人にものをほどこす心あるものは富貴に生じ
人を敬う心あるものは高位に生じ
慈悲の心あるものは生命長く
忍辱の心あるものは形能く
  

この言葉は、鎌倉時代の臨済宗の僧、無住の言葉です。
「よいことをする心のある人は金持ちになり、人を敬う心のある人の家は位が高くなり、慈悲の心があれば長生きする。辱(かずかし)めを受けても動揺しない忍耐強い人は容姿がよくなる」という意味だそうです。

しかし、人生の問題がすっと解決する 名僧の一言 (知的生きかた文庫)の中で著者は、
『「心豊かだから人にものを施す。心清らかだから人を敬う。命がのどかだから人の痛みがわかる。心の姿がよいから行動が穏やかである」。つまり、「よいことをすれば金持ちになる」とか「慈悲の心があれば長生きする」などという世間的な因果の関係を言っているのではなく、「よい心があるから人に施したり、人を敬うことができるといった、キレイな心への憧れを言っています。キレイな心でいると、その心に突き動かされて功徳を積みたくなるという意味です。
これは子育てをしている親御さんによくよく噛みしめていただきたい言葉です。
「子どもは親の言うとおりにはならないが、親のするとおりになる」と言われていますが、私たちがキレイな心でいければ、子どももまっすぐにキレイな道を歩んでくれます。

と説いています。

親の足形、子が踏む』とも言われます。
いくら親が子どもに「立派になりなさい」と言ったところで、そうなれるはずもありません。親自身がキレイな心で良い行いを見せて、はじめて子どもは親の足形を踏むことができるというわけです。

いいことも悪いことも、親の姿を見て真似るのが子どもです。
いい足形をつけてやることが、子どもにとっての道しるべになるでしょう。
その為の説法なのだと思います。

若い頃に心の勉強をすると、将来とても楽に生きられるようになるようです。
キレイな心とは、『清らかで軽い心』のことだと私は理解しています。
「純粋に自分の進むべき道を見つけて、軽やかに進むことができる心」を持っていることなのだろうと思います。

反対に、『重い心』とは、恨み・憎しみ・迷い・悩みなどの煩悩のことで、それが重く自分に圧し掛かっているために、身動きが取れなくなってしまうの心のことだと思います。

子育てにも説法が必要だと感じます。
子どもをどう育てたらいいのか、迷い・悩む親がたくさんいるからです。
形ばかりを整えても、その心が重たく暗かったら、子どもにも影響があるかもしれません。親自身の心の環境整備が必要なのでしょう。

焦っても仕方ありません。
一度立ち止まって、親である自分自身を振り返ってみましょう。
落ち着いて、心を澄ませてみると『内なる声』が聞こえてきます。

聞こえてきたら、「私には何が足りなかったのだろう?」「どうしたいのだろう?」
と素直な心で自分に問いかけてみましょう。
セルフコーチングです。

自分勝手な考え方では、小さい子どもと同じです。
親の前に、『人として』が大切なのですね。


子どもの頃の記憶

とにかく歩き続けてみる