私は10~20代の頃、自分勝手な生き方をしてきました。
あまり人のことを考えず、自分のやりたいことだけやっていました。

そんな人間が親になって、思い通りにいかないジレンマを抱えた時、
感情的になってコントロールがきかなくなり、自暴自棄になりました。

そんな時、『人を助けてわが身助かる』という言葉に出逢ったのです。
 自分だけが良くてもまわりが不幸だと、結局は自分も不幸になる。
 辛い時だからこそ、人のために行動するのだ。
 その結果、自分も助かっていく。
ということを教わったのでした。

「情けは人のためならず」と似ていますが、違います。
人に情けをかけることは、回り回って自分のためにもなるという意味ですが、
「人を助けてわが身助かる」は、人生の岐路に立った時や辛い時に、自分だけ助かればいいという考えでは、自分は助からない、ということで根本的に意味が違います。

辛いときに仏様に拝みますね。
「南無・・・」「南無・・・」と。
でも、私は若い頃、先生に「拝んでも助からない」と教わりました。
それは、拝むこと自体ではなく、内容のことを言っていたのです。
宗教をやることよりも、信仰することの方が尊いのだそうです。

その人の純粋な人を助けたいと思う心が自分を助けてくれるのです。
神様も、自分の私利私欲で拝む人より、人を助けようとする人の心を受け取ってくれることでしょう。

自分のことばかり話し、自分中心で物事を考えている人は、自分の関係していることしか見えていません。でも、人を助けられる人は、相手の立場に立って物事を考えられ、色んな視野を持った人です。思いやりもそこから生まれてくるものです。

思いやりは目には見えませんね。
でも、人間には目に見えない世界の方が遥かに大きいのです。
宇宙全体から見たら、人間なんてちっぽけなものに見えてきます。
その大きな力によって、私達は生かされているのですから、感謝する心を忘れてしまったら、自分勝手な人間になって、結局は孤独を味わうことになるのかもしれません。

人間の一生は、たかだか数十年。長くても100年前後。
損だ得だと言ったところで、あの世までお金は持っては行けません。
あの世に持って行ける唯一のものは、”徳”だけです。

自分の魂は、生まれ変わっても同じ自分の魂。
魂は何百年いきるかわからないですね。
生まれ変わるときも、たくさんの徳を持って生まれたら、次の人生でも人を助けることができるでしょう。

今私たちがいただいている命は、親からいただいた徳なのです。
先祖代々から、子孫のために積んだ徳もあります。
そして今度は、私たちの子孫のために”徳積み”をするのです。
その徳を使って、子孫たちが繁栄していけるように見守るのが私たち親の役目です。


徳は見えないけれど、感じることはできます。
人徳のある人は、周りに素晴らしい人材がたくさん集まってきますね。
仲間といる時間は、とても楽しい時間です。
「人生は時間の中にある」といいます。
生きている間にどれだけ人と楽しい時間を過ごしたかが、一番大切なことです。

人を助けることは、そんな大げさなことではありません。
自分の出来る範囲でいいのです。
相手の話を心から聴く、笑顔で人と接する、一生懸命に働くなども人を助けることになります。

今の時代、”徳育”は教育の中に入っています。
保育園や幼稚園では、思いやりを育てるカリキュラムが入っていますし、小学校では道徳教育に以前よりも力を入れている学校が増えています。
これは、昨今の様々な子どもの問題があり、頭だけではなく、心も育てることが大事なのだと気が付いたからです。心は目には見えませんが、感じることや思うことは大人になっても毎日繰り返されていますね。
幼児期から学童期に、この感じる力を育てる取り組みが強化されてきているのです。

大人も子どもたちのお手本となるように、
相手の気持ちを理解し思いやりを持って、
人のお役に立てるような生き方を見せていきたいものですね。

あぶくの心

アレルギー体質の原因は?