながらにして持っているからなのだ」という意味だそうです。

私たちはもともと、この『惻隠の情』(かわいそうだと思う気持ち)を持っているというのです。遺伝子に備わっているものなんですね。この素晴らしい本質は、「善の心」であって、この善なる物欲によって隠し覆われるところから悪が生まれるのだそうです。いろんな事情によって、自分の本質が隠されているから大事なものが見えなくなっているのかもしれませんね。子どもを守ることも、可愛いというよりかわいそうだと思うことからかもしれません。

一つ注意しておかなければならないことは、この『かわいそうだと思う気持ち』は、子どもを育てるときの根底にあるものですが、親や周りの大人が『かわいそう』の意味をはき違えてはいけないということです。子どもが幸せに、逞しく人生を歩んでいけるためにはどうすればいいかを考えたら、自ずと答えはわかるものです。

本当にかわいそうなこととは、どんなことなのか?
子どもが、精神的にも肉体的にも、生きていけない状態になることが一番かわいそうだと思います。

『惻隠の情』は、私たちの心の中に元々あるもの。
子どもを産み育てて守る元になっているものかもしれませんね。



男脳の特徴

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