子どもが、保育園や幼稚園へ行くようになると、親が見えない部分が増えてきます。見えない部分は子どもから聞かないかぎり、親は何も知りません。

わが子たちが、まだ幼稚園に通っていた時のことです。
遊びに行っていたお家で、そこのおばあちゃんにトイレの始末をしてもらったこと。
幼稚園へ行き始めた頃、クラスになじめなくて泣いた時、園長先生に個別でお世話してもらったこと。
転んだ時に、お友達のお母さんが手当をしてくれたこと。
このようなことがあったということは、後になって知りました。

お世話になったことを知らず、お礼も言わずに帰ってきて、
子どもから後で聞いて、親として恥ずかしい思いをたくさんしました。

中学校や高校へ行くようになると、塾の先生、部活の顧問、先輩など、もっとたくさんの人間関係ができてきます。どこでどう誰と過ごしているか、まったく見えない部分がもっと増えてきます。


以前、ある小学校の先生からこんな話を聞きました。
「保護者の中には、自分の子どものことしか見えていない人がいる。自分や自分の子どもが不利になることや損をすることを徹底的に嫌う。少しでも損だと思うことがあれば、後先考えないで連絡帳に書いてきたり、学校に電話をかけてくる。実際は、その人のお子さんが一番手がかかり、皆に迷惑をかけているということを保護者は知らない。でも、それをわざわざ言う人はいないので、結局は、恥ずかしい人だとまわりから見られることになる」

本当にそうですね。
私も保護者の一人ですので、親の立場と先生の立場の両方わかります。

この話で何を伝えたいのかというと、
わが子は、どこで誰に、お世話になっているかわからない。
一部だけを見て「不利だ、損だ」と判断しないこと。

不利だとか損だと思うその何十倍も、世間の人にお世話になっているし、ご迷惑をおかけしているのですから。

私は、‘親の品格‘というものがあると思っています。
「子どもはどこで迷惑をかけるかわからないのだから、親は頭を下げて道を通らせてもらいなさい」と、恩師から教えられました。親は、謙虚で礼儀正しく、頭を下げられる人間でいなければならないのだと思います。

「不利だ、損だ」と言えばいうほど、わが子が不利になるし、損をするのです。
子どもは、そんな親のことを恥ずかしく、みっともないと思うものです。
実際に恥ずかしい思いをするのは親ではなく、子ども自身なのですから。


”恩返し”について

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