否定された時にそれを気にしてひどく落ち込んでしまう、という方って意外と多いようです。そんな時、どうやって立ち直ったらいいのか、自分の何が悪かったのかなど、ともも悩んでしまいますね。

確かに、私たちは他人の評価で決まるところがあるのは事実です。しかし、そうなると人の目が気になってしかたなくなります。そしてそれが高じると、対面恐怖症や視線恐怖症などになって人付き合いが怖くなり、仕事もままならないというほど支障をきたしてしまっては何にもなりません。


『法句経』にこんな文句があります。

黙っている者も非難され 多くを語る者も非難され
少しを語る者も非難される この世に非難されない者などいない


会議で発言ばかりすれば「でしゃばって」と言われ、
黙っていれば「意見がないのか」と言われ、
適度に発言すれば、「要領がいい」と非難され・・・。
こんな経験って結構あります。

釈尊の時代から、なにをしても他人から非難されるということがあるといいます。
ですから、他人はなにをしても非難するものだから、気にする必要はないと、法句経で教えてくださっているのですね。


何よりも、『お前はダメだ』と言われたときに、すべてを否定されたと思わないことです。誰しもコンプレックスや自信の無さを胸に抱いて生きています。完ぺきな人間はこの世の中にはいないのです。

誰かから否定されるような言葉を投げられたときの対処法は、
自分の存在のすべてを否定されたと思って落ち込むのではなく、「なぜこの人は、このようなことをいったのだろうか?」と、否定された内容について、その理由を考えてみます。
そして、「正当な理由なのだろうか?」と、正当な理由なのか、不当な理由なのかを判断するようにしましょう。
自分が悪かったと思ったら、素直に反省しましょう。


また、否定する裏には、『相手にも理由がある』と考えられます。
内容に対して否定しているのか、相手の考え方が問題なのか、相手の性格的なことなのかなど、何に対して否定をされたのかを、冷静に考えてみるといいですね。

自分を全否定されたと落ち込んで、心を閉ざしてしまっては何にもなりません。
相手から話を聞くことができれば、話を聞いてみてください。


そして、一人で判断できない、自分の思考力の範囲で物事を捉えてしまうという人は、自分の思い込みで判断しかねないわけです。何が正しいのか分からなくなってしまいます。そうならないために、身近に相談できる人がいるといいですね。

話すことで視点が変わり、捉え方も変わってくることもあります。
「言われたことだけを気にしていたが、相手の立場を理解すると何故そういったのかわかった」と言った方もいらっしゃいました。

ある人は、
「そういえば、自分も同じことを他人に言ったことがあった。その時は、そんなに深い意味でいったわけではなかったが、今思えば無神経なことをした。言われた側に立つと、自分の無神経な言葉で人を傷つけたことに気が付いた。自分がやったことがそのまま返ってきただけだと思えたら、これも自己完結なのだと腹に収まった」
と、自分のことに気が付いた方もいらっしゃいました。


しかし、あまりにも理不尽だった場合(八つ当たりなど)は、もしかしたら相手は誰でもよかったのかもしれません。ですから、個人的に攻撃されたと思わず、相手の問題として捉えます。自分が傷つかないよう、受け流すことも必要ですね。


あなたも、相手の方も、価値のある同じ人間です。
否定されたからと言って、あなたの価値が下がったわけではないのです。
あまり落ち込みすぎないで、とりあえず美味しいものでも食べ、睡眠をとって休養してください。

あなたのがんばりを、近くで見ている人もいるということも忘れないでくださいね。

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