われわれは、
現在だけを耐え忍べばよい。

過去にも未来にも
苦しむ必要はない。

過去はもう存在しないし、
未来はまだ
存在していないのだから。


~アラン(フランスの哲学者)の言葉~

つらい過去は、今では思い出。
先のことは幻影。
だから、この瞬間だけに専念すればよい。



私たちは往々にして、過去を思い出しては後悔したり、悩んだり、
未来を想像しては不安に思ったり、迷ったりしています。

でも、過去や未来は今ではないのですから、
あまり思い悩むこともないのですね。

子育ても、老後の心配も、
未来の準備をするために、今、目の前にある課題をやればいいだけです。

沈まない太陽は昇ることができないのと同じ。
気持ちを切り替えて、今日の課題をクリアしていきましょう。

昨日は、ありんこ親子保育園の遠足日でした。
子ども達は、お家の方が作ったお弁当を朝から楽しみにしていました。

そして、お弁当の時間。
お父さん、お母さんの手作りお弁当に子ども達は大喜び。
「これ、ママがつくったたまごやきだよ。おいし~♡」
「パパがこれ(おかず)つくって、ママがいれてくれたの」と、お話が止まりません。
嬉しさが伝わってきました。

…うちの子ども達も、私が作ったお弁当を喜んで食べてくれたんだろうなぁ…
なんて、我が子達が小さかった時のことを思い浮かべていました。

保護者の皆さん、愛情たっぷりのお弁当をありがとうございました。


お弁当と言えば、こんなお話がありました。

高校生のお弁当子供に作らせてもいいですか?
女の子です。
母親の作ったお弁当、感謝すらせず文句ばかりいいます。
お弁当箱も自分で洗いません。
勉強と部活が忙しく可哀想だからと、中学まではやってあげてたのですが
もう いいと思いますか?


なんだか、幼児の親御さんたちには夢を壊すようで申し訳ないのですが…。
高校生になったらこんなもんです。

私の答えは、どっちでもいいんじゃないの です。
親が作りたかったら作ればいいし、子どもに作ってもらってもいいと思います。


我が家の4人の子ども達の場合は、基本、子どもが自分でお弁当を作っていました。ただ、質問者の方とは違って、途中からお弁当を作らなくなったのではなく、初めから自分で作るのは当たり前でしたね。
時々、卵焼きやウインナーを焼いてあげると、「ありがとう~たすかる~」と言ってくれます。部活等で時間がない時などに、たまにお弁当を作ってあげると、「サンキュー!」と言って持っていきます。
お弁当は親がつくるものだと思っていると、「何で作ってくれないんだよ」となりますが、私は一度も我が子達にそんなことを言われたことはありません。

高校の先生にもよりますが、子どもが通っていた公立高校の入学式では、先生が「お弁当は自分で作らせてもいいので、持たせてください」とおっしゃっていました。それを高校に入学する子ども達も聞いていましたので、「自分で作ってね」と言ってありました。ですから、自分でお弁当を作ることにあまり抵抗はなかったと思います。
独身の男性の先生も、「自分の弁当は自分で作っていますと」おっしゃっていましたよ。


お母さんたちに「自分でお弁当作っていくよ」というと、未だに「かわいそう」と言われます。
たぶん、愛情不足になるのではないかと思い、「かわいそう」と言われるのだと思います。
でも、そんなことはありません。

保育園のお家の方と同じように、子どもが遠足の時には前の日からお弁当の準備をして力作のお弁当を作っていましたし、幼稚園の時には、毎日、お弁当を持たせて送り出していました。
小さい頃からの愛着形成がしっかりしていれば、高校生からお弁当を自分で作ってもらっても、何の問題もありません。3年間、自分でお弁当を作って学校を卒業したという自負にもなりますね。

長男は消防士になりましたが、消防士は自分たちで食事を作るので、料理が作れるということはとても強みになったようです。今でも当直の時には自分でお弁当を作って持って行っていますが、お弁当箱は洗って戻してありますよ。
今は、男の子でも料理をする時代です。小さい頃から家事を分担してお手伝いをしてもらう方が、自立につながるのでいいことだと思います。それを「かわいそうだ」と決めつけて何でも私がやってあげていたら、自立は難しかったかもしれません。

親もやってもらうと助かりますよね。
高校生になるまで親が何でもやってしまうと、質問者のお母様のように「うちの子は何もやらないし、感謝もしない」と不平不満が出てきてイライラしてしますよね。

ある高校生の男の子が、
「親の作る弁当って、結構プレッシャーなんだよね」
と言っていました。残すと「せっかく作ったのに」と怒られるそうです。
だったら、自分で作ったら?と思いますが、いかがでしょうか?

そんなことを言っても、お弁当を作ってあげられる時期はそう長くはないので、作ってあげたい親御さんは作ってあげればいいし、子どもが自分で作ってもいいし、どちらでもご家庭の事情で選んだらいいと思います。

ご参考までに。


先日、庭の草むしりをしていてフッと思ったことがありました。

10年後はどうなっているかな…?
でも、10年前は今のようになっているとは想像もできなかったな…。

そうです。当時は想像もできなかった自分や組織の成長ができたのです。
ということは、10年後はどうなっていくのかな?

そんなことを考えているとやりたいことが浮かんできました。

「そうだ。今年は、社会福祉関係の資格を取ろう!」と思い立ち、
早速、ネットで調べてみました。
今年の秋から、1年間の大学の通信教育で16科目勉強しようと思います。
(選考に選ばれたらの話ですが…)
スクーリングもありますので、なんだか大学生になる気分です。

その資格が取れると、その上の国家資格の受験も可能になります。
ということは、もしかして将来は老人福祉関係も手掛けたりして?

この年になって、勉強することが楽しくなりました。
また10年後を楽しみに頑張ります。

先日、ある方から「どうしたらいいかわからない」というような内容のお話を聴きました。
どうしたらいいかわからないから、何もできない。何もしない。
だから、結局、何もわからないままで、モヤモヤは消えません。
悪循環ですね。

私は気になることやわからないことがあったら、徹底的に調べるタイプです。
それでもわからなかったら、実際に自分でやってみます。
自分でやってみないとわからない感情もありますから。
そうやって、自分の頭を整理し、これからどうするかを考えながら行動しています。

どうしたらいいかわからなかったら、ネットや本で調べるのでもいいし、人に聞いてもいい。
気持ちの整理をするのであれば、とりあえず話してみるのでもいい。

何もできない、何もしないままの方がいいのか、
わかるまで調べてみる方がいいのか、
自分はどちらがいいのかをまずは考えてみることですね。

それと、「どうしたらいいかわからない」原因は何かを考えてみてください。
自分の自信のなさかもしれないし、経験不足かもしれません。
人間関係なのか、知識不足なのか、
もしかしたら、やる気そのものに原因があるのかもしれない。
そうやって、自分を客観的に見つめなおすことでわかってくることもあります。


数日後、冒頭の方の話をきいてみて気づいたことがありました。
その方の話す語彙が少ないことです。
自己表現力の乏しさが、相手に伝わらない原因ではないかと思いました。

表現力って大事ですね。
小学校の学習指導要領の中にも「表現力」について記載がありますが、
表現力を身に付けることは、コミュニケーションにおいてもとても重要で、
人間関係にも影響するものです。

自己表現力を鍛える方法として、私がやって効果があったことは「日記を書く」ことでした。
人に見せるものではないので、自分が日々感じたことを感じたままに日記に書きます。
すると、色んな角度から物事が見えてきて、気づくことがたくさんありました。

日記を読み返すことにより、その時の感情やどうしたかったのかを客観的に見直すことができます。文章力も身に付きますよ。
今はブログが日記代わりですが。

手紙を書くこともいいですね。
私は若い頃、よく先生方に手紙を書いていました。
そのほとんどがお礼や感謝の手紙です。
お礼や感謝の手紙は、相手の立場を考えながら相手のことを思って書くものです。
そうすることで、あの時、先生はどう感じていらっしゃったのかを知ることができました。

自己表現は様々な方法があります。
言葉で伝えられなくても、今は様々な手段がありますね。
何もしなければ、何も伝わりません。
思っていても、伝わらなければ思っていないことと同じではないでしょうか。

大人になったら、きちんとした自己表現力を持つことが求められます。

今変わらなかったら、いつ変わるのでしょうか?
今、自分にできることは何かを考えてみましょう。

昨日、ある管理職の人に「どんな人になりたい?」と聴いたところ、
「以前、理事長が言っていた竹のような柔軟な人になりたいです」と語っていました。

そういえば、そんなことを言っていたっけな…と思い出しました。

この言葉は、私も昔、恩師から教わった言葉でした。
「竹のように」だけでなく、「お餅のようにやわらかい人になりなさい」と言われたことがありました。当時はどういうことだかわかりませんでしたが、今考えるといいニュアンスだなと感心します。
「つきたてのお餅のように、温かくて、やわらかくのびる、柔軟な人になりなさい」という意味だったのでしょう。

その上で、「竹のように強くなりなさい」と言われたんですね。
竹には節があるから強いのだと。

「人間の節というのは、『辛いこと、苦しいこと、乗り越えるべき問題、厄など』のことで、これがあるからしなやかになれるのだ。何もない人生なんてないんだ。自分に問題が降りかかったときに、しなやかに考えられるかで道がわかれてくるんだよ」とも教えてもらいました。

竹は風にしなやかに揺れて、めったなことでは折れることはありません。
でも、竹は風に立ち向かっているわけではないんですね。
風に抵抗しない、あくまでも自然体なのです。
風を受け入れることでしなやかに揺れています。

起こってきた出来事に対して、抵抗しないで受け入れる。
それから物事を柔軟に(お餅がのびるように)考えていけばいい。
しなやかさが人を強くするのだということですね。

人間は感情の動物ですから、ついつい好き嫌いで選んだり、自分の物差し・尺度で物事を図ろうとします。常識や体裁に囚われ、それに合わなかったら受け入れようとしない。
本当は、起こってきた物事を受け入れれば、柔軟でしなやかになれるのに…。

若い頃に教えていただいたことが、今度は自分が若い人たちに伝達しているんだなと思うと、
言葉って受け継がれてその人のものになっていくんだな、と思った出来事でした。