『子の曰く、吾れ
十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順がう。
七十にして心の欲する所に従って、
矩を踰えず。』 (為政編)


わたしは十五歳で学問に志し、
三十になって独立した立場を持ち、
四十になってあれこれと迷わず、
五十になって天命(人間の力を超えた運命)をわきまえ、
六十になって人の言葉がすなおに聞かれ、
七十になると思うままにふるまって、
それで道をはずれないようになった。

~孔子の「論語」の中にある言葉より~


私は今年で52歳になりますが、
50歳にして天命を知る人って、そうそういないんだな…と思う出来事がありました。
今の50代は見た目も若いですが、精神年齢も幼いのかな?

孔子はどうして50にして天命を知ったのでしょう。
それはきっと、覚悟ができていたのだと思います。

人生50年と言われていた時代なら、
とっくに死んでいる齢になった自分ですが、
人生を振り返ってみると、50歳なんてあっという間に来てしまいました。

気持ちが若いのはOKですが、
50代は50代に見合った中身が大切で、人間性や覚悟がなくてはいけないなと思います。
いつまでも娘のままではいられないのですから。
そうでなければ、50代になっても世間知らずね、と言われてしまいます。

いくつになっても、成長し続けていきたいものです。

全国の公立小中学校で、発達障害により「通級指導」を受けている児童・生徒が9万人を越えていて、この20年あまり間で7倍以上増えたのだそうです。

保育・教育現場の先生方から、発達障害の疑いのある児童・生徒の対応や研修が必要だと伺っています。

発達障害とは?
生まれつきの障害で、現在では脳機能の障害と考えられています。
大きく「広汎性発達障害」「LD(学習障害)」「ADHD(注意欠如・多動性障害)」の3つに分けられ、広汎性発達障害には自閉症、アスペルガー症候群などがあります。

広汎性発達障害、LD、ADHDは併発することも多く、さらにどれも似たような症状が起こるため、専門医でなければ判断はできません。また、年齢や環境により目立つ症状が違ってくるので、診断された時期により、診断名が異なることもあります。



発達障害は障害の困難さも目立ちますが、優れた能力が発揮されている場合もあり、周りから見てアンバランスな様子が理解されにくい障害です。発達障害の詳しい原因はまだよくわかっていませんが、小さい頃からその症状が現れています。 早い時期から周囲の理解が得られ、能力を伸ばすための療育等の必要な支援や環境の調整が行われることが大切です。


現在、日本国内では児童の100人に6人が持っているといわれる発達障害。
保育園なら1クラス25人に1人~2人はみられることになり、決してまれな障害ではありません。
すでに乳児健診などで診断され、療育手帳を持っている子どももいますが、まだ診断がついておらず、保護者も受診に積極的でないケースもあり、対応が難しい場合も。
発達障害を持つ子どもには、種類や程度にもよりますが、ほかの子どもたちと同じように保育園で過ごすことが困難な場面が多くみられ、保育する側にも特別な配慮が求められます。
今回は、保育の現場で出会うことも少なくない代表的な発達障害について紹介し、日常でよくみられるケースをあげながら、関わり方を学んでいきたいと思います。

保育士が覚えておきたい、発達障害の種類と関わり方より~
※特徴や関わり方等、詳しくは「発達障害」で検索してみてください。


当園では、障害児研修を行い職員のスキルアップを行っています。
まずは、発達障害を理解し、適切な対応を心がけることが大切ですね。

以前、あるビジネスマンと話をした時に、気になったことがありました。
それは、口癖と表情です。
「うまくいかない原因はこれかな?」と思いました。

その方の口癖は、「どうせ、しょうがない」でした。
その言葉と連動して、諦め半分の自信のない表情をされていました。
こう言われた周りの人の反応はどうなるでしょうか?

どうせ自分にはできない、どうせうまくいかない、どうせ会社は変わらない…。
だからしょうがない…。
立ち止まって、動こうとしないようにも見えます。

これは自分に対しての慰めの言葉として使っていらっしゃることも、本心はどうにかしたいと思っていらっしゃることもとてもよくわかります。しかしそれは、私がその方の事情をよく知っているからです。
なにも事情を知らない人が、その口癖と表情を見聞きしたらどうでしょう?

ビジネスマンであれば、○○会社営業のAさんとか、△△商事○○部のBさんとか、個人としてではなく会社の人間として見られます。言わば、会社の外に出たら会社の顔になるわけですね。ですから、日頃から自分が相手からどう見られているかを意識して、自分の価値を下げる言葉は一切使わないようにすることが必要だと思いました。


数日前、ある営業マンと商談をしました。
結局私は、その営業マンとは取引をしませんでした。
理由は、
・商品の知識がうすい(質問に答えられない)
・頼りがいがない(この人で大丈夫だろうか?と思った)
・こちらの要望を理解できていない(最後まで話を聞いていない) など。

いくら商品が良くても、営業が悪かったらその人からは買いません。
車も、家電も、住宅も同じ、‘営業の腕次第‘のところがありますね。

口癖や表情は自分ではわからないものですが、お客様は感じ取っています。
営業では、常に『笑顔でお客様の話を聴く』ことを心がけてほしいと思います。

以前、小学2年生の女の子を持つ学童のお母さんが、「最近、全然親の言うことをきかなくて、今朝もケンカですよ」と朝送りに来られた時におっしゃっていました。

私が「いい傾向じゃないですか~(笑)」と答えると、
「そうですかね~」と悩ましいお顔…。

確かに、この頃の子どもって反抗期と言うか、口が達者になったというか、対応に困る時ってありますよね。

昔の人は、うまいことをいいました。
「一つ二つはかわいい盛り、三つ四つはいたずら盛り、七つ八つは憎まれ盛り」
こんなのもあります。
「七つ七里(ななさと)に憎まれる」
7~8歳くらいになると、子どもは大人の言ったことに口ごたえをしたり、生意気なことを言ったりするので、親としては憎たらしいほどで、家庭の中だけではなく外に行っても憎まれるものだという意味だそうです。

確かに、一つ二つはかわいい盛りだったのに、いつの間にか生意気になってしまって、どこで覚えたのか生意気な言葉を使うようになり、口ごたえをしてかわいくないったらありゃしない…と思ったりするものですね。

しかし、これは心理学でいうところの『主体的自立の芽生え』であり、子どもの心が順調に成長している証拠なのだそうです。親のいいなりのいい子ちゃんを脱して、自分の意思を主張し始めることは大切な発達段階なのですね。

そうして自我が芽生え、さらに他者と出逢い交わっていくなかで社会性が芽生え、それが相まって自分の行動を律していく『自律』の土台をつくっていくのです。それは、複雑な社会や人間関係のなかでうまくやっていくためのコミュニケーション力になり、生きていく力の基礎になるものです。

自分というものをきちんと持ち、自ら考え、主体的に判断し行動できるようになって初めて、他人を思うやることも、協調してよりよく生きることもうまくできるようになるのですね。

「七つ八つは憎まれ盛り」は主体的な自我に目覚め、その端緒についたところといってもいいかもしれません。いわば、子どもなりに一皮むけようとしている時期なのですから、正常な発達をしていると捉えましょう。

憎まれ盛りを過ごして一年もすれば、子どもは自分をコントロールすることを覚え、口ごたえも減って落ち着くものです。ですから心配せずに、なるべく自律の芽を摘まないように見守ってあげましょう。

『できる』と確信するなら、その目標が現実的であるかぎり、どんなに困難なことであっても、人はそれをやり抜く。それに対し、『できない』と思うなら、どんなに簡単なことでも無理無題のように見えてくるから、人はそれをすることはできない。

~フランスの心理療法士エミール・クエの言葉~


私が起業した10年前、当時はまだまだ子育て支援が重要視されていなかった頃で、行政に子育て支援のことで直談判したのですが、「実績がありませんからね」と相手にされなかったことがありました。

NPO法人を設立して1年目だったため、要するに信用がなかったのです。

そして、別の機関では次のようにも言われました。
「数年間、様子をみさせてください」
数年間とは、最低でも5年間、実績をみさせてほしいということでした。

信用とは長年にわたって築きあげなければならないのか、何年経ったら信用してもらえるのかと呆然とした記憶があります。
当時は、5年間がとてつもなく長く感じられました。


起業しても10年後に生き残れる会社は1割と言われます。
その中で、信用される企業に成長できるのはもっと少ないわけです。
それほど困難な道のりがあり、今がある。
だから、信用と信頼は絶対になくしてはいけないものです。

何事も『できる』と確信するなら、できるようになるし、
『できない』と思うなら、それはいつまで経ってもできるようにならない。
だから、困難なことが目の前にあっても、「必ずできる!」と信念を持って、
諦めないで取り組んでいくことが道を開くことになるのではないでしょうか。

サーカスのゾウは、ロープで杭に繋がれたまま決してそこから逃げようとはしないそうです。
なぜならゾウは、「自分にはたいした力がない」と思い込んでいるからです。
自分が自分で可能性をつぶしてしまっては、一生そのままです。

自分の可能性はどこにあるのか?
できることは必ずある。

一歩前へ踏み出さなければ、10年後の成功はありえないのですから。