正しい教えを知らないで
百年生きるよりも
正しい教えを聞いて
一日生きる方がはるかにすぐれている

         ~ブッタの言葉~


例えば、
私たちは毎日、食事の前やトイレの後には手を洗っています。
当たり前のようにやっています。

どうして、手を洗うの?
とは思いません。
なぜなら、その理由を知っているからです。

不潔のまま食事をすれば、手についたバイ菌が口から体内に入って
病気になる恐れがあります。
手洗いは、病気の感染予防になると知っています。

なぜ、その理由を知っているの?
それは、幼い頃より教えられてきたからです。

しかし、
正しく教えられていなければ、
教育されていなければ、
学ぶことをしていなければ…。

その人は、大人になっても食事の前やトイレの後に手を洗うことはしないでしょう。
もしかすると、様々な病気を招いて命を落としてしまうかもしれません。

実際に、発展途上国の教育を受けていない人たちは、
手を石鹸で洗う習慣はありません。
感染病も多くあり、死亡率も高いことが報告されています。


これは、心遣いや生き方も同じです。
冒頭の正しい教えとは、神仏の教えです。
神仏の教えを知らなければ、一生気づかないままです。

正しい教えを知らなくても、気づかなくても、生きてはいけます。
でも、生き辛くなってしまったり、
反対に知らず知らず周りに迷惑をかけていることもあるでしょう。

若いころから神仏の教えを知っていれば、
もっと楽に充実した人生にすることができたのかもしれません。


人は学びながら生きています。
学びがあるから成長できるのです。

正しい教えを素直に聞き、心遣いを改めて一日を生きることができれば、
それは、教えを知らないで100年生きることより遥かに尊いことなのだ、
とブッタは教えているのだと思います。

でも実際には…。
正しい教えを教えてもらえる人って、そうそういない気がします。
 教えを教えと思わない。
 教えてもらっても、「でも」「だって」「しょうがない」でやれない理由をいう。
というように、素直に話が聞けない人が多いからです。

助かる人は、助けてくれる人が周りにいます。
その助けてくれる人とは、表面的に優しそうな人ではない場合が多いです。

概ね、自分のことを思って言ってくれる人の言葉は、耳の痛い厳しいものです。
厳しい言葉に耳を塞がず、自分にとって課題となることを乗り越えるための”学び”を受けているのだと思えば、こんな自分にも変われる可能性があるんだ。チャンスを与えてくれたんだ、と心からありがたく思うこともできるでしょう。


そのまま進めば崖から落ちる。
落ちて初めて気づく人もいれば、落ちても気づかない人もいる。

落ちる前に道を教えてくれる人こそ、
自分を守ってくれた神仏なのだと、今振り返ると思います。

心眼を開いて、周りをよく見ること。
正しい教えを学びながら歩むこと。
素直な心になること。

いいことも、悪いことも、
全ては自分が招いた結果だと知ることが大切ですね。

子育ての原点

条件付き『プラスのストローク』では、生きづらくなる